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14 探究的な学びのための質問、発問、問い

探究的な学びのためには「妄想」することが大切!そして、妄想するためには「問い」が重要なんじゃないの?というのが、前回の記事でした。

この「問い」については、この6年間、仲間たちと研究を重ねていて、まとまった形にはなっているのですが、現在、発表する機会を探っているところです。今回は、「問い」を音楽の授業でどう活用していくかについて、基本的な内容をまとめておきます。

質問、発問との違い

研究を進める中で、「問い」に関する本を読んできましたが、「コレだ!」と思う1冊を挙げるとしたら、この本です。

初版が2020年の6月で、すでに4万部突破とのことですから、お持ちの方も多いでしょう。この本の第1章から少しだけ引用いたします。

質問とは?

質問は「情報を適切に引き出すための手段」として位置づいています。
(中略)
多くの場合は「知らない人」が、「知っている人」に対して情報を引き出す手段を想定しているのが特徴です。
安斎勇樹・塩瀬隆幸 著『問いのデザイン』(学芸出版社)

発問とは?

学校教育における発問というのは、基本的には「答え(知識としての正解や、考えを深めるべきこと)を知っている教師」が「答えを知らない生徒」に対して、投げかける問いの工夫によって考えさせ、答えに到達させるための手段を想定しています。
安斎勇樹・塩瀬隆幸 著『問いのデザイン』(学芸出版社)

じゃあ、問いとは?

本書が目指す「問いのデザイン」の方法論は、認識と関係性の病いによって、誰も「答え」が見えなくなってしまっている問題状況のなかで、創造的対話を通して向かうべきゴールを探りあてていくための手段として、位置づいています。
安斎勇樹・塩瀬隆幸 著『問いのデザイン』(学芸出版社)

この「問い」の説明にある「向かうべきゴール」って表現がイイ!わけです。なにがイイ!のかというと、「質問」や「発問」の説明では「答え」と表現されていましたが、問いでは「ゴール」になるのです。しかも、ゴールは「探りあてる」もので、その手段として問いがあると言っています。さらに言えば、ゴールに向かう過程では「創造的対話」があり、その背景には「誰も答えが見えなくなってしまっている問題状況」があるという。

音楽の授業にどう取り入れるか?を考える前に、とりあえず、安斎氏の説明する質問と発問と問いについて、整理した表を載せておきます。

表の下にある吹き出しは、左からそれぞれ「質問」、「発問」、「問い」の例です。

質問では、被質問者が昼食に何を食べたか?について情報を引き出し、発問では、発問者が昼食に何と食べたか?について考えさせる機能を持っています。

一方で、問う側と問われる側が、昼食に何を食べようか?と一緒に考える、つまりゴールを探りあてるという、創造的対話を促す機能を持っている。これが問いの機能です。

答えが存在するのか?
それとも、ゴールを創造するのか?

これが学びを探究的にするかしないかの決定的な違いだと考えます。

答え(正解)のない学びの中で

芸術科の学び、特に音楽の学びは、定まった答えがありません。
もちろん、美術や工芸、書道も同じように定まった答えはないのですが、美術や書道では、目の前のモノや古典の書を写すように描く、書くという、「素描」や「臨書」があり、これらは答えにいかに近付くか?という学びとも言えます(それだけでないことも承知しております)。

また、音楽以外の科目では学びの成果が「作品」として目に見えるという特徴があります。音楽の「作品」は生まれた瞬間から消えていきますし、たとえ録音や録画したとしても、それはメディアをとおした再生でしかありません。演奏者が聴衆の立場で作品を味わうことは、現実的に不可能なのです。

話が逸れましたが、ここからは、どんな問いによって音楽の学びが探究的になるか?を考えます。

「音楽Ⅱ」の授業で

以前勤務していた学校の修学旅行は、沖縄を訪問していたので、バスの中でも歌えるよう、「音楽Ⅱ」の授業では、アカペラで「さとうきび畑」を合唱することとしました。
ソプラノ、メゾソプラノ、アルトの3パート(あ、女子高です。)の音取りをサーーーっと終わらせて、合せてみよう!となりました。その動画を全員で確認後、再度、パートに分かれて練習をするというのが、島田の計画です。

探究的な学びとするためには、太字で示した「再度、パートに分かれて練習をする」が、教師の指示ではなく生徒の発意によって決定され、生徒のイメージや思いが演奏に表出されるような時間としたいものです。


質問するなら、「みんなの「さとうきび畑」のイメージは?」となるでしょう。(答えを持っている側である)生徒の思い描くイメージを引き出すために質問する。

発問だったら、「みんなの「さとうきび畑」のイメージは伝わっているだろうか?」として、生徒の思い描くイメージが、唯一の聴衆で(答えを持っている側である)島田に伝わっているかを考えさせる。

では、探究的な学びにするために「問い」を投げかけるとしたら、はてさて、どんな「問い」となるのか?
動画を見ながら考えて(いや、授業前に考えておくべきです。よい子はマネしちゃダメです。)、ひねり出した「問い」がコチラ!

みんながイメージしている「さとうきび畑」にするにはどう表現したらいい?

今、思い返して分析してみると、この「問い」は、
【質問】みんなの「さとうきび畑」のイメージは?
【発問】みんなの「さとうきび畑」のイメージは伝わっているだろうか?
の両方の内容を包含する
【問い】みんながイメージしている「さとうきび畑」にするにはどう表現したらいい?
となっていることが分かります。

ちなみに、『問いのデザイン』には、

見た目は一つの問いに見えていても、制約のかけ方によっては問いの中にいくつかの小問が包含されている場合があります。
安斎勇樹・塩瀬隆幸 著『問いのデザイン』(学芸出版社)

という記述があり、「複数の問いが含まれると複雑になる」と指摘し、複雑な問いは因数分解しましょうとされています(明言されていませんが、複雑な問いは避けるべきでしょう。上記の問いは、複数の問いではなく、前提条件や制約でもあるので、たぶん、大丈夫なはず。)。

問いの結果、どうなったか?

結果的には、近くの生徒同士間でザワワザワワと対話が生まれ、期待どおりパート練習に進んでいきました。特に、アルトパートの生徒達は、パート内でイメージをしっかりと共有し、

「夏の日差しの中で」の部分を、たっぷりリタルダンドして、かつ消え入るように歌うことで、この歌詞が持つ過去と現在が交錯する様子が表現できる

と考えてくれたので、それをソプラノとメゾソプラノに伝えることだけが島田の仕事となり、「あれ?先生、いつからたの?」という、いつもの扱いをされる授業となりました。←コレを言いたくて、2,700文字かけました(笑)

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