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頑張ると楽しむの狭間、

について、書きたくなった時に記すメモ。 ・楽しもうとすること自体、不自然な気もする。楽しむ状態は、楽しもうとするから生まれるのではなくて、過度に頑張ろうと思いすぎない状態から生まれるのでは。 ・いや、頑張るの先に楽しいが見えてくることもある。頑張ると楽しむを、分けて考えようとするから、頑張れなくても悩むし、楽しめなくても悩んじゃうのかもしれない。結局、やるかやらないかでしかなくて、そこに感情(楽しい)が乗ってくるか乗ってこないかは、やってみてからの話だな。そう考えると「頑

    • 短歌まとめ【随時更新】

      うたの日などで作ったものをまとめていきます。 ゆらゆらとスイートピーは揺れる 枯れつつある愛の巣の窓際で 初パスタ 君の真似して構えるも、手持ち無沙汰に終わるスプーン 「あの子いたら十円安いね」サン宝石のイヤリング届くまでの友だち 結婚のマスも車と子のコマも持たぬ令和の人生ゲーム 私だけ「1」しか出ないさいころを永遠に振りつづける人生 足ゆびの隙間の砂をていねいに洗いそびれたまま秋を履く それぞれの命が眠る墓そばでブルーベリーを摘み取る子らの手

      • 境い目とメリハリの話。

        やりたいこともやる気もあるけど、時間が足りない。 働き出してからようやく二ヶ月経とうとしているペーペーにとって、そのまま参考にできることはあまりないかもしれないが、読んでみた。 「疲れると仕事にならないので、深夜の仕事はありえません」 「私の仕事にとって、一番の敵は眠気なんです。企画って頭の中だけで行うことなので、眠くなってしまうと最も効率が悪くなり、時間が全て無駄になる。だからどんなに忙しくても、睡眠を充分に取ることはすごく大事にしています」 まず日を跨いでからnot

        • 古本とナルシストの話。

          気になった記事を読んで、思うことをつらつら綴っています。 古本のワゴンセールを見かけると、なんとなくワクワクして覗き込む。 でも結局「安いけど、別に要らないか」と立ち去ることが、私の場合多い。 「本を本として流通させる」ってすごく良い心がけだな、と思う。 ただその一方で、その安く買われた先、寄付された先でも不要になった時は、どこにいくんだろう。少し気になる。 古本を古本として売る時、セール品のワゴンを常設しておくより、古本市みたいなイベントがあったほうが、ついつい買っちゃい

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          2本

        記事

          変えるなら、きっと今だ。

          「変えるなら、きっと今だ。」 場所:youtubeなど (画像引用:https://doda.jp/) このdodaの広告めちゃめちゃ好き!!!なんだけどyoutubeでたまに流れる時しか見るチャンスなくて残念……。と思っていたら、いつの間にか動画として上がっていた……!!!!!! しかも再生回数がエグい。公開から3ヶ月で①は500万回超、②は850万回超。こういうのって広告として再生された回数も含んでるのかな?そのあたりの仕組みがよくわかりませんが。まあさすがにそうなの

          変えるなら、きっと今だ。

          ラジオはココロを換気する。

          「ラジオはココロを換気する。」 場所:アプリ画面 radiko、プレミアム会員ユーザーです。タイムフリー&エリアフリー、めちゃめちゃ助かる。 なんならラジカセとかで周波数合わせて聞くよりも音質もいいだろうし。 このコピーが気になってスクショしてたんですが、つい最近、阿部広太郎さんもツイートされてました。 「打球は、ラジオの方がよく飛ぶ。」というコピー、知らなかった。感覚として絶妙にわかる気がする。声しか情報がない分、刺激される想像力。 ラジオはココロを換気する。家

          ラジオはココロを換気する。

          ライバルは、お店の一蘭。

          「ライバルは、お店の一蘭。」 場所:博多駅 一蘭、とうとうカップラーメンが登場したらしい。 あえて具材なしとんこつラーメン。 このビジュアルが出てくる前に、あの一蘭ならではの個人カウンターの奥からおごそかにラーメンを差し出され……出てきたのはカップ麺でした、という映像が流れます。 20年の歳月を経てようやく満足のいく商品が出来たということで、それだけ開発に時間をかけてきたら「ライバルは、お店の一蘭。」と言いたくなるよなあ。他店ではなく自店こそライバルと言い切る、その

          ライバルは、お店の一蘭。

          読んだ本 01

          読んだ本 01

          今に満足、未来に鈍感

          大学を卒業したら、会社に勤めて働く。 当たり前の流れじゃん、と考える人もいるかもしれないけれど、私にとってはそうでもなかった。 とりあえずどこかしら会社に勤めて働くという働き方があまりピンと来なかった。そういうもんだよね、とも思えなかった。でも今思うと、それ以前に私は「働いて稼いで生活していく」必然性とか必要性に鈍感なのだと思う。 やりたいことを仕事にする方向に切り替えよう、と思って今専門学校に通っているけれど、それでも卒業後は「就職して働く」ことに全然現実感が持てていなかっ

