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アートが嫌いだった僕が”アート関連”のイベントを企画するまでの話4/3 続・完結編1

みなさん。
こんにちは。谷田です。

本当に大切なことは何かということを日々考える中で本当に大切なことを見つけれるはずだと常々考えています。(当たり前)

無事にリーフレットとポスターの配布を開始しましたが、ネットの拡散の仕方に慣れすぎていると、アナログな拡散が時間を要することに対し、臆病になってしまうなと実感しています。

前回の投稿で、947席と思っていたが兵庫県三田(さんだ)市総合文化センター「郷の音ホール」大ホールの驚異の収容力、974席。

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ようやく遠くの霞の中に見えてきたゴールは遠退いてしまった。
膝から崩れ落ちたあの日のことを、私は生涯忘れないだろう。
砂漠で蜃気楼を見て、オアシスに向かって全力疾走。
それが幻だと悟った時、人はきっとこういう感じになると私は知った。

まだまだ参加お申し込みを受け付けております!


私がこのイベントをやろうと思ったことについて3回に分けて書こうと思っていたのだが、己の力量を見誤った結果、このnoteは延長戦に突入した。この投稿を何とかこの回で終わらせたいと思いつつ、私の軽い筆は今日も走り出す。

先生!教えてください!アートって何ですか?

『人間は己が理解できない事を否定することによって自己肯定をする。』ということが、とてつもなく悲しいことだと、先日書いた。

私は『アートって嫌いだ』と自分に嘘をつく日々を過ごしていた。今思えば、そんな日々自体が『アートとは何か?』そして、『人間の人生にアートは必要か?』を探求する日々だったのかも知れない。(今日もいいことを書いてしまった。)

そんな日々をたった一言で終わらせた人。
それが新宮晋だった。

私は、新宮晋の展覧会を見て、心を奪われ、アトリエまで押しかけたということは先日書きました。その時だ。私は新宮にこの質問をしたのだ。

新宮晋のアトリエは、対談イベントの会場である兵庫県三田(さんだ)市総合文化センターから車で20分ほどの山の中にある。

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山の中にポツンとある、新宮晋のアトリエを訪れ私は例の問いをしてみた。

私『先生。教えてください。アートって何ですか?』

新『アートはね。ただの包装紙ですよ。』
 『大切なのは中身。包装紙に包まった状態で見ていては解らない。』
 『アートはそんなものです。』

 『綺麗に折り畳んで包装紙を有難がって見ている人もいますけどね。』

一言ではなかった…。また嘘か…。でも…

私『・・・・』
 『めっちゃわかる!っていうか解った!』


見た目だけじゃ何も解らない。包装紙なんて破り捨てて、中身が一体何かを見る。むしろ、アートは見た目に惑わされずその中にある本質を見極めることができる目を養える。それこそが、人間の人生に豊さを育むものである。

アートとはただの包装紙だが、物事の見方、本質の見分けることができる「視座」を与えてくれるものだ。それは、人生の真の豊かさを見ることができることに繋がり、アートは人生の豊さに大きく寄与するものである。

ありがとう先生。
私、わかりましたよ。
これでようやく、私はアートを見ることができます。
先生。僕はアートが好きです!

私が拗らせていた、『アート嫌悪症』の症状は改善の兆しを見せ始めた。
それからの、私はたくさんのアートに触れる日々を過ごした。

そんな時、私は、落合陽一の展覧会『山紫水明 事事無碍 計算機自然』を見たのだった。

最初、落合陽一の『アート』を見て思ったこと。

落合陽一と出会ってから2年後にようやく私は彼のアートと向き合った。
私は、彼の『包装紙』を破り捨て、その中にある彼自身の本質に向き合いたいと思ったのだ。

とても天気の良い日だった。
落合陽一の作品を見ることができる。それがとても楽しみだった。
そして、私は、彼の『包装紙』の中に飛び込んだ。


しかし、彼の作品を見た私は思ってしまったのだ。

『なんか、汚いな。どういうことだ、落合陽一!』

落合の作品は、実験室から出てきたまんまの姿に思えた。
指紋がベタベタとついていたり、シャボンのスクリーンは、液体が飛び散っていた。私は、思った。私は彼のあまりにも『包装紙』に対する無頓着さに、少し失望に似た感覚を覚えたという記憶がある。

