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悪ノリは悪か。

みなさん、こんにちは。谷田です。
今日は「ちゃんと」企画について書きます。

今日は、私が企画する上で、ついついやってしまいがちになる「悪ノリ」についてです。企画する者として駆け出しの若い頃は、「悪ノリの企画」が「面白い企画」と勘違いして、よく提案していたものでした。

今でこそ、この悪い癖は治って、だいぶん真面目に不真面目な企画を書けるようになりましたが、当時は「これ、おもろいっしょ!」って悪ノリ丸出しで企画を書いて出していました。(もちろん玉砕の歴史です)

皆さんにも、そういう経験に覚えがある方もいらっしゃるかと思います。

ふと、最近「悪ノリ企画書いてねーな…」って思うこともしばしばでして、今日はひとつ。「悪ノリ企画って本当にダメなことなのか?」ということを考えてみたいと思います。

始まりはいつも悪ノリ。

思い起こせば、幼少の頃から「ふざけ過ぎている」「真面目に授業を聞かない」「落ち着きがない」と通信簿に書かれていた私。ムードメーカーだが勉強はからっきしで、集中力がない、整理整頓ができない。なんてことをよく言われていて、昨今の教育の主流である「自己肯定感」もクソもない幼少期を過ごしていました。(言葉悪いかな…)

授業参観日の日も、友達と悪ふざけをして帰ってからよく母親に怒られたものです。私は「お調子者」ということをよく言われました。関西弁では「いちびり」と言われる部類の子供でした。

つまり、「悪ノリが過ぎて怒られる」少年だったと言えるでしょう。クラスの友達に対して、「面白がってもらいたい、楽しんでもらいたい。」みたいなことが考えの根底にあったのだと思います。(かなりの確率で滑っていましたが…)

つまり、これは「サービス精神からくるサービスのやり過ぎ(押し売り)」だと言えると思います。

良かれと思ってやっていたことが、いつかお節介になっていたり、迷惑になっていたりするのがそれです。つまり、悪ノリもギリギリでやめるとができれば、悪ノリにはならず、めちゃいいことになるということが言えるのだと、少年の頃の私は気づきました。(中学3年生頃だったか、中学3年生は少年じゃないかも…)

喜んでもらいたいとか、楽しんでもらいたいというサービス精神が多かった私は、いつも悪ノリまでいってしまって、周りを困らせていたということでしょう。始まりはいつも悪ノリだったのです。

「やり過ぎちょい未満」がベスト・アンサー

「喜んでもらいたい。」「楽しんでもらいたい。」と思うことは仕事の基本だと思います。客体に価値基準を持つということは仕事をすることによっては基本中の基本であると思います。

しかし、相手が何を喜んでくれるかをわからず、こうしたら喜んでもらえるのではないか?と自分勝手な思い込みでそれをやってしまうと的外れな提案をしてしまう状態に陥ります。自分よがりになりますし、恋愛の場合には、押し付けがましいことだったり、強いてはストーカー的になりがちになって、嫌われてしまいます。

サービス精神からくるサービスのやり過ぎが「悪ノリ」であるとを先に書きました。サービス精神の過剰な押し付けが、またはサービス精神の暴走が「悪ノリ」になってしまっているとも書きました。

しかし、私の最近の企画はどちらかというと理論派ですので、ロジックを積み上げていく手段。インサイトの抽出、仮説の立証など客観性を伴わないければならない企画の作り方をしています。

しかし、時にこんなオーダーが来ることがあります。

「面白いことを考えてほしい」

これは非常に困るお題です。面白いというのは人それぞれ尺度が違うので、「面白いの定義」が必要になります。クライアントにとって面白いこと。私にとって面白いこと。面白いというのは興味深いことなのか、それとも腹を抱えて笑うことを指しているのか、はたまた新しいことを指しているのか。本当にこの定義は難しいと思っています。

「面白いの定義」の仕方は色々あるのですが、やはり多いのが「新しいことや斬新なこと」であることが多いです。(だったら初めからそう言ってくれたらいいのに、なかなかそうは言ってくれません。)

しかし、得てして「新しいこと」「斬新なこと」は前例がないからと言って実行に至らないことがほとんどです。斬新過ぎると、悪ノリになり決まらない。本当に残念なことですが、こうして墓場に行ってしまった私の企画たちは今も私の頭の中やクラウドに亡霊となって現れることがあります。(それに関しては、後日何らかの方法で供養をしてやらなければならないと考えています。)

こうして追い込まれた時に非常に重宝するのが「やり過ぎちょい未満」で書く悪ノリ企画です。(やり過ぎだけでは絶対にダメ)

