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もうちょっと学校で習ったほうがいいこと

 私はかつて教師をしていました。それで、少しは「教育」というものに関心があるのですが、いま、1年以上、仕事を休むはめになり、もうちょっと学校で習ったほうがいいことがあるなあと感じます。

 たとえば、「不妊」というのもそうです。私は25歳のときの発達障害の二次障害である精神障害によって、EDになりました(EDという言葉さえご存知のないかたもときどきおられます。ご存知ないかたは、どうぞお調べくださいね)。それで不妊治療をしたのが十数年前です。そのころ、「不妊」とか「不妊治療」とかいう言葉は世間でほぼまったく聞くことがありませんでした。「妊活」などという言葉も当然、ないです。泌尿器科に行ったり、婦人科に行ったりして、だんだんわかってきたことです。そのころの苦しみを思い出して書くことはしませんが、非常に運よく子どもを授かりました。これは、もっと義務教育のうちに、「不妊」について教えるべきだ、と思いましたが、私の一存ではどうにもならないことではありました。いまでも学校では「不妊」は教えていないのかな?

 (障害についてもね。私に発達障害の診断がくだったのは40歳のときですが、いまはもっと小さいころから診断がくだりますし、「発達障害の本」はちょっと出すぎなほど飽和状態ですね。でも、これは「避けるもの」ではなく「これをかかえて生きるもの」なんですけどね。)

 さて、ようやく本題ですが、「困ったときにどこに頼るか」というのを、なかなか学校では習わない、ということです。いまの私が頼っているところは、まず、市の委託でやっている障害者福祉の相談支援のところで、数年前(つまり数年前からいまの仕事はもう無理ではないかと思っていたことになります)に、リタリコ(これはインターネット検索で知りました)に行きました。しかし、リタリコは、職を失った人のための場所で、私のように職に就いている人は「いまの職場でがんばってね」というところなので、まあ門前払いなわけです。しかし、そのときに、教えてもらったところがそこです。運よく、非常にいい支援員のかたと出会えました。障害者福祉のベテランのかたで、とても相談がじょうずなかたです。助かります。

 休職と配置換えを繰り返して、いまは去年(2020年)の5月から、1年以上、休職しています。去年の5月に行ったところは、県の障害者福祉のセンターでした。そこはどうやって知ったのか、思い出せません。そこでもいろいろな話を聞きました。障害者福祉の人って、たまに「私、健常者。あなた障害者」という、無意識的に上から目線な人がいます。こちらは(見下されるわけですので)敏感にそれを感じます。でも、そういう人はごく一部で、いっしょに考えてくれるタイプの人が多く、驚くほど親身になってくださるかたもいます。

 そして、いま、仕事の相談に行っているところは、県のやっているところで、もっと大規模なところです。ここを知ったのも、「リタリコに行ったら?」と言ってくれた、福祉の仕事をしている友人のひとことで(友だちはありがたいですね)、数年ぶりにまたリタリコへ行きました。やはりリタリコは職を失った人むけなので、「職を失ったら来てくださいね。さようなら」というところではあるのですが、対応してくださった相談員のかたが、すごく親切なかたで、制度上、リタリコでは私を助けられないものの、その場で知恵をしぼってくださり、「仕事に就いている人でも頼れる障害者福祉」の一覧の紙をくださいました。そのなかから、たまたま地理的に最も近いところに行ってみた、というところが、その県の(県の委託か?)窓口です。そこでも、なかなか話は進まなかったのですが、いろいろあったすえ、もう一度、その担当の人と話すことがあり、いまの、作業所のようなところにつながりました。具体的には、パソコンの操作を教わるところなのですが、それは就労に向けてのスキルを身に付ける以上の意味として、「週に2度、外出する」「外出して、家族以外の人と接する」というのが大きいですね。ここに至るのに、休職から1年以上、かかっているのです。決して無駄な時間ではなかったと思いますが、遠回りはしています。区役所の福祉課などというところにも、先日、はじめて行きましたが、またとても親切な人がいました(要するに、どこにでも意地悪な人がいて、どこにでも親切な人がいるという、ただそれだけの話ですが)。きょうも、そこの施設を利用するにあたっての手続きの人と話す機会がありましたが、この人も親切で、非常に「手厚い」と感じられました。

 なにを言いたいかと言いますと、こういう「困ったときにどこに頼るか」というのを、学校ではほとんど習わないのではないか、ということです。私も知らないことばかりです。かつて私が勤めていた学校は、「社会のリーダーを育成する!」なんて、立派な看板を出してやっている学校でしたが、いや、社会はリーダーばかりでも困るわけでして、実際に労働者の4割くらいは非正規雇用ですよね?ですから、卒業生が非正規雇用で働くようになることは実際によくある話であるはずで、私みたいに40歳になってから、障害を認定される者もいますし、少なくともこんなに疫病(コロナ)が世界中に流行ることさえ誰も想定していなかったことですし、それで職を失ったり住まいまで失ったりする人もたくさんいる以上、だれだって、想像もしていなかったほど困る、ということはあり得るのですね。だから、ひたすら勉強して、試験の成績に一喜一憂して、いい大学に入れれば、いい就職ができて、安定して暮らせる、という路線ばかり追い続けるのではなく、「いざ困ったときにどうやって助けてもらうか」を学校でもっと教わる必要があるのではないでしょうか。かくいう私も、たとえば生活保護の申し込みかたひとつ、知りません。でも、少なくともその学校は、いまだに「もっと勉強しろ!いい大学に受かれ!」しか教えていないみたいですけどね。いざ困ったときに、どこに相談すればよいのか、せめて知っているだけでもだいぶ違うのに。きょうも感じたのですが、思ったより世の中は手厚いです。もちろん、制度の不備や矛盾はたくさんありますし、困ることはたくさんあるのですけど、困ったときに助けてもらえる窓口や制度や人って、思ったよりたくさんいる(ある)ので、かつて教育にたずさわった人間としては(「不妊」もそうですけど)こういうことをもっと学校で習ったほうがいいなあ、と思っている次第なのですね。

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