          今に満足、未来に鈍感

          イレギュラーな時間

          この前の水木金、就活の予定で東京に行った。 就活だけじゃなくついでに舞台を観たりもしたんだけど、その旅行内容がどうこうというより、久しぶりに旅行してみて「いつものと違う時間の過ごし方っていいな」と思った。 月〜金で毎日四コマ学校があって、放課後バイトもたまに入って、土曜に講座ある日は受けて、日曜はだいたい半日バイトで…という一週間を回していた。なんか今年やたら過ぎるの早いなって思うけど、同じ時間の使い方を繰り返してるだけでイレギュラーな瞬間が少ないから、あっという間なのかも

          イレギュラーな時間

          興味の方向性を辿ってみる

          「なんかものづくりしたいなあ」という気持ちが、いつからかずっと心の中にある。でも漠然と「ものづくり」っていうけど、結局何がやりたいんだ?てか私の「ものづくりしたい欲」はそもそもどこから生まれてきているんだ?……ということで、ざっくり、自分の好きなことや今まで興味を持ってきた方向性を辿ってみたい。本当にざっくり。 時系列でざっくり辿る 小学生時代 このときの私にとって、大事だったことは ・本を読むのが好き ・漫画を読むのが好き ・絵を描くのが好き の三つ。 少女漫画雑誌

          興味の方向性を辿ってみる

          これ以上自分に絶望しないために

          もうこれ以上やらかしたくない。 こんなことをここで書いても自分のネガキャンにしかならないのだけど、私は忘れっぽい。というか、頭から抜けやすい。 小学生の頃よく、担任の先生から「オリオン座に行っとるぞ」と注意されていた。意識が飛んでいる、ぼーっとしているということである。 たぶん、脳のキャパが小さくて、いちどにいくつも覚えていられない。 別のことを考えたり意識したりしてしまうと、途端に留めておかなきゃいけない記憶がすっ飛んでしまう。 単純にスケジュールの確認不足というの

          これ以上自分に絶望しないために

          不在がデフォルト

          結局のところわたしは、自分がいる必要のない環境が苦手なんだと思う。 私が口を挟む隙も、そんな勇気もないまま楽しそうに進行していく会話や盛り上がる雰囲気は、より一層私の不在感や孤独感を強める。 一対一で落ち着いて話せる(実際は喋り倒してる)相手といるのが安心する。人がたくさんいればいる程たのしい、幸せだと思う人もきっといると思うけど。 そういえば、二人で遊ぶ約束をしていたのに急に「○○さんも誘ったよ!」と事後報告してくるような人、解せない。良かれと思ってやってくれたのだろ

          不在がデフォルト

          わたしから選んでもいい

          今更そんなこと言ってんの、って感じの段階だけど、自分なりに腑に落ちないと行動には生かせないんだよな。 就活においてやっぱりどこか、自分は選ぶ側ではなくて選ばれる側だという意識が強いなと思った。 選ばれるためには、選ばれるに足りるだけのスキルとか人間力とかが伴っていないといけない気がするし、どんなことを言えば気に入ってもらえるかを考えなきゃいけないのが就活だと思っていた。 選ばれる側であることももちろん事実だと思うけれど、選ぶ側である意識を持つことは「主体的に」就職活動す

          わたしから選んでもいい

          自分しかいない世界で窒息する

          お笑い芸人でいう「相方」みたいな存在にあこがれている。 そういえば中学時代って謎に友達同士で「相方」システム流行るけど、あれなんなんだろうな。 どう考えても私の方が付き合い長い親友が、他の友達に「相方」だと言われていて、ふーんと思った記憶がある。そういう中学時代の相方みたいに、執着するような関係性ではなくて、同じ目標に向かって一緒に頑張る仲間が欲しい。 私の人生に不足しているのは、友達というより仲間なのかもしれない。 仲間といえる存在がいたのは、中学時代の部活までくらい

          自分しかいない世界で窒息する

          無題

          たまに思う。 自分に可能性を感じていなければ、 自分のやりたいことをやろう、仕事にしようとか 夢を見ようとか、そんな期待すらせずに とりあえずは生きていけたのかもしれない。 それはそれで幸せだったのかもしれない。 私にはやりたいことがある (し、自分でも可能性を少しは感じている) と思ってしまったから、 ここまで自分の人生にこだわろうとしてしまった。 社会人になるのがこんなに遅くなってしまっているし 親にも迷惑はかけるし、でも全然まだ幸せじゃない。 一度目の就活を辞めた大

          無題