悪球打ちでも当たればホームラン 岩鬼正美式 企画法

なんか、出さないといけないし、打ち合わせに手ぶらでは行けない。そんな時にやる「やり過ぎちょい未満」で出す企画は、実は理にかなっていると私は思っています。

敢えて常識(ストライクゾーン)の外を狙っていくというこの手法は一見斬新に見える可能性を秘めています。

普通なら避けるこの「やり過ぎ」は、「悪ノリ」として嫌厭(敬遠)されがちです。しかし、水島新司先生の名作野球漫画「ドカベン」ではこの敬遠されたボールをホームランにしてしまう岩鬼というキャラクターが存在します。私はこのキャラクターからヒントを得ました。

岩鬼の必殺技が「悪球打ち」です。

岩鬼はストライクの球は打てないという弱点を持っていますが、「こんなボール球誰が打つんだ」という球をホームランにしてしまうことができるのです。

まさに、企画でいうバットが届かなくなるギリギリの「やり過ぎちょい未満の企画」はドカベンの「悪球打ち」にあたると思います。
時には、バットが届くギリギリの球を敢えて打つというこの打法に似た企画法がビジネスにおいても効果的に働くことがあります。

悪球打ち的企画法
・当たり前のことをいじくりまわしてそのギリギリあたりを探る
・当たり前の中にある「悪ノリ要素」の抽出
・一旦、悪ノリに徹してみる
・めちゃくちゃなことを考えてみる
・とにかく面白がって考えてみる
・めちゃくちゃになったら、ちょい未満の落としどころを考える
・検証する(ここ大事!)
・可能性の一つとして提案する

私なら、この方法で企画の1本や2本は出せます。

しかも、打ち合わせでの企画書の出し方を工夫すれば「提案力」としてのクライアントからの評価も獲得できる可能性が上がります。

その具体的な方法に関しては以下の通りです。

悪球打ち的企画の提案法
・「なかなかいいアイデアが浮かばなかったんですよね」という前フリ
・「こういう企画は思いついたんですが…」という謙虚な前置き
・面白くなさそうに真面目に提案する(ここ大事!)
・「あれあれ?」というくらいに意外にきちんと検証したものとして提案
・「こういうのは以 意外にありなんじゃないかなと思うんですが」とう謙虚さ
 ※面白そうにプレゼンすると悪ノリがバレます。

これをすることで、この企画をベースに新たな企画のアイデアにブレスト内で広がっていくかもしれませんし、「この人は、面白いことを考えてくれようとしたんだ!」というこちらの姿勢として受け取ってもらうことが考えられます。

これは非常に大切なことです。もう一打席のチャンスを貰えるということは、いい企画を作る上でとても大切なことです。しかし、これはクライアントの性質を間違うと「出禁」になってしまうこともあるので、よく考えた上、自己責任においてやってみてください。

私の時は、たまたま本当にホームランになってしまって「お買い上げ」ということもなかったわけではありません。一攫千金、逆転ホームランを狙うギャンブラーの方には、この企画法はアリなのではないかと思います。

まとめ 悪ノリがプランナーを救うこともある!

厄介なのが、この「悪ノリ企画」が決まってしまった時の快感です。これが忘れられなくて「悪ノリ企画」ばかりを出してしまうと、本当に「悪ノリ企画屋」になってしまうので、ちょっとビジネス上問題が起こる可能性はあります。なので、あくまで私の場合は「もう一打席チャンスをもらう」ために悪ノリを使うようにしています。

とはいえ、快感が忘れられなくて、「悪ノリ企画やりてーなー…」って思うことがあるのも事実です。決まらなくても出したいなって思うこともあるのですが、最近はこれがなかなかできないのが悩みの種です。

「もう一打席ほしい。」と思って出した苦し紛れの企画で決まったこともあれば、もう一打席もらい、第二打席の企画を出したらそっちで決まったこともあります。当然、連続三振も当然あります。しかし、いつも同じような企画ばかりを書いていると、どうしてもいつもと違う毛色の企画を書きたくなるものです。

企画する人には、頭の柔軟性を保つためにもトレーニングとして、企画のストックとして「悪ノリ企画」をやっておくことを推奨しています。具体的な提出先がなくともストックしておくことに悪いことはないと思います。

こうすることでスッキリして、次の真面目な企画に向き合えるようになるかもしれませんし、複数案出しを求められた時に助けられることがあるかもしれません。

悪ノリは、企画する者を救います!私はそう信じています。

長文おつきあいいただきありがとうございました。




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