ダーウィンの話
(いまからダーウィンの進化論にかんする話を書こうとしています。学部生のときに、進化論にかんする非常におもしろい講義をなさる先生がいらしたのです。お名前は忘れましたが、おもにその先生から教えていただいたことの思い出です。私の専門は生物学ではありません(数学です)。ですから、専門外の人間として、細かい間違いは犯すと思いますが、おおすじでダーウィンの言いたかったことは間違わないと思います。よろしければお読みくださいね。)
「ダーウィン」という名前は有名だと思います。NHKの番組で「ダーウィンが来た!」というものもあります。その番組をご存知なくても以下の話には問題はございません。それくらい「ダーウィン」という名前は有名だということが言いたかっただけです。19世紀イギリスの生物学者だそうです。「進化論」という言葉も有名ではないかと思います。学部時代に、進化論についての抜群におもしろい講義を聞いたのです。その先生の思い出も含めて、私が進化論について知っていることを書きたいと思います。私は生物学は専門外ですので、おおざっぱな話だと思ってお読みいただければと思います。
私は東京大学と東京大学大学院に、あわせて12年おりました。東大というところは、入学したらまず理科一類から文科三類までの6通りに分かれて、2年間は駒場キャンパスで教養を学びます。そういう大学は多いみたいで、私のある若い仲間が最近、ある大学に受かりましたが、やはり最初の1年は教養を学ぶようです。その教養の授業でおもしろい進化論の授業があったのです。さすがに東大の先生というのは、その道の日本の第一人者であることが多く、専門と関係のない分野でも一流の先生から学べるのでした。私は教職の単位を佐藤学先生から学びました。これは教員になってから(偉そうに語る)予備校講師の前などで名前を出すと驚かれました。あるいは、これも教職で必要だった憲法の単位も、長谷部恭男先生と高橋和之先生の授業を受けています。教員だったあるとき、『芦部憲法』(有名な憲法の教科書)を机に置いている若い非常勤の社会の先生に「この(芦部憲法に加筆している)高橋和之先生から憲法を教わった」と申しますと、「うらやましい!」と驚かれたものです。これが東大で学ぶことのありがたみのひとつでした。その道の超一流の先生から学べるのです。本日の進化論の先生のお名前は失念しました。でも、とてもおもしろい講義でした。
チャールズ・ダーウィンはイギリスの生物学者です。『種の起源』という有名な本のなかで「自然選択」ということを書いています。「自然選択」は英語では「ナチュラル・セレクション」と言います(ダーウィンはイギリスの人ですから英語ですね。)ここでいきなり脱線しますと、私には司書の経験があります。その図書館にあった『種の起源』は「種の起原」と「種の起源」と2種類の表記があったのです。「げん」の字が異なることにお気づきでしょうか。ご承知の通り、私はこういうことはすごく気になるのですが、多くの司書さんは気にならないようでした。脱線おしまいです。以下「種の起源」で統一しますね。私は『種の起源』そのものを読んだことはありません。なんだか私はユークリッド『原論』も高木貞治『解析概論』も読んだことがないのと同様の現象のような気もしますね。そのなかに「自然選択」というダーウィンの偉大な発想が出て来るのです。これをおおざっぱに紹介いたします。
キリンは首が長いですね。それで、木の高いところの葉っぱも食べられるのです。では、どうしてそのように進化したか。首が長いと高いところの葉っぱも食べられるなあ、首が長いといいなあ、と思いながら、歴代のキリンは首を長くしていたら、だんだん長くなっていったのでしょうか。ダーウィンの「自然選択」はそのようなことを言いません。自然選択という発想を以下に述べますね。昔のキリンはそれほど首が長くなかったのかもしれません。しかし、「個人差」というものがあります。人間なら「個人差」と言いますが、キリンは「個体差」でしょうかね。植物で「個体差」と言うのかどうかは知りません。ごめんなさい。「個人差」は、たとえば足の速い人/遅い人、食べるのが速い人/遅い人、背の高い人/低い人、睡眠時間が短くてすむ人/長く眠る人など、さまざまなものがあります。どれがいいとか悪いとか言っていません。たんなる個人差です。これはキリンにも個体差があるのであり、やや首の短いキリンと、やや首の長いキリンがいたはずです。そして、わずかな差ですが、やや首の長いキリンのほうが、高い木の葉っぱを食べるのに有利であったはずです。すると、わずかですが、やや首の長いキリンのほうが、短いキリンよりも生き延びる可能性が高く、多くの子孫を残す可能性が高いです。そして、子は親に似ますので(ダーウィンの当時には「遺伝」ということも知られていなかったようですが、「子が親に似る」ちということは知られていたでしょう。旧約聖書続編トビト記でも、トビアが父トビトにそっくりだと言われる場面があります。7章2節)、つぎの世代は、ほんの少しだけ、首の長めのキリンが多めになることが考えられます。これが、何十世代、何百世代、何千世代も繰り返されたらどうなるでしょう。きっと、キリンの首は際限なく長くなっていくと考えられます。こうして現代のキリンの首は長いのだ。そう考えるのがダーウィンの「自然選択」という発想です。言われてみればそうかも!これ、ものすごい発想だと思いませんか?
