ひととせの夢に入る

 事故物件に住みたいと思ったのは、ちょうど一週間前だ。


 その名は誰もが知っている。しかし、実際に住んだことのある人間は存外少ない。それとはまったく縁のない人生を歩みながら過剰に恐怖を抱く者や面白半分にオカルトをばら撒く者を除けば関係者は表向きの半分も残らないだろう。


 四月から地方の大学に通うこととなり、私は今現在大学付近の住居を探しているところである。家賃は安いに越したことは無い。勿論、最優先は生理的欲求がどこまで満たされる環境かという点だが。


 そういった意味では事故物件というのはその機能に致命的な欠陥がある訳でもなく、それでいて安価なのだから理想的であると私見に思うのだが、世間一般にはそうでもないらしい。幽霊が出る、怨霊に呪われる、等々。馬鹿らしい。


 念の為明言しておくが、私は決して霊的存在を否定しようとは思っていない。否定命題の証明は現実界においてなかなか成せるものではない。存在証明なら勝手に具体例をもってくれば良いが、非存在証明は任意の状態においてそれを為さねばならない。存在しないことが確証できないなら、「そうと表現される何かが存在する可能性はある」と暫定するしかない。だから、幽霊がいようがいまいがそこはどうでもいい話なのだ。


 抑々、何故死して尚霊体となってその住居に留まり続ける必要があるのか。自殺や孤独死というものは、別に住居を呪ってするようなものではないだろう。せめて憎しみの対象は他の人間や環境等の諸々であって、もしも怨霊として現世に残留するのであればそういった怨嗟の対象の下まで旅してくればいい。家から出られないなどと言うのであればそれは実に滑稽である。その程度の器で未練を残した貴様が悪い。そして若しも件の住居に越してきた人間が霊に呪われるとするならば、その理由は考えうる範囲では「知りもしない人間と同居などしとうないわ」なんていう只の我儘ぐらいだ。かわいいものだ。シェアハウスの撮影番組か何かだと思ってくれればいいのではないか。些か冗談が過ぎたかな。


 それに、これは現場の状況というか事故物件となるまでの経緯にも依るが、折角部屋を綺麗にしていただいた特殊清掃員の方に申し訳ないというか、私で良ければそこに住まわせてほしいものである。



 こうした思考の持ち主であることから予想可能であるだろうが、かくして私は事故物件に住むことを決めた。つい昨日の話だ。向こうに行ったら暫く人との関わりは薄くなるかもしれない。大学で友人をつくるなどと世の十八歳共は意気込んでいらっしゃるが、私にはその手の才はあまり見受けられないし、抑々学問重視でこの大学を選んだわけで、過去問だのサークルだのといった大学生御用達のものには興味が湧かない。居心地がそれなりに良さそうであれば考えるけれど。それまでは、幽霊様との同居生活で気を紛らわせておこう。


 下見も兼ねて、早くも私は新居に向かっている。どうやって前の住人が死んだのかは知らない。窒息死か、溺死か、それとも焼死か。いや、それはないか。焼け跡がどうこうは項目に無かったし。いずれにせよ、恐れるものではない。人を殺したものと寄り添って生きることの何が恐ろしい。人を殺すのは大抵人なのだから、社会に生きている時点で人殺しに囲まれているようなものだろう。現に、私の親がそうだったのだから。



 *****



 新居の前に着いた、瞬間。形容し難い何かに圧倒される感覚。喉がひりつく。ああ、居るのだ。ここには確実に、彼の者が居座っている。視覚には一般と何ら変わらぬ外見、きっと家の中もそうだろう。しかし第六感か何かは分からぬが、明確に脳髄に刺すそれを感じる。果たして私は昔から霊感などというものが強い方であったか。いやそんなことはない。これは、初めての経験だ。それはそれはとても―。


 不動産業者の人間に案内され、アパートの一室の前に辿り着く。405号室。濃密な気配、いや気配ともいわれぬ何か。鍵を開ける音。ドアが開く。



 初めましてと、私たちは挨拶を交わした。

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