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(本屋のエッセー:8)走らずにはいられない、という話

2022.10.11

走らずにはいられない、という話

 いつからなのか、体育の日が10月10日でなくなり、スポーツの日となったのは。毎週水曜日、子どもたちが村の運動公園で陸上教室に通っているので、私も一緒に走っている。といっても、最初に子どもたちと外周を走って準備運動をし、後は一人で勝手に運動公園の周りをぐるぐると適当に走るだけ、疲れたら歩く、を1時間弱ほど。中学時代は陸上部で、中距離の800mをやっていた。もともと走るのは好きだ。
 5年前の2017年、熊本城マラソンに面白半分で応募してみた。しかもフルマラソン。たくさん応募があるらしいし、どうせ抽選に外れるだろうと高をくくっていた。案の定、落選のメールが届く。安心?していたところ数週間後、どうやら辞退者が多かったらしく二次で当選してしまった。それならば仕方ない、腹を括って1万円という大金を払ってフルマラソンを走ることにした。
 準備期間は数ヶ月あっただろうか。毎日コツコツと練習を重ね、少しずつ走る距離を延ばしていき、タイムも良くなっていき……など私がするわけもない。そもそも本番まで数ヶ月の間、走った記憶がない、というか何をしていたのかさえ記憶にない。”フルマラソン当日は突然に”やってきた。
 熊本城が見下ろす電車通り、にひしめく人、人、人。コロナもまだないお祭り騒ぎ。前のグループから出発して、後ろの方のスタートだったか。直前に知ったのだが、どうやら各区間に”関門”というのがあるらしく、そこを時間内に突破しなければ回収車にドナドナされるという悲しき結末が待っているという。ペースがわからずちんたら走っていたら、早くも第一関門がどこにあるかわからないうちに回収車が近づいてきた。えっ!?もう来たの?と焦ってペースを上げて何とか第一関門を通過した。そこから地獄の始まり。関門は10箇所くらいあっただろうか。歩いていたら絶対に間に合わない。とにかく走り続けるしかなく、結局ほとんどの関門を閉まる1〜2分前に通過した。
 ゴールの制限時間は7時間、私のタイムはというと……6時間45分。ギリギリ中のギリギリ。30キロ過ぎて何度か諦めそうになったが何とか走りきったのは、私の性格上「ここで辞めたら何年か後にまたチャレンジしようと思いかねないな……そりゃゴメンだ」というただそれだけの理由であった。タイムは置いといて「走り切った!」と堂々と言えるのでもうやらないであろう。走り終えるまで知らなかったのだが、トレーニングも何もしていないのにいきなりフルマラソンを走ったわけで、終わった後の骨の痛みが凄まじく、全身打撲したような身体になり、車に乗り降りするのもやっとで数日間また違う地獄が待っていたのだった。
 話を戻そう。8月から始めた「キッズと一緒に週イチ楽しいランニング!」は細々と続いている。水曜日はビニールハウスに1日入ることが多く、その後の締めのランニング。どこまで自分を追い込めば気が済むのか。とにかくキツい。水曜日が一番キツい。キツいならやめればいいのに。誰かが言った。「止まったら死ぬマグロみたいだね。」私は言う「マグロじゃなくてサメがいいな。」

(終)

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