(細かい議論は置いておきますよ。おおざっぱにダーウィンの言いたかったことを書きました。)
もうひとつ、例を挙げます。ナナフシという虫はご覧になったことがありますでしょうか。私は東京のど真ん中で見たことがありますね。東京って参勤交代をした地方の殿様の御殿がたくさんあったので、いまでもそれがたくさんの公園になっており、思ったより緑の多い土地ですね。私はそんなある殿様の土地にあった学生寮に住んでいまして、そこにはいろいろな生物がいたものです。ナナフシもいました。ほんとうに木の枝そっくりの形をしたふしぎな虫です。どうしてナナフシは木の枝そっくりに進化したのか。それは、さっきのキリンと同じように考えますと、以下のようになります。かつてナナフシはそんなに木の枝そっくりではなかったのかもしれない。しかし、目立つ虫は敵に見つかって、食べられてしまいがちです。ナナフシにも個体差があります。目立つナナフシと目立たない(少しだけ木の枝に似ている)ナナフシがいました。少しだけ木の枝に似ているナナフシは、あまり敵に見つからないですみます。まぎらわしいからです。すると、少しだけ木の枝に似ているナナフシが多めに生き残る傾向にあります。そして、子は親に似るのです。すると、ナナフシの次の世代は、前の世代より、ほんの少しだけ、木の枝に似た個体が多くなる傾向にあります。これが、何十世代、何百世代、何千世代と繰り返されたらどうなるでしょう。こうして、現在のナナフシは、ものすごく木の枝にそっくりに進化したのです。この発想がダーウィンの「自然選択」です。すごい発想ですよね。私の言わんとすること、伝わっていますでしょうか?
あとは同じでありまして、種類はわかりませんが、木の幹にそっくりな虫などがいますでしょう。あれも、見つかりにくいように木の幹に「擬態」していると言われていますが、なぜそのように進化したかと言いますと、ダーウィンによれば、敵に見つかりやすい目立つ個体は食べられてしまって滅びる傾向にあるのにたいし、敵に見つかりにくい個体は生き延びて子孫を残す。そして子は親に似るのであって、そのようにして何千世代も繰り返されたら、ついに木の幹にそっくりな虫になる、というわけです。
(少し脱線です。しかし、重要な脱線かもしれません。ダーウィンは『種の起源』でこの自然選択という自説を披露するのはかなり迷いがあったらしいのですね。というのも、その時代は19世紀半ばであり、これを主張すると、キリスト教の教える「神様がすべてを作った」という旧約聖書の創世記の記述と矛盾するからです。学問を追求していくと、ついに宗教の教えを超越する例としては、『チ。』というマンガで描かれる「天動説」と「地動説」の話が有名です。その話は過去の話になっていますが、進化論と創造論の話はいまでも火種になっていることを知っていますので、炎上しないうちにこの話題はやめますね。私に言えることは、われわれは人間がサルから進化したところも見ていなければ、神様がアダムとエバを造ったところも見たわけではない、ということです。)
ここまでが、「自然選択」の基礎です。これだけなら私も高校までには知っていたかもしれません。その、大学1年のときの興味深い講義のお話はここからです。もっとも、30年近く前の話ですので、30年くらい前の最新の学説である可能性があります。この30年間のあいだに定説は変わっていっていると考えられますが、どうかその点はおゆるしくださいね。
オスとメスの違いの話をよく覚えています。オスとメスが極端に異なる生物がいることがあります。たとえば、人類は、その先生によれば、それほどオス(男)とメス(女)の差はありません。たしかに男性のほうが女性よりも体が大きく力が強い傾向にあります。しかしそれは傾向の話であり、たとえば私のように男性でも力のない者もいるわけです。それで、その先生のおっしゃりたかったことは、たとえば「男性は女性の2倍の大きさである」というほどの差があるわけではない、ということでした。これが、クジャクのオスとメスのように、著しく雌雄で異なる種もあるわけです。先生は、ある鳥を例に挙げておられました。その鳥の名前を忘れて申し訳ございません。なんでも、その鳥は、オスが、メスの気を引くために、ものすごく立派な巣をつくるのだそうです。いかに立派な巣をつくるかというのがオスの腕の見せどころで、立派な巣をつくれるオスほどメスからモテるのだそうですね。そのように、オスとメスで著しい差のある生物はいます。では、なぜオスのあいだでメスの取り合いが起きるのか。オスとメスというのは、基本的に、同じ数だけいるのではないの?なぜ、オスのあいだでメスの取り合いになるの?という問いに、その先生は明解に答えておられました。
