働き方改革という妄想に踊らされるな。

リモートワークが働き方を変えるかどうかという議論は、ほんまにアホな話やなと思います。加えていうと、働き方改革ってよく言われるがその正体は一体何なのだろうか。

生き方と働き方。
ワークライフバランス(ライフワークバランス?知らんけど)とかいう言葉は、そもそもそんな言葉で商売をしようと思っている人たちが作り出した妄想に過ぎないのではないか?と日頃から思っている谷田です。

働き方と生き方は、おそらく同じだ。そもそも、仕事って何だ?仕事も働き方も人生の中にしかない。今日はそんなことを書きます。

『働き方改革』よりも働くことに対する『考え方改革』
経営者よ、お前が決めろ!

何のために働くのか。そもそもそんなことを聞く方が馬鹿だと言われた時代が続いて、何の為に働くかと言えば生活するためだと答える教育を受けて、私たちの年代は育った。

しんどくても、歯を食いしばって、家族の為に働く父と母を見てきた。いい学校に行かせていい教育を受けさせ、良い企業に就職できる為になどと、よくよく考えれば私たちはそんな『生き方』のテンプレートの中に生きてきた。努力を怠ると、いい暮らしができない。そんな『風潮』の中で私たちは育った。そして、私たちは不景気の中の就職氷河期を経て今に生きている。

私の下の世代は『ゆとり世代』と呼ばれている。
そのさらに下の世代は何世代だろうか。

そもそも下とは年齢が若いということだけなのだが、どうも『下の世代』と言っている時点で、『あかんなこれは』と私は思うのである。

最近はどうやら『自己肯定世代』と言われているらしいが。
自己肯定感を人格の中に醸成する為に、「褒めて伸ばそう」というのがその主流らしい。そもそも『他人から育てられた自己肯定感は他人によって折られる』というのが私の持論。自信か、プライドかどっちでも構わない。
他人にへし折られるそんなものは一切役にたないと思っている。

そんな時代によってコロコロ変わる大人の方針に付き合わされる子供たちが犠牲者だ。どうせ社会に出た瞬間に、どんな人間でも一度は壁にぶち当たる。それは、学校教育が個人競技として行われているうちは変わることがない。社会に出れば必ず誰かと共に何かをするようになるからだ。

だから、世代間の摩擦のことなど、正直どうでもいいというのが私の意見だ。問題はひとりひとりの仕事に対する考え方次第なのだから。

『最近の若者は』などと言っている人は最近では減ったが、私たちよりも若い世代の人たちはそんな風を受けて大変な苦労をしただろう。私は世代間における『考え方の違い』がこのような不毛な摩擦を生んでいると思えてならない。

そもそも優秀な人というのは、年齢に関係なく優秀。
すごい人は老練であっても刺激的であるし、若くても尊敬できる人は尊敬できる。つまり、世代を超えても、その考え方が優れていると思った時に受入れられるかどうかが働くことにおける人間関係の肝だ。

『働き方』というものはあくまでも形だ。
形を変えたところで、中身がどうかだ。つまりは考え方だ。


ケーキが四角だろうが、丸だろうがそんなものは見た目の話だ。

つまり、『働き方改革』の本質とは、その『働き方』に伴う『考え方』の改革ができるか否かの問題である。

経営者を含めた社員の個人個人の役割に対しての『働き』の中にある『考え』が変わらなければ、全く意味がない
と思う。

同じ味のケーキを、丸か四角の違い(社員の考え方)は。箱に収まりやすいかどうかの問題(企業の枠組みとの相性の問題)であり、詰めやすく、収まりの良い四角がいい!と言って四角にします!って改革した気になっていても、いざ、取り出す時にキチキチに詰めたら四角は取り出し難い!味は変わらない!という問題が勃発。丸が好きか、この場合、四角が好きかは取り出す側(エンドユーザー)の好みの問題である。つまり、企業がユーザーから求められるものの問題だということだ。

正直どうでもいいというのが私の意見だ。

丸型派(従来型)の人間は四角派(改革派)に対して、
『ほら見ろ!俺たちはずっとこれまで丸型でやってきたんだ!取り出せない問題があることもわかんないなんて、これだから最近の若いもんは!』などと言っていて、本当に意味があるのか無いのか。

一方、四角派も負けていない。

『取り出し難いことくらいで、私達が変えようとしていることも理解できない、頭の硬い丸型派は老害だ。箱の形を丸にしてみたらいいじゃ無いか!』
ということになり、ケーキの形の話は、いつの間にか箱の形論争(企業の枠組みそのものの問題)に発展する。箱を変えるというのは、企業自体の形を変えることだ。とんでも無く大きな話になってしまう。そうなった時、経営者は苦悩することになる。

味は⁈ 味のことはいいのか?

