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親の言葉がけが子供の人生に作るもの。

親が子供にかける日常の何気ない言葉は、その子の人格や人生を作るうえで、かなりの比重で影響を持ってしまうものだな、と最近良く思う。
不安定になった不登校の息子たちを見ていると、ただただ反省しかなくて、原因探しを無意識にしてしまうけれど、巻き戻せない時間に降参し、この先、今この瞬間から何ができるかについていつも考えている。

私は息子たちが不登校になるまで、〜すると大変だよー、とか、〜になっちゃうとお母さん助けられないよー、とか、とにかく脅迫的な言葉がけをして育ててしまった。
結局その言葉どおり、彼らの思春期の現状はけっこう大変なことになってしまった。

親の言葉がけは、子供の人生を左右してしまうものだと痛感してから、私は発する言葉について気を付けるようになったけれど、神経を病んでまで気を付けるあまり、何を言っていいのか、もはや何もわからなくなっている。


子供は何でもお見通しなもので、親がうわべで発する言葉は、「無理してるな」とか「思ってもないな」ということはすぐにわかってしまう。

本当に心の底から考えを変えないと、子供に伝えたい前向きな言葉は、なかなかそのまま届かないなとつくづく思う。
子供に対してに限らず、人間関係の根幹はそこにあるような気がする。

そこが、親の厭世的な言葉に疲れてきた私には意識的な努力のいることだなと思った。親から浴びたネガティブな言葉で萎縮する思考を、根っこから、できる限りポジティブなものに変えて変換しなければならない。

私が息子たちに発する言葉を変えるためには、うわべだけのポジティブを届けないように、心の底から価値観を変えないといけない。

自分の言葉に思いを乗せるには、言葉と行動を一致させることから始めようと思った。
疲れたら疲れたと言い、やりたくなかったら断り、やりたいことは思い切りやる。

それがなかなか難しいのが実際のところで、とにかくまずは、好きなものは好きと、かわいいものはかわいいと、心地のよい感情をいちいち大事にすることから始めてみている。
特に、好きなものを好きだと言うことが、私はいつからか苦手だと自覚した。
好きなものを好きと言うのがこわいのは、自分が好きなものを親に取り上げられた思い出でこうなってしまっている。そして私も、息子から一方的にゲームを取り上げたりして、それはもうひどい反撃にあっているから、相手の好きな気持ちを理解するためにも、自分の好きな気持ちも軽視してはいけないと思った。自分の感覚も、相手の感覚も、軽視してはいけないものだと。

まずは自分から変わりたいと、この子育てで思っている。

親の言葉がけは、子供の人生を左右させてしまう何かを毎日植え付けている。子供が大人になって、親からかけられた言葉で苦しまなくていいようになる、それがいまのところの目標のひとつ。

今までの私の間違った声がけは、彼らの中で、もう刻まれて消えないだろうな、と、悲しくもなるけれど。

だからこそ、これからを変えたい。

その前進を、少しずつ少しずつ薄皮を重ねるように時間をかけてやっていく毎日の中に、いつか見つけたい。










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