好きだけどさようなら
愛する近所のおそば屋さんが閉店してしまう。
週に一度は食べないと禁断症状が出ていた、絶品の鶏つけそばが、もう味わえなくなるなんて。
1月いっぱいで閉店します、との張り紙を見つけたのは、お昼時のいつものカウンターで、おそばが出来上がるのを待っている時だった。
えっ。
一瞬、目を疑った。
閉店、って書いてある。
「移転」の文字はどこにもない。
業態を変えて、3月にラーメン屋として再オープンするんだそうだ。
ラーメン…
ラーメンもいいけど、おそばの味はどこへ行く?
私はこれから、何を食べたらいいんだろう。
途方に暮れた。
自分の食券番号を呼ばれ、おそばを取りに行った時、今後について店員さんに聞いてみようかと思ったけれど、忙しそうでタイミングを逃してしまった。
気持ちがざわついたまま、受け取ったおそばをカウンターに運ぶ。
黒のトレイいっぱいに並ぶ、つけ汁とおそば。
濃厚なしょうゆ味のつけ汁には、ゆでた鶏肉がごろんと沈んでいる。
ざっくりと裁断されたおそばの表面には、炒り胡麻がちりばめられている。
トッピングは、ゆでたまごにきざみ海苔、揚げごぼう。
この、揚げごぼうが味の決め手であり、影の主役。
最初のひと口を味わうと、あぁ、これだ、これなんだよと毎回思う。
香ばしい胡麻の香り。
カリッと揚がったごぼうの苦みと、甘じょっぱいつけ汁の、奇跡の出会い。
この街に住み始めてから、何回食べてきただろう。
確実に私の血となり肉となっている、鶏つけそば。
こうして書いていても口の中に味がよみがえってくる。
舌が覚えてしまっているのだ。
お店はいかにも「立ち食いそば」的な外観で、決して小綺麗でもおしゃれでもない。
店内には立ち食い席メインに、カウンター7席ほど。
最初は入るのを躊躇していたが、ある日夫に連れられて食べに行ったのが、魅惑のつけ汁との出会いだった。
鶏つけそば730円。
大盛り無料。
麺の量は普通盛り、並盛り、大盛りの3種類。
普通盛りでもなかなかの食べごたえがある量だ。
都内でおそば屋さんに行くと、軽く1,000円を超えていながら上品な量で、すぐにお腹がすいてしまうことがよくある。
その点このお店は、お得なうえにボリュームがあって、なおかつ美味しい。
はじめての出会い以来、何度も通うようになった。
お店は不定休だった時期もあり、休みの日やテレワークの日のお昼時には、マンションのベランダから開店状況を確認した。
やった!今日はシャッターが開いてる!
残念、今日はお休みか・・・
シャッターを見て一喜一憂していた時間が、今となっては愛おしい。
愛するおそばを食べられるのは、今日を入れてあと3回。
毎日通ってしまいそうだ。
最終日の1月31日はテレワークにしたので、お昼ごはんはもう決まり。
鶏つけそばを大盛りにして、〆のそば湯まで味わってこようと思う。
この街に住む間、ずっと食べられると思っていた。
突然のさよならは、さびしくて、名残り惜しくて、愛しさだけが増すばかり。
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