2世の悩み~就職編(関西支社配属編②)

当時の関西支社は左は沖縄、右は愛知までを管轄としており、いくつかの営業担当がいた。
私が担当するエリアになったのは東海地方、山陰地方にあるいくつかの県だった。
エリアは基本的に1県丸々担当となっており、その中で自社・他社・新規がいる中で営業活動を行うのだ。
難易度から判断すれば妥当なエリア編成だったと思うが、当時の私は外れを引いたと思っていた。
基本的に日帰りは出来ないエリアだったのだ。
ネット環境も良くなく、資料の印刷だって会社でしないといけない時代だ。
入社して半年の私は土日に資料印刷、週の前半は東海地方、週の後半は山陰地方へ出張と
とにかく外へ出まくった。
が個人で営業するにも限界がある。
そこで忘れてはいけないのが代理店の存在だ。
地方には地方に根付いている地場企業がいて、当社製品を担いで営業してくれる代理店がいくつもある。
その中でとある会社(以下A社)を絡んだのが私に強烈なインパクトを残した。
A社は基本社長と役員の2名体制でやっており、社長が基本的に全ての業務を行っていた。
確か当時の年齢で50半ばだったはずだ。
A社の窓口は私の上司(課長職)が行っていた。
上司のあとに1年目の私が担当したもんだから、まぁとにかく怒られたものだ。
「お前はよ~」とただただ罵られるだけ。
一代で会社を立ち上げた現場主義の方だったので、私の一挙手一投足が気になったのだろう。
徹底的にしごかれたのは今となっては思い出だが、当時関西支社から関東支社まで異動するまでの4年間は
地獄の日々だった。
※余談だが、決して私の実力不足を棚に上げるつもりではないが、A社社長についた部下も何名も見たが、
 全員辞めていった。やはり難しい人だったんだと改めて思った。
 
 そんなこんなで日々営業活動を行った数年後、全自治体に影響する制度改正が行われることになった。
 個人番号。
 いわゆるマイナンバーだ。
 これは本当の地獄の始まりだとは知る由もなかった。

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