正社員を捨てたら正社員になった

10年ほど前、会社が倒産した。会社を丸ごと買い取った会社は「全員引き取る」といいながらも、私は切り捨てられた。多分、理由は上役とのトラブル。信じていた上役に裏切られ、粉飾決算をさせられそうになった。それを新会社へ訴えた。私は新会社が嘘の決算報告を信じて、ゼロどころか大マイナスのスタートをすることを危惧して訴えた。

新会社は真実より粉飾決算を選んだ。私は最後までそれに関わるのを拒否し、命令するなら「指示書を記名捺印付で出す」よう訴えた。倒産期日は迫ってくる。上役は指示書を出すのを拒否する。その中で折れたのは上役だった。しかし、私は捨てられた。

次の仕事を探せども探せども40過ぎの資格も特技もない私には、面接さえも許されないことが多かった。某サイト、某派遣会社…ありとあらゆるところで応募をしまくった。それが100件を超えた頃、ある会社に就職できた。

が。

そこでひどいパワハラにあい、私は病んだ。そして、休職後、なんとか他の会社に就職できた。けれど、そこでも恐ろしい目にあった。まるでギャグ漫画にでもでてきそうなお局さまの罵声とピリピリした雰囲気に、同時に入社した女性は、電車の中で倒れそうになる程に病み、やめていった。

そこへ旦那が派遣の仕事を持ってきた。まずは拒否をした。それは「正社員」もしくは「紹介予定派遣」ではなかったから。正社員だったから、倒産した会社でも、ほんの少しだが退職金が出たし、倒産の日まで雇用された。次の会社では病んだが、傷病手当金も受け取り、半年も休んでいられた。


派遣やバイトより、正社員は恵まれている


それを私は骨身にしみて知っていた。確かに誰もが知る大企業の子会社で、万が一でも正社員になれれば、福利厚生もしっかりしているし、贅沢を言わなければ安定して仕事を続けられるだろう。

でも「派遣」なのだ。しかし、旦那は頑なに引かなかった。
旦那は極小の派遣会社に勤務している。自分で言うのもなんだけど、私は真面目な方だ。旦那もここで大手企業に食い込みたいと言う欲があったと思う。だから真面目に勤められる、自分の言いなりになる人が欲しかったのだろう。
それに、当時、勤めていた会社は少し遠かった。それがかなり気に入らなかったようだ。誤解の無いように付け加えると、いくつかピックアップした中から、その会社を受けるように選んだのは旦那だ。だから、旦那がそこまでして辞めさせようとするのが、私には腹立たしかった。
オマケにペーパードライバーの私に車通勤必須の仕事を持ってきたのだ。

そんな時に、同期の女性が倒れるほどに悩んで仕事をやめてしまった。一日中、身体中の毛を逆立てるほどピリピリした中で、ひとり神経をすり減らしていくのは、目に見えていたし、避けたかった。彼女の退職で、私の中で何かポキリと折れてしまったようだった。

そして私は「正社員」を手放した。

派遣社員は初めてでは無いけれど、初めての業界なのでわからないことづくしだった。まあ、色々とあったのは事実。けれど、ここの人たちは温かかった。人間関係が良いというのか、いわゆる風通しの良い環境だった。
会社倒産後、会社で人間関係に恵まれなかった私は、少しづつ、活きいきとして仕事をするようになった。

しかし、半年経っても正社員になれなかった。後で知ったことだが、物事には順序があって、

派遣→紹介予定派遣→半年後に正社員

と、順を追わなければならないというルールがあるのだそうだ。「いずれ社員になれれば」という甘言に踊らされていた私は、なかなか紹介予定派遣にさえなれずにいた。
痺れを切らした私は何度も旦那を焚きつけた。そして1年経とうとした頃やっと紹介予定派遣の話が具体的になってきた。

そこからは支店長の独壇場❗️カリスマ性のある人だけに、行動が早かった。たまたま来社した役員には
「いかがですか?長く勤められそうですか?社員になった暁にはよろしく」と声をかけられた。
その後、まもなくして稟議書を私のデスクの上に、バン❗️と叩きつけるように置き、
「遅くなったけど、これでいいか?意思を聞きたい」と。稟議書には、これから紹介予定派遣として私を雇い、半年後に正社員として採用する旨書かれていた。
そこで、あの役員の言葉と稟議書が結びついた。根回しは済んでいたのだ。

あんなに「正社員」の立場にしがみついていた私は、それを捨てた。
捨てたら、正社員になった。通常、辞令には入社してすぐは「試用社員」と書かれる。けれど私の辞令には「正社員」と書かれていた。

何が良い方に転ぶかわからない。果報は寝て待てというけれど、倒産して10年たってやっと、落ち着ける職場にたどり着いた。これから定年まであと10年。無事に働くことができますように………

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