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怪我人が思う、人それぞれの“いい接客”

車椅子ユーザーの気持ちを体感できるレストラン、“バリアフルレストラン”なるイベントが開催されたらしい。

天井、床、内装、店員の態度に至るまで、店内のもの全てが車椅子ユーザーに最適化された店。

それはつまり、車椅子ユーザーが感じている肩身の狭さを、いわゆる健常者と呼ばれるマジョリティが体験できる、ということだ。


このニュースの動画を観て、私は自分の接客について思った。
果たして自分の接客は、お客様に肩身の狭い思いを強いていなかっただろうか?
お客様にとって、いい接客ができていたのだろうか?


かつて、デパートの中のカフェで勤めていたとき、白杖を携えたお客様を接客したことがあった。

ホールのバイトのメンバーが新人ばかりだったため、当時社員だった私がご案内させていただいた。
とは言え私も経験が浅く、白杖を携えたお客様をご案内したのは初めてだった。
それでも、お客様に失礼があってはいけないと、全身全霊超丁寧なご案内を心がけた。

メニューのご説明、料理の提供、配膳の位置の説明。
自己評価では、完璧にこなしたと思った。

帰り際、お客様がとても丁寧にお礼を仰っていただいた。
そのときは単純に嬉しかったが、あとから、こんなことを思った。

「ここはただのカフェで、お客様はただお茶しに来ただけなのに、毎回あんなに丁寧にお礼を言っていたら疲れないだろうか?」


先月、私は脚を骨折した。
しばらくは膝が曲がらない。

怪我をしてから、初めて5cmの段差が怖いと思った。
エスカレーターもエレベーターもスロープも少なすぎると思った。

けれども何より衝撃だったのは、私が飲食店に入ることを躊躇うようになったことだった。

膝が曲がらないから、椅子に座っても脚を投げ出す形になる。
自分はある程度慣れたからいいけれど、そんな客への店員さんの反応は様々だ。

とても丁寧に案内してくれる方もいれば、戸惑う方もいる。
ただ、私にはそのどちらも、結構疲れた。

ただコーヒーを飲みたいだけなのに、必要以上に特別扱いをされると申し訳なくなる。
あるいは、過剰に戸惑われても肩身が狭い。

けれどもどちらの店員さんも悪意があるわけではない。
むしろ善意の場合のほうが多い。

それならば、私がそんな疲れを感じることすら申し訳ない。

と、ここまで考えると、飲食店の扉を開けるのを躊躇ってしまう。
(いや、それでも行くけど)


いい接客って、必ずしも丁寧な接客とは限らない。

フランクな接客がいいと感じることもあるし、必要最低限のスマートな接客がいいと感じることもある。

当たり前だけど、人によっても時と場合によっても異なるのだ。

「目が不自由そうだから」「脚が不自由そうだから」全身全霊超丁寧に接客するのは悪いことではないと思う。
ただ、接客というのはお客様に接する、向き合うことだろう。

ならば、お客様の外見だけで判断して一辺倒な対応をするのは、接客と言えるのだろうか?


とは言うものの、実際の現場では私のような怪我人はマイノリティであり、店員さんは接客の際かつての私のように張り切り過ぎてしまうことも、反対に戸惑ってしまうこともあるとは思う。

平成30年に一般社団法人日本フードサービス協会が作成した
“外食産業における障がい者接遇マニュアル”
というものがある。

これは車椅子ユーザーから妊婦さんまで、飲食店で気持ちよく過ごしていただけるよう接客の要点をマニュアル化したものである。

そこにはこんな一文がある。

『お客様を理解しようという気持ちをもつ』

当たり前だけど、いい接客の基準は人によって異なる。
その人にとっての最良の接客を考える、接客の基礎中の基礎は誰に対してもなにも変わらない。

だからこそ、マニュアルを読めば大丈夫!なんてことは無い。
けれども、少なくとも、どういう対応の方法があるのか知っているだけでも、接客時にお客様とコミュニケーションを取る心の余裕ができると思う。


もう2020年だ。

接客の仕事も、人はそれぞれ皆違う、という当たり前のことを受けれる時代だろう。

人間を相手にしていることだから、決してきれいに答えが出るものではないけれど、だからこそ、目の前のお客様にとっての“いい接客”について考え続けることが必要なのではないだろうか。


参考文献

外食産業における障がい者接遇マニュアル
https://www.jfnet.or.jp/files/jf_Barrierfree.pdf




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