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あの世で腰を抜かしてたらごめん。

ちょっとでも面白い文章を、と文章の書き方指南みたいなところを読んでみたけどバナナの書き方とはぜんぜん違ったわ。

その指南書によると、まず結末を決めるらしいんだけど、バナナはカーナビでいうと目的地を決めずに走らせるタイプなので、どこに着地点が定まるのか自分でもわからないまま書き始めますねん。


だから、書き手として完結させられるんかどうかわからへんドキドキ感と、結末のわからない読み手のワクワク感を同時に味わえて、グリコ様様なわけ。え?グリコと言えば「一粒で二度おいしい」でしょ?


この前、日めくりカレンダーを作っている時もそうでしたわ。真っ白な正方形に文字もイラストもデザインも、何もかも浮かんでくる順番にその四角の余白にポイポイ置いていくので、どんな仕上がりになるかわからへんで、出来上がってみて「そうやったんか~!」って思う。


だからフラワーアレンジメント教室は、窮屈で完成した試しがないわ。あの本数と空間が決められている時点でアウト。ゴールを決めずに何となくスタートしてしまうバナナは、いつもお花が余り過ぎるか挿すとこ足りひんかで「おもてたんとちゃう~」出来栄えで気持ちが悪いのだ。


そもそも和の文化は引き算の美学、空間をどう活かすかに趣きを感じ、西洋はぎゅうぎゅうに詰め込む文化やから合わへんねやと思う。でも、お弁当にきっちり詰める、あれはイケるねん。毎日せっせと手弁当を詰め込んでいる。なんやねんな。


お弁当の雄と言えばおせちやけど、お正月によばれた”なだ万”のおせちは圧巻やったな。息できひんぐらいピッチピチに詰め込まれてたけど、息苦しくはなかったわ。たぶん時間が止まってた。職人さんの計らいに息をのんでしまったもんな。


もったいなくて食べられへんと思いつつ、箸が止まらず次々と口に運んでいる自分との二極化に、戸惑いながらも新しくはじまった自分を感じたわ。ほれ、何かが生まれるときって、分裂やん。細胞分裂もそういうことなんでしょ?知らんケド。


と言うわけで。全くまとまってないけど、こうやって文字だけの世界で際限なく文章を書くのが一番好き。文字しかないからこその大気圏突入ができ、その先をどこまでも突き抜けていけるこの感じ、書き手やったら誰しも知ってるこの快感よ。



まぁ、文章というより話し言葉そのまんまですやんていうこのバナナに、言文一致の口語体を確立した二葉亭四迷もあの世で腰を抜かしてはるとは思うけどな。

脚本で韓国デビューを目指す会社員です! もし、アタイをサポートしてくれはるのなら…あなたのおはようからおやすみまで笑いで見つめるライオンと化します(ガオー)