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人生は、コントロール不能

こんにちは。
久枝です。

7月も下旬になり、千葉へ引っ越してきて2か月経とうとしています。
私の住んでいるところが
まぁ天気の移り変わりが激しくてですね。

今日なんて、最寄駅から家に帰るのに自転車で10分もしないんですが
その間に人生イチのずぶ濡れを経験しました。

ちなみに、駅に着いたときは小雨。
そこから5分で土砂降り(笑)

家について30分したら、晴れている。

こんな状況で、本当によく天気が変わります。

私は4階に住んでいるんですが
4階は結構風が強めなんですね。
でも、1階まで降りてみると、風はあまり強くないとか。

そんな感じで、地元・北海道に居たときよりも
天気の移り変わりが面白く
まるで情緒不安定な彼女と付き合っているみたいで、おもろいです。


さぁ、今日も取り留めのない話を綴ろうかと思います。


コントロールを手放す努力


千葉に越してきてから、通勤というものを久々に経験しておりまして
新宿まで毎日1時間かけて通っております。

その時間に、英語のシャドーイングをしながら
読書をするというのが最近のブームなんですが
(なんか洗練されていていけ好かないブームだな)

今読んでいる本は、過去に読んで感銘を受けた本を読み返しています。

私、漫画も読むんですが
漫画も含む本というものを、あまり読み返すことってないんです。

買ってから3年経って思い出したように初めて読み始める、とかもザラにあったりして。


そんな私が、今明確に
「過去に読んだこれが、今読みたい」
と思って読み返していた本があります。


サレンダー マイケル・A・シンガー著

この本、3年前位に人の勧めで読んで
その時は「なるほどー、そんな世界があるのか」くらいの解釈だった気がします。というか、まだ3年しかたってないことに驚き…
(6年くらい前に読んだ気がするくらい、濃い毎日)
(多分、この本を読んで感じたこととかも過去にNOTEで書いてる気がする)


簡単に内容を説明すると、超絶理系のスピリチュアルって何?という学生が、ある日、自分の頭の中でうるさくしゃべっている自分(エゴ・思考とされている)に気づき、そのしゃべっている自分を見つめているもう一人の静かな自分(魂や感覚)がいることにも気付いたときから、急速に内観をしていき森の中に住むヨギになっていくノンフィクションストーリーです。

ヨギなのに、スピリチュアルな静かな自分を求めてエゴの声を手放しまくった先に、アメリカでIT業界の大企業を一代で築き上げるマイケルさんの実話です。

ここだけでも意味不明。

マイケルさんがなにをしていたかというと
本書を通して一貫して伝えているのは

「エゴ(自分の好き嫌い)を手放す努力をしただけ」なのです。
そしたら、人生が勝手に望んでもいない方向に導いてくれていた、というのがこの本の言いたい事なんですが。

この本を紹介された3年前は、北海道に戻ったばかりのころで、福岡の人と繋がりも濃かったので、福岡の友人が進めてくれました。
私自身、スピリチュアルな世界に踏み入れて1年そこらのヒヨコだったので、単純に「すげーな!」と、どこか他人事だったのを覚えています。


そして、3年経った今、無性に読みたくなり
手に取って読んでみました。

やはり、読みたくなって読むのと、進められてなんとなく読むのとでは、入り方が全然違うというのと、この本を読んで感じたことが

「3年前と同じ本なのに、受け取り方の深さが全然違う!」ということに自分自身驚きました。
もちろん、響く言葉がその時々で違うのは当たり前だと思いますが、私が一番感じたのは、"心の震え”の違いです。

3年前も感銘を受けたはずだけど、今読むと、マイケルさんが経験したことと率直な言葉の深い意図が以前よりもリアルに感じられて、マイケルさんの
「手放す」ということが、どれほど大きな決断でシンプルな行為であり、シンプルだからこその難しさを物語っていると感じています。

そして、その素晴らしさとすごさ、見えない世界の導きを私自身が3年前よりリアルに感じられているからこそ、本を読み進めていくたびに電車で涙をこらえている始末…。

なんだろう、なんというか、ありがとうしか感じられないくらい、たびたび心が震えてしまいます。


ただ、手放しただけ。

そこには、自分の意思・想い・願望・好み・望み・家族や、食、家まで様々なものが含まれています。

持っているものは1つだけ。

「森の中で瞑想をしていたい」

たったこれだけを大事に育ててきたということが、真摯に描かれた一冊です。

物質を手放すのは、捨てたら実際に空間が広がるからわかりやすいど、思考を手放すって、一般的にはどこまでが自分の思考かなんて、区別できる人の方が少ないです。

そんな中、スピリチュアルなことを全く知らない人が、導かれるようにその道に進み、現実でも大きな成功を収めて、それでも「森に居たい」と強く願い、その信念だけを守り抜くって、一見単純な話だけど、すごいことだなって思うのです。


それだけ、スピリチュアルな本質に目覚め、追い求めていくって、本当に簡単じゃない気がする。
(簡単じゃないって言っている段階で、私が欲まみれなんですけどねw)


そして、今私がこの本を読みたくなったのも
やはり理由があるわけでして。


昨年の、台湾旅行の時に食らった衝撃の「強制リセットボタン」
こちらを経験してから、私の中で

【佐々木久枝はただの器であり、佐々木久枝が人生をコントロールするのではない】
というのを日々実感していたからこそ、サレンダーが読みたくなったのです。

その時の記事を見たい方はこちら▼

そして今、実は私がこっそり「サレンダー」でチャレンジしていることがあります。(どんなことかは秘密ですが)


本気で、私の自我を介入させずに、どう物事が運ぶのか
めっちゃ怖いけど我慢して(ちょっと焦って)見守っています。

タイムリミットももうすぐ来るのですが
人生はどう運んでくれるのか。

現実で起こったことは起こったこととして
逃げずに向き合いますが
今は自分を委ねる練習を、意図的にやっています。


過去の記事で、私は仕事の転職においてサレンダーしている、と書きました。それは、なんも不安もなく、「ただこうなるんだろうな」に身を委ねた結果、実際そうなったのです。
仕事においては、焦ることがなかったのです。

でも今回は
コントロールしたい概念が強く残る部分において、あえて自己と距離を取り、身をゆだねることにしました。

無意識にコントロールしていた分野なので
もう、今めっちゃ怖いです(笑)

でも、今はそこを手放す。


現実的には、どう足掻いても私が望む結果にはならないと思います。
だから怖いんです。

でも、グッとこらえて
今は自分に栄養を与える時期とみなし、動かないことを決めました。

結果はどうなるかわかりませんが…。

自分を信じて、心を穏やかに過ごしていこうと思います。



さぁ、私も深い瞑想しよう♪

今日はここまで!
ありがとうございました。









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