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青森旅録

先日、太宰治の『津軽』を久方ぶりに読んだ。前回読んだのは高校2年生のとき。授業中にこっそり電子辞書で文学を読むのが好きだった。内容は自伝の体を成した小説である。


ところで、昨年のちょうど今頃、私は青森にいた。

というのも、私の恋人が弘前の生まれで、彼の故郷へ行ってほんの少しその地を案内してもらっていたのである。

1年も経ってしまったがその折の旅について綴りたく、弘前に想いを馳せていたところ『津軽』が恋しくなり再読した次第である。



東京の下町で生まれ育った私には、都会も田舎も新鮮ではあるが、大差をつけて田舎の方が目新しい。

とはいえ私の父が福島の生まれで毎年4回は帰省していたので、東北の訛りには親しい方であった。

…つまり、私には自信があった。
津軽の言葉も難なく聞き取ってやるぞ、と意気込んで訪れた。


案の定、いざ彼のご両親に会ってみると、テレビショーを介して見るほどの「異国語」感はなく、大概は聞き取れた。

が、しかし、優越感もそう長くはもたなかった。

たまたまその日は彼の叔父様兄弟がいらっしゃっていた。

家族親戚御一行とお酒を飲み交わしながら、私は幾度となく口をあんぐりさせてしまう。
叔父様たちの津軽弁はかなり訛りが強く、まさにテレビショーで見たソレであった。

もちろん、今何ておっしゃったの?と彼に通訳を頼むなんていう無礼なことはできるはずもなく、笑ってやり過ごした。

マスメディアに対して懐疑的になりすぎるのを至極反省した夜であった。



最初に書き損なっていたが、本旅では図々しくも彼のご実家に泊まらせていただいた。
交通手段としては東京・弘前間は高速バスを利用し、市内ではお母様が車を出してくださり、市外へ行くときは鉄道を利用した。

ちなみに高速バスは、行きも帰りも朝にバスへ乗り込んで夜に到着だったため、初日と最終日はほとんどバスの中で過ごした。

…初日はそんなこんなで、おいしいものをご馳走になり、突然の刺客に敗北して終わったのだ。




二日目。本旅の最大の目的・弘前さくら祭りを楽しむため、弘前公園に足を運ぶ。

桜はほとんど散って葉桜となり、ポスターなんかで見るような絶景は望めなかった。
桜の満開なところを見せてあげたかった、と彼は言ってくれたが、このお祭りに参加できただけでも十分であった。


所々にはしっかりお花が残っている桜の木も。きれい。



かなり冷めていているかもしれないが、絶景は写真越しにでも満足できるタチである。

私には、この身体を動かしてその場所に赴くことそれ自体が大事で、
城下の伝統あるお祭りへ行き、地元の人たちや観光客で賑わう中に身を置いて、葉桜でも「弘前の桜」を見ることが叶い嬉しかった。


まず私たちは、広い弘前公園をふらふらと歩いた。立ち並ぶ屋台を横目に、おいしそうな匂いに誘われながらも弘前城にたどり着いた。



天守閣の中は非常に狭く、梯子のような急な階段を登って上へいく。中にはお城の歴史などの展示が施されているが、あまりにも人が多くゆっくりできなかったため記憶が薄い。

ただ急な階段のことばかりが強烈で、足の不自由な方はどうするのだろうとか、スカートで来てしまわなくて良かった、などと思った。


太宰は『津軽』の序章のなかで弘前城に強い想いを寄せている。

太宰は文中で、たびたび(愛を込めて)地元である弘前の憎まれ口を叩くのだが、このお城には心酔している様子だった。

なるほど確かに、外見は他の名城に比べたら小さいけれど、控えめな美しさ・気高さがあってイイ。



その後再び屋台の立ち並ぶ方へ戻り、「オートバイサーカス」なるものを見た。
私はその名前も初めて聞いたが、北の方に住む人たちに話すと、ああアレねと言った具合であったので、あっちではメジャーな文化なのだろう。