彼は、飛ぶ鳥を落とす勢いで、数々のメディアに取りあえげられていてそのタレント性やキャラクターから、大きな影響力を持っているように思えた。

彼の研究や、アートの表現に対しての彼の思想や哲学は、見る者、読む者を引き寄せ虜にしてしまう不思議な魅力を持っている。
それなのに、作品が汚いなんて…私は、ショックを受けたのだ。

『あの、落合陽一の作品がこんなものなのか。』
どうしてなんだ。

その時、私の頭の中にあの言葉が浮かんだ。

『アートはね。ただの包装紙ですよ。』
『大切なのは中身。包装紙に包まった状態で見ていては解らない。』

その時、私の中の何かが騒いだ。

落合陽一の『アート』は『厳重包装』だった!

彼のアートには、アートという包装紙と、テクノロジーという包装紙、一体何かも解らない包装紙。それらが何重にも重ねられている。それを一枚破いたところで本質を見通すことができない。
つまり見る者を試すアートなのだ。
危なかった。危うく私も偽物の入り口に入って、本当の彼を見逃してしまうところだったのだ。

私は、メディアで見たり、聞いたりする彼の『包装紙』に私自身が眩まされていることに気づいた。

『落合くん!ごめん!』

私は会場を後にし、表参道駅の改札口でそのことに気づき、私は再度、包装紙を破いて彼の作品を見ようと展覧会の会場に戻った。

包装紙を取り除き見た彼の作品の中にあるメッセージや哲学は、実に人間臭いものだった。先端テクノロジーを使いつつも、彼が問いかけているメッセージ。それは、実に人間味に溢れている。人間が事象に対し抱く疑問が人間に思考する時間を与える。考えることからあらゆる新しい事象を生み出し、さらにそれに対し考える。彼は、世の中に各人が考え、世の中に何かを生み出すことで未来を変えていけるというメッセージを送っていると私は感じた。

後に指紋だらけや、飛び散ったしゃぼんの正体は、見ている側が触ったりしてしまう人が多いということを本人から説明されることになる。

私は、作品を通してみる彼の人間像に俄然興味が湧いてきた。
彼と話をしていると、私は未来を見ることが出来る。
彼には見えているのだ。未来が。

5/3 続・完結編2へ まだまだつづく…


私は『闇営業』をしています。

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チラシをばらまいたが、まだまだ予断を許さない状況が続いている。
よって、私は今話題の『闇営業』をしている。

写真は、その時の様子である。

まだまだ、イベントへの参加してくださる方を募集しております。
みなさま!落合陽一氏と新宮晋氏の対談イベント。
『芸術を通じた人類の未来構想』についての詳細は以下の通りです。

■イベント名
『芸術を通じた人類の未来構想』
■日時
2020年3月1日(日) 15時開演 (14時受付開始・14時30分開場)
■会場
三田(さんだ)市総合文化センター「郷の音ホール」(大ホール)

■登壇者
新宮 晋(造形作家)
落合 陽一(メディア・アーティスト)
谷田 光晴(企画家・演出家/モデレーター)

■プログラム
【第一部】 新宮晋氏による作品説明/落合陽一氏による作品説明
【第二部】 新宮晋氏と落合陽一氏による対談・質疑応答

■参加費
無料 (未就学児参加不可)

■申し込み先
↓(下記イベントページのお申し込みフォームからお申し込みください)↓

■主催
兵庫県/公益財団法人兵庫県芸術文化協会/三田市
■企画
株式会社 SPOON

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