すなわち、妊娠中のメスはつぎの子孫はつくれません。(動物でも人間と同じように「妊娠」という言葉を使いますね?)出産や子育てをするのもメスならば、そのあいだもメスはつぎの子孫をつくれません。種にもよりますが、さきほどの鳥でいいますと、オスはその間も、ずっと「すぐにでもつぎの子孫をつくれますよ」という状態であるわけです。つまり「いますぐにつぎの子孫をつくれる」状態にあるオスとメスでは、オスのほうがずっと多いならば、オスのあいだでメスの取り合いがおきるのです。どなたの説が存じませんが、すごく説得力のある説だと思いませんか?その先生は、人間は、子どもが出来ると男性も家族を養うために狩りなどに出かけなければならないため、それほど「オスのあいだでメスの取り合い」にならないので、それほど人間のオスとメスは違わないのです、とおっしゃっていました。おそらく、そのオスがやたら立派な巣をつくる種の鳥は、オスはほとんど子育てに関与しないのでしょう。クジャクの雌雄がだいぶ違うのも同様の説明がなされるのだろうと思います。
クジャクの話ですが、これはダーウィンまで話が戻ります。ダーウィンは、クジャクのオスがなぜあんなに派手なのかは説明できなかったと聞いています。自然選択という説が正しければ、クジャクはわざわざ敵に見つかりやすい、あのような派手な柄には進化しなかったはず…。これを、その先生は以下のように説明していました。(注意してお読みくださいね。一読して理解できるようにうまく書けるかどうか、自信がありません。)つまり、クジャクのオスが派手なのは、「逃げ足の速さ」を誇っているのだ、ということです。クジャクのオスはあんなに派手なのに、敵から逃げるのが速いということ。それをメスが「強いオスだ」ということで好むように進化してきたというのです。そして、メスの「オスの好み」も遺伝するそうです。つまり、派手好きなメスの娘は派手好きの傾向にある。そうやって進化してきたのではないか、という説でした。この記事をお読みの皆さんにうまく伝えられたかどうかははななだ自信がありません。クジャク以外のこういった例も挙げておられました。
最後に、先生がおっしゃっていた印象的な話を書きます。これはここまでの話と独立した話です。類人猿のオスの睾丸の重さの体重との比と、その類人猿の一夫多妻の程度が、強い正の相関があるという学説の紹介でした。よくは覚えていませんので、間違いがありましたらすみません。たとえばその睾丸の重さ説によれば、テナガザルは完全な一夫一妻制だそうで、実際にそうだそうです。ゴリラは違いますね。はっきりした一夫多妻制です。1頭のオスにたくさんのメスがしたがっています。チンパンジーはどうだったか、よく覚えていません。そして、この説を人間に当てはめると、人間は「やや一夫多妻の傾向にある」となるそうです。これは事実に反しているように思えます。日本でも一夫一妻制であり、多くの国で一夫一妻制だからです。でも、その先生はおっしゃっていました。確かにいわゆる先進国と言われる国では(建前上)一夫一妻制だけれども、世界を見渡せば、一夫多妻の文化のほうが多いのですよ、と。そこでその先生は、類人猿のオスの睾丸の重さと体重の比の説は、人間についても当てはまる、と結論していたのでした。もちろん、倫理的な話ではなく純粋に生物学的な話であることを、慎重に言葉を選んでおっしゃっていたと思いますが。たしかに、旧約聖書のソロモンには七百人の王妃と三百人の側室がいたと書かれています(列王記上11章3節)。創世記のヤコブにも、サムエル記上のエルカナにも、複数の奥さんがいます。よく教会でも話題になるのですが、そのたびにこの先生の授業を思い出します。生物学的には人類は一夫多妻制なのではないかというお話です。ちょっとダーウィンから話が逸れましたけど。
というわけで、学生時代に授業を聞いた、ものすごくおもしろかった進化論の先生のお話でした。30年がたちますが、学生時代に聞いた教養の授業で最もおもしろかったもののひとつです。もちろん細かいところで私はミスしている可能性が高いですし、30年もたてば定説は変わっているでしょう。それでも書いておきたかったのです。
NHKの『ダーウィンが来た!』という番組は、その題名に反して、ダーウィンの「自然選択」という偉大な発想をきちんと伝えてくれる番組ではありませんでした。私は生物学については門外漢ですが、少しでもダーウィンの思想を伝えたくて、本日はこの記事を書きました。以上です。ここまでお読みくださりありがとうございました。
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