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0822「つくるって楽しい」

今日は24時間テレビにて志村けんさんのドキュメンタリードラマがあった。
「画面を通して素を見せることない」
「番組が家族みたい」
「つづけていこうね。必ずいいことがあるから」
「焦るんじゃないよ」
「出会う人に居場所を作ってあげるんだよ」
「自分自身に飽きちゃダメ」
「まずは自分が楽しもう」
「緊張することは悪い事じゃない。それは真面目に取り組んでいるから」

人生で知ったこと学んだことを誰かにつなぐこと。

番組内では数々の志村さんの言葉やエピソードが紹介された。
そんなドラマを見ながら思った思いがある。

「つくるって楽しい」

という思いである。そんな1つの思いがドラマを見ながら何度も感じさせられた。

「つくるって楽しい」。なにか1つのものを、1人1人が思いをもって純粋に「いいと思うものをつくりあげよう!」とすることは、本当に本当に楽しく嬉しく苦労もいとわないものだと思う。「めんどくさい」という労力のかかりそうなことであっても、それが「おもしろい」等につながるなら全く苦にならない。これは本当に不思議な感覚である。ここには何よりも自分が楽しんでいる姿がある。作品に対する思いが複数人重なってできあがっていく過程など、何歳であっても楽しく何歳になってもその経験は強く刻まれる。

思えば私は図工の時間が好きだった。なにかを自分の想像でつくりあげるあの作業が、そしてできあがった作品が好きだった。
私は自分に対しての自信は底の底の底に置いてしまっているのだが、自分の作った作品は割と好きだったりする。「これはなぜだろう?」と思っていたのだけれど、きっと、おそらく、この図工の時間のおかげだと思う。
図工の先生は決まって私の作品をほめてくれていた。作品に対して敬意を持ってくれていた。「もっとこうしたらよくなるんじゃない?」と作品に敬意を持ちながらどうしたらもっとよくなるかのアドバイスをくれた。この言葉が嬉しく感じるのも、きっと普段から私の作品に対して何度も褒めてくれていたからだと思う。いつも褒めてくれる作品に対しての愛があるからこそ、その人がくれるアドバイスはどんなものであっても嬉しいのだ。

言葉ごなしにアドバイスと称してけなしてくる人とは違う。

アドバイスでも全くもって違うものだ。

自信のない私に、私がつくったものは褒めてくれる場所を与えてくれた。自分がしたいと思いつくままにやったことが、私の生をつなぎとめてくれた気がする。作品をまたつくりたい、という思いを生み出してくれたのも、そんな先生の作品に対する愛や言葉があったからこそだ。深くそう思う。

夢中になっていたものをやめてしまったのはいくつもある。あきらめずに、ある人の言葉に傷つかずにやめていなかったら、続けていたら、どうなっていたのだろう、と思うこともある。


「つづけていこうね。必ずいいことがあるから」


という志村さんの言葉はそんな今の私に強く響く。つづけるって難しい。「好き」であっても、置かれている環境、周りの人の何気ない一言で、「好き」の意志を持ち続けることが苦しくなる。「自分がダメなんだ」と、自分に原因を求め追い詰めてしまう。

「焦るんじゃないよ」「自分自身に飽きちゃダメ」「まずは自分が楽しもう」

この志村さんの言葉にも私の心に深く突き刺さる。周りと比べて、自分の居場所がないように感じて焦りを感じてしまう時がある。続けることが難しくなる折れそうな地点①である。必ずしも人に課された指標は同じではないのに。囲まれた環境、限られた範囲の指標を、そこにいる人たちが満たされている法則性を勝手に作り出し、自分はそこに入っていないと落ち込んでしまう。そうなったときに見れる範囲を広げてくれる大事な言葉だと思う。

「焦ってはいけない。君にはこれがある。」「自分自身に飽きちゃダメ」というのも自分のしていることに続ける信念を持ち続けることがどれほど大事かが伝わる。それほど持ち続けることは難しく、折れてしまう人が多いということでもある。持ち続ければ、君の「好き」はいつか変革を起こす。「自分が楽しもう」自分がいいと思う状態を保ち続けよう。自分がいいと思う状態の物を続けてつくれているのなら、自然と人はついていく。だからこそ、そのつくるものに対して自分が一番愛情を持てるように。私にはそんなふうに感じれた。

改めて「つくるって楽しい」という思いが強固された。今日はそんな一日だ。
自分が好きと思える作品をつくること、焦らずつくり続けよう。必ずいいことがあるから。今日も明日もつくりあげる。


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