栄養学の限界③
常識を疑う
こんにちは!おとんです!
ここまで、栄養学の限界について2回お伝えしました。
このシリーズの目的は、皆さんに世間の常識となっている栄養学をそのまま受け入れるんじゃなくて、色んな角度で食について考えてもらうことです。
そして、今まで食材を無意識に買っていたとたら、これからは食材を取捨選択するクセをつけてもらいたいのです。
という訳で、今回でこのシリーズは最後。
また違った視点でお話ししていきます。
それでは、早速始めていきましょー!
これまでのまとめ
現代の栄養学では、ざっくり言うと、
①身体に必要な栄養素を全て数値化する
②必要な分だけ食べる
という流れです。
第1回では、このうち、
①身体に必要な栄養素を全て数値化する
って、そんなことできるんですか?ということをお話ししました。(全部わかってるという態度自体が傲慢(ごうまん)だってね。笑)
第2回では、
②必要な分だけ食べる
と言っても、消化する時の吸収率が条件によって変わるから計算なんてできないのでは?というお話をしました。
そして、今回も
②必要な分だけ食べる
という部分の中で、栄養素を計算する時の大前提がおかしくないか?という話をしていきます。
どの食材も成分は同じなのか
食べた物の栄養素を調べる方法として、一般的には、
文部科学省の日本食品標準成分表
などを参考にすることが多いはず。
例えば、人参の場合。
人参100グラム中に糖質やタンパク質などの栄養素がどれだけ含まれているか、
さらに、生の人参、茹でた人参など、調理法によって栄養成分はどう変わるのかなどが書かれています。
これ、誰でも見たことなるような表だと思いますが、おとんにはめちゃくちゃ違和感があって。
それは全ての人参を同じものとして扱っていることです。
例えば、昔の人参と今の人参とでは栄養分が全く違うとも言われています。(昔の方が栄養素が何倍も高かったらしい。)
それと同じように、一般的な肥料や農薬を使って育てた人参と、無農薬無肥料の自然栽培で育てられた人参、これって含まれている栄養素は同じなのでしょうか。
必要な栄養素を全て人工的に与えられた人参と、自分の力で土の中から栄養素を吸い上げた自然栽培の人参とてまは、果たして、同じ人参なのでしょうか。
おとんは絶対に違うと思うのです。
西洋医学との共通点
これって、西洋医学における人間の扱い方と同じだなって。
全ての人間はそれぞれの個性があって、1人1人は違う。
それって当たり前のはずなのに、西洋医学では同じ病名に対しては同じ治療を行います。
そして、例えば、7-8割の人には効果はあるけど、その他の人には効果がないという薬があったとして。
その効果がなかった2割の人達は仕方がないと言って切り捨てられます。
今は人種によって薬の効き方が変わるということがわかってきていて。
しかし、例えば同じ日本人だって、生まれた土地が変われば、身体は違うし、
例え、同じ土地に生まれたって1人1人違って当然なんです。
そういうなと同じで、やっぱり全ての人参を同じ人参と扱うのは無理があるし、
何よりそれによって、「人参ってどれでも同じなんだ」という先入観が植え付けられてしまって、思考停止になってしまうのが1番怖いですよね。
リカバリー効率を意識する
人参にもいろんな種類があって、ちゃんとリカバリー効率の高い人参を選ぶ。
「人参なら何でもいいや!」ではなくて、ちゃんと自分の身体の事、家族の身体のことを考えて食材を選ぶ。
おとんはそういう意識が当たり前になればいいなと思ってます。
もちろん、出された食事を感謝して食べるのはとっても大切なことです。
しかし、今はその辺に売っている食材が結構ヤバい状況で。(知らないと引っかかってしまうワナがたくさんあるというか。)
だからこそ、自分で選ぶ意識を持って欲しいなと思ってるんですね。
食材のどこがどうヤバいのかに関しては、これからの記事で詳しくお話ししていきますね。
というわけで、今回はここまで!
ありがとうございました!
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