経営者は、『まぁまぁ。一度四角を少量作ってで試しながら、マーケットの様子を見て判断しよう』となるだろう。

結果うやむやだ。
私は言いたい。
『お前が決めろ』

マキャベリは「君主論」の中でこう言っている。
『はっきりした態度を示すことが、人々の尊敬を集める』
つまり、この経営者は、社員の尊敬を集めることができず、おそらく会社の中は経営者への不満が募ることになるだろう。そんな企業はどうなっていくか、何となく想像がつく。


つまり、この一連の下り自体が、全く意味がないのだ。

働き方改革の正体は、経営者の考え方改革から始まる。
つまり、私が考える働き方改革とは、『社員の働くことの中にある考え方をどう変えていくかを考えて、経営者の考え方を変える改革』だ。(長い!)

ただし、それはこの経営者の考え方に、社員が共感できるか否かが、この会社で働き続けてもらえるか否かの鍵を握っているのだと思う。

仕事は7回までは変えて良い。

企業にとって、優秀な人材を獲得することは、企業自体の存続にとって最も重要な命題であると言える。

『御社の自由な社風に共感し、自分がこれまで学んできたことを生かし、自らを成長させて行ける御社の中で、働いてみたいと思ったからです。』

などと言って入社しても、数年も経てばそんな気持ちも忘れているのが普通だ。そもそも、大抵の人は、そんな気持ちなど初めから持っていなかったということに気づくことになる。人生とは仕事。仕事とは人生。人は仕事の中で学び、仕事の中で働き方を学ぶ。正直に言って、『働き方が問題』ということではなく、その会社に入る時の考え方、何によってその会社(仕事)を選んだかが問題である。

年収が安定(収入が良いという意味で安定)している。
上場している有名な一流企業だから。
入社したら安泰。

これらを鑑み、条件を上から順番に並べて、片っ端から就職試験を受けて採用してくれたところに入る。みたいなことで、仕事を選んでいる人も多いのではないだろうか。何を隠そう、私自身がそうだった。そういう風に育ったからだ。

数年もしたら、『他にやりたいことができた。』『もっといい条件のところから声がかかった』と言ってこの企業を去ってゆく。
もしくは、たらたら文句を言いながらその会社に働き続ける。

私は転職に関しては、私は7回までは仕事を変えても良いと思っている。
しかし条件がある。それは『本当にやりたいことができた』時だ。
それは、勝負をかける時でもある。

名作、『北の国から'89 帰郷』仕事をクビになった純に五郎はこう言っている。「オイラは7回だ、家系だ、気にすんな。」

当時9歳だった私は、『仕事は7回も変えてもいいんだ!』と思ったものだ。つまり、私の言う7回とは、その7回だ。

同時に、五郎先生はこう言葉を残している。
『男には戦わなねばならん時がある。』(女性の方でも同じです。)

つまり、戦わねばならん時とは、私が先に書いた『本当にやりたいことができた』時のことだ。

つまり、『働き先は、本当にやりたいことがやれるかどうかで決める』ことが重要だと五郎先生はおっしゃっているのだ。(明確には言ってないが…)


『先生。ボクは今まで。仕事を4回変えたわけ…』
『本当にやりたいことが4回変わったわけで…』

「働き方改革」を曰う前に、「働き先の選び方改革』を。

自分に合った働き先を選ぶために必要なこと。
それは、経営者の考えと自分の考えが合うかどうかだ。
会社は船。経営者は船長(キャプテン)だ。
その船に乗るか、乗らないかは船がどこに向かおうとしているのか。
また、船長がこの船をどうやって目的地まで進めようとしているかが重要なのではないだろうか。

経営者の考えと、自分の考えが合うか。そのためには、まずは自分の考え方を知らなければならない。自分の考え方を知るためには、自分はどうありたいかを考えなければならない。自分がどうありたいかとは、自分はどう生きたいかだと言えるだろう。

