すみませんが、コーヒーをふたつ

白いカップの一部、細いふちが、淡く色づく。私はそれが嫌いだった。想像していただけるとよく分かると思うのだが、例えばある休日の昼近く(別に平日でも構わないけれど)、あなたとパートナーがコーヒーショップへ行ったとする。ショップはシャッターが上がってまもなくといったところだけれど、天気がいいからか、そこそこ混んでいる。あなたの隣にはパートナーが座る。あなたはウエイトレスに声をかける。「すみませんが、コーヒーをふたつ。」
ふたつのカップの上にはふたつぶんの湯気が揺らめいて、その向こうに笑う彼女の白い歯が見える。我々はしばらくコーヒーを楽しみ、そしてそののちに席を立つ。カウンターに残されたのは、白い空のカップがふたつ。片方には、淡い口紅の跡が残っている。

さて、いつまでも感傷を引きずるのは嫌だったので、私は仕事の一環としてコーヒーカップのデザインをした。白い小ぶりのカップだ。細いふちには、淡い口紅の跡がプリントされている。

意外だったのは、これが結構売れたということだ。洒落の効いた商品として、デザイン雑誌から掲載の申し込みもあった。洒落か。なるほど。
しかし名前が上がるとその分別のものも引っ付いてくるもので、苦情や苦言もたくさん来た。その多くは「別れた女を思い出すからやめろ」というものだった。私はそういった電子メールやら手紙やらアンケートはがきやらを、集めて、束にして、大切に取っておいた。
誰もが、似たような世界で生きているのだ。もちろん私も。

しばらくすると、また別の苦言も届くようになった。曰く「口紅の跡というのは女性の性を強調するものであり、つまり女性という存在の蔑視なのではないのか」と。
口紅をつけるのが女性だということが既に固定観念なのでは、との返信をしようかとも思ったが、とりあえずやめて、その代わりデザイン用紙に向き直った。

1ヶ月後には、無色のリップクリームの跡がプリントされた白いコーヒーカップが出来上がった。

私はどちらかと言えば、こちらの方が気に入っている。今日も、リップクリームの跡にくちびるを合わせて、コーヒーを飲む。

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