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自分しかいない世界で窒息する

お笑い芸人でいう「相方」みたいな存在にあこがれている。

そういえば中学時代って謎に友達同士で「相方」システム流行るけど、あれなんなんだろうな。
どう考えても私の方が付き合い長い親友が、他の友達に「相方」だと言われていて、ふーんと思った記憶がある。そういう中学時代の相方みたいに、執着するような関係性ではなくて、同じ目標に向かって一緒に頑張る仲間が欲しい。

私の人生に不足しているのは、友達というより仲間なのかもしれない。

仲間といえる存在がいたのは、中学時代の部活までくらいじゃないだろうか…。高校では華道部に入っていたから、目標に向かってというより、一緒にのんびり花を生けていた。大学時代のサークルは私にとって馴染めない場所だったので、そこでも仲間という仲間を築けなかった。

ひとりでいるの楽しいし気楽だし、幸か不幸かひとりでいることをさみしいとすら思わなくなってしまった私は、それでもずっと「仲間」という存在にあこがれている。

ひとつのテーブルで同じ課題をやったり、別々の卒論をそれぞれ書いたり、就活に向けて互いに面接練習しあったり。

ふつうの大学生なら当たり前のようにやることを、わたしはやらずに来てしまった。

なんなら生まれ変わったら(すぐ生まれ変わりたがる)、ノリで友だちとTikTokを撮るような高校生になってみたい。
今世の自分はそんなキャラじゃないし、なんならTikTokなんて…と引き気味で見る方の人間だけれど、本当はああいうふうに気兼ねなく馬鹿できる関係性に憧れている。

ちょっと話がズレたけれど、
そんなに真面目にやってる訳でもないのに
どうしてこんなに就活がしんどいんだろう、と思ったとき
私の考えていることを100パー開示できて、話せて、
受け止めてもらえる(と信じられる)相手が
そばにいないからなのかもしれないと思った。

定期的に人生の相談に乗ってくれる友人はいるけれど
彼女にも生活があるし、人生があるし、
なんとなく私の負の感情に巻き込みまくるのも
どうかなあと思ってしまうところがある。

友達としていなくても、親とか先生とかに話せれば
いいのだろうけど、私は結構秘密主義というか、
この人にはどこまで自分を開示して良いものかというところで
かなり慎重になってしまう。
(そのスタンスが良くないのかもしれないけど)

自分でもよくわからない、ぐるぐるしている状態で
中途半端に話して、もし否定されたらと思うと怖い。
しかも今更、こんな時期に。

そういえば大学時代の就活の時、学部の相談室みたいなところに相談しに行っていた。
そこで話していて気づいたことがあった。その時の私は、自分が就活をすっと受け入れられないことについて私なりに考えていることを、まずは周りの人に受け止められたいと思っていた。それが上手くいっていないのが、たぶんいちばん辛かった。いや実際に結果がついてきてなかったことももちろん辛かっただろうけど笑。

結局そのときと全然変わってないような気がしてきた。

いやでもまず、伝える人がいるかどうかの前に、周りのせいにする前に、自分の中でちゃんと整理しなきゃだな。ちゃんと整理したら、伝えてみるべき人もわかるかもしれないし。

もしかしたら就活生みんなそうなのかもしれないけど、でもやっぱそういう、自分ひとりで自分に向き合うのって結構しんどいよね。生来ネガティブ思考だし。

ひとりでなんでもできるし平気、みたいな人間を装っているし頑張ろうとしているけど、実際そんなに、ひとりで頑張れる人間でもないのかもしれないな、と思ったりする。

でも他者を信用するハードルが高めなので頼るのを躊躇ったりして、なかなか世界を広げられてない。
ずっと世界は狭いままだ。

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