しかし、それを知るためには、働くことの本当の意味を知らなければ解らないわけで…

働くことの本当の意味を知らなければと言われても、学生時代のアルバイトでは、それは解らないわけで…。

やりたいことをやっても、生きていくにはお金がかかるわけで…

そんな若者に私が贈る言葉。

『やりたいこと』とは、『生きていくことの中にあるもの』だと考えよう。
つまり、『やりたいことを生業にして生きていく。』という選択をするということだ。

つまり、仕事を選ぶということは生き方を選ぶということなのだ。

働く先を選ぶときに、そこで生きていくということを考えることで、勤め先か、自分でやるかを決める。やり方はどうでもいいのである。

そんなこと言われても、自分のやりたいことが何かわかりません!
という方には、こんな言葉を贈ろう。

贈る言葉
それがわかるまでは、どこでもいいから働け。仕事しろ。
間違っても、いつか日本に帰るつもりならインドには行くな。

先にも書いたが、

人は仕事の中で生き方を学び、仕事の中で働き方を学ぶ。
働き方とは生き方だ。

だから、ワークライフバランスなどは無意味だ。

人は仕事の中で自分の生き方を得るものだからだ。

そもそも仕事という言葉は、『事に仕える』という。
その『事』が『物』か『金』か『それでもない何かか?』だ。

つまり、人生を賭けてやりたい事に仕えることが仕事だ。

自分のやりたい事の中に、多くの人の喜びや楽しみがあれば、必然的に『物』や『金』はついてくるものだと信じている。

残業が異常なまでに長くなるということが問題になったり、休みが少なかったり、給料が安いという問題は『働き方』では解決しない。少なくとも私はそう考えている。


残業が長い問題・休みが少ない問題を引き起こしている状況は以下のような条件が2つ以上重なっている場合に起こる。

・スケジュールの立て方に無理がある場合。
・誰かのミスを、誰かが補う必要がある場合。
・上司が家に帰りたくない。
・上司が寂しがり屋。
・やるべきときに、やるべきことをやっていない。
・やるべきこと自体を忘れていた。
・前向きに取り組みたい仕事ではなかった。
・残業はダメだが、自分は忙しいから仕方ないと思っている。
・仕事を押し付けられた場合。
・苦手な内容の仕事である。
・クライアントの無茶な要望を聞かなければならない場合。

どうだろうか?
この中で不可抗力なのは、最後の
『クライアントからの無茶な要望を聞かなければならない場合』だ。

つまり、突発的に発生する仕事だと言える。

しかし、こうも考えられる。
クライアントも無茶な要望を投げなければならない理由は、上記の状況の中で最後の項目以外の2つ以上が重なって生まれているのではないか。

そして、それ以外の大体の理由は自業自得で招いている状態。
それは、これは考え方次第で改善できると私は思う。

しかし、突発業務が起こってしまう理由。その原因を取り除くためには、社会全体で取り組まなければならないのではないか?

自分の仕事が予定通りに進まないことに対しては、ちゃんとやれ!でなんとかなりそうだが、その原因が他にある場合は、その人に考え方を変えてもらわなければなくならない。社内にそれ以外の理由がある場合はその原因をとりのぞかなければならない。

もし、自分の中に当てはまる項目が2つ以上ある場合は、決めるときなのかもしれない。目の前にある仕事は、あなたが本当にやりたいことではないからだ。

突発的な業務が発生する原因を取り除けば、残業が長くなったり、休みが無くなることはない。なぜなら立てた予定の通りに進むからだ。

仕事は連鎖するもの。その連鎖関係の中に一人でもそいう人が混じっていたら、この連鎖が止まるのです。二人居たら、さらに止まる。

それが社内であれば、そこにこそ無駄が生まれ、利益が上がらず、給料が上がらないのではないだろうか。ちなみに弊社の給料は一般の水準よりも高い。40歳までの社員の給料は、そこらの一流企業と変わらない。高すぎてちょっと問題なくらいだ。

社会全体で、ケーキが四角がいいのとか、丸がいいのとかを論じていても、何も変えられない。社会を構成するのは個人ひとりひとりだ。
社会とは個人の集合体でしかない。

そして、生き方はひとりひとりが決めることだ。
そして自分という船で大海原に飛び出すのか、会社という船の一員として進んでいくのか。それを決めるのは誰だ。
そうお前だ!お前が舵を取れ。

形を変えるだけの働き方改革に惑わされてはいけない。
こんな萎えた時代だからこそ、お前が舵をとれ。
そして、お前が決めろ。

そして、もっと自分の人生(道)を考えよう。


この動画を上げたかっただけのnoteでした。。。

この曲を聴きながら書いたので、このnoteは、この曲に合わせて読むと結構いい感じだよ。

ヨーソロー!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?