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【たびの日記】新潟

今日、お婆ちゃんに会いに新潟へ行った。

本来、東京の者が田舎に行くというのは、まだシビアな問題として扱われるであろうことは自分達も重々承知していた。

しかし、数日前のある日、「お婆ちゃん(母方の母)の病状が危ないと医師から告げられた」と新潟の親族から一報が入った。

母親は、実の母へ会いに行くかどうか迷っていた。

一方、僕は会いに行かなかったら後悔するよと母親を無理やり説得し、新潟に行く計画が立ち上がった。

メンバーは、僕の父親以外の家族と母親の姉とその息子(僕の従兄弟)とで、一つの車で新潟へと向かう。

新潟へ行く道中はとても楽しかった。
僕と母親が交代で運転し、片道3時間半かけて向かう。

車内では従兄弟と永遠に話しながら、時々、車窓から見える山々や紅葉に感動したりした。

新潟に着き、お婆ちゃんのいる病院に行く。

しかし、少し時間があったので、ポツンと建てられたベンチで休憩をした。

車を降りて歩く場所は田んぼだらけの田舎。

ビルやマンションが立ち並ぶ東京とは違い、田んぼだらけで空は広く壮大だった。

空気は自然の匂いで包まれ、透明感があった。
東京では見れない山々の迫力も圧巻だった。
田んぼを歩けばカエルやイモリがいて、地面を見ると蛇の脱皮殻が落ちていた。
耳をすませば、風の音が心地よく聞こえる程空間自体が静かだった。

そんな環境に浸ることは人々の波の中でデジタルに浸りまくる生活からリフレッシュさせてくれるものだった。

また、登下校する中学生たちがマスクをしていないことは都会では見られない光景だった。ソーシャルディスタンスしかない田舎において、登下校にマスクは不要なのだろう。軽いギャップに驚いた。

しばらくして、病院にはいる。
東京から来たにも関わらず、快く面会を許してくれた病院には感謝しかなかった。消毒や検温などを済ませ、自主的にみんなでゴム手袋をして面会した。

お婆ちゃんの病状は見るからに優れない。
お婆ちゃんはみんなの顔を見ても、よくわからないようだ。
実の娘を目にしても、自分の娘だと理解しているようには見えなかった。

しかし、なぜかわからないが、僕の顔だけは覚えていたようだった。
僕の顔を見て、ハッとしたような表情で指を指し、「この人 わかる」と微かな声で口にした。

僕は、嬉しさの半面、孫のことよりも今は実の娘に会えていることを先に分かってほしいと思ってしまったのは内緒である。

ただ、実の娘たちも母親と再会を本当に喜び、写真を撮ったりして、満足した10分程度の面会を過ごすことができたっぽい。

お婆ちゃんに会う計画は達成され、みんなとても満足そうだった。
達成感と共に、東京に帰るかーというムードが車内に流れる。

しかし、僕はお婆ちゃんに会えたことに満足はしている一方、新潟に住む従兄弟にも会いたかった。

母親は三姉妹で、一番の姉が新潟住み、二番の姉が東京住み(車内同伴)、三番目がうちの母親である。

その、一番の姉の息子は二人いて、僕と同い年の双子である。そいつらは新潟の実家暮らしなのだが、仕事で帰るのは遅いらしい、と聞かされていた。

僕は、自分らに時間もあることだし、従兄弟いるかもしれないから実家に行ってみようよと、子供みたいな提案をした。

それと同調するように、車内にいる従兄弟と僕の弟が賛同してきたため、実家に行くことが決定した。

実家に行き、僕がオンボロなインターホンを押す。
中からは奇跡的に早帰りしていた従兄弟二人が出てきた。(二卵性なので顔は違うという要らない情報を伝えておく)

我々は湧いた。
久々に会えたことに東京勢の男3人はテンションをあげて、ソーシャルディスタンスでわざとらしく距離を空けてベラベラ喋った。

しばらくすると仲の良い向かいの家の人も出てきたり、一番目の姉の夫が仕事から帰ってきたりと、さまざまな人と会うきっかけになってしまったが、向こうの人の方が喜んでいたため良いだろう。

その後、その実家の側に先祖の墓があるため、新潟の従兄弟を含めて手を合わせに行き、お別れをした。いろんな人に再会できたことは非常に嬉しかったし、とても刺激になった。

またしばらくは行けないけど、次回はもっとゆっくりしに行きたい。

田舎は都会人のオアシスであった。

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