これにはかなり驚いた。
本物のサーカスのように大きなテントの中でソレは繰り広げられるのだが、まず、入るのに700円かかった。弘前城の共通券(本丸、植物園、庭園に入れる)よりも高い。

テントの中の写真。なるほどサーカスっぽい。



時間になると外からオートバイが入ってきて、ぐるぐると樽の底を回り始める。
さほど広くないところであるのによくも目が回らないなあと感心していると、オートバイは樽の内壁を走り始める。
くねくねしながら客のいるところギリギリまで来てみたり、ライダーが手を離したりしてみせるのだ。

私はもちろん驚きの声を漏らして興奮したが、それよりも断然恐怖心が勝った。


オートバイが、自分のいるところの真下を通り過ぎる度に樽が震えて足元が揺れるのだ。これが本当に怖い。

例えばもし、ライダーがバイクに置いていかれたら?バイクは余韻で一人でに暴走して下にいる係員を、ライダーを轢いてしまうのでは?はたまた自分たちのほうに飛び出してくるのでは?とか。

木材が壊れて、客のいるところが崩れ落ちたら?とか。
余計な心配ばかりして、思う存分楽しめなかったのが悔やまれる。

ただ面白かったのが、上にいる客がライダーに向かって札をかざすと、ライダーがギロリとそれを捉えて札を貰いにいくのだ。

これもかなりスリリングで肝っ玉が冷える思いなのだが、同時にシュールさを感じて笑みがこぼれた。
無論、私はそんな勇気も金銭的な余裕も持ち合わせていなかったが。



その後、一旦お昼ご飯を取ることにした。
以前お兄様に連れてきてもらったおいしいお蕎麦屋さんがある、と彼に案内してもらった。


お店は「高砂」というところ。


私はあまり蕎麦が好きではなく、彼もそれを知っていて「違う場所でも」と言ってくれたが、せっかくだからとそこへ行くことにした。
旅に美味しい食べ物はつきものだし、ひいては普段食べないものほど食べたくなるものである。

かなり人気のようで、1時間弱ほど並んで待った。


店内は蕎麦屋にしては広く、座敷とテーブル席の両方があり、座敷には家族連れが多かった。

テーブル席のほうにつくと、二人して海老天蕎麦を頼む。

蕎麦が来るまでもかなり待ったが、綺麗で天井の高いところだったので居心地が良く、そう苦ではなかった。彼とこの後の過ごし方について話したりした。


ようやっと蕎麦が来る。

おいしい、おいしいと頬張る彼の手前言わずにいたが、いかんせん私は蕎麦を食べないので、他との違いを自覚できずにいた。

ただ、苦手だったはずの蕎麦をいともやすく完食したことは事実なので、やはりおいしい蕎麦だったのだろう。
いつかまた行くときまでに、蕎麦経験値を高めておきたい。


蕎麦に関してはうまく感想を述べることができないが、海老天については語らせていただきたい。
と言ってみたが、海老天の経験値についてもあまり高い方ではない。
しかしそれでも、ここの海老天は本当に感服するほど美味しかった。
揚げたてで温かく、衣はしっかりとサクサクしていて、海老はこの上ないほどぷりぷりであった。

これまで食べた中で1番の海老天であったとだけ明言しておきたい。



昼食を終えると再び弘前公園に戻る。
私たちは手漕ぎボートに乗りたかったのだ。


公園にあるこういうのに乗るのは初めてでワクワクした。
最初は彼が漕いだが、かなり苦戦しており顔をしかめていた。

見かねた私は彼に代わってオールを取った。
私は身体を器用に使うのが得意なので、彼よりもうまく漕いで見せた。
しかし彼よりも筋力がなく長続きしなかったのと、負けず嫌いの彼が悔しがっためすぐに交代した。


何度も同じところを行き来して、時には他のボードとぶつかりながら、ひとつの目標を立てた。

それは、橋の下を潜ることである。

高さも横幅もボートが十分潜れるだけの余裕があったが、私たちはボートをうまく操作することができずに苦戦した。
早く進むことができるようになっても、コントロールするのは難しかった。

何度か挑戦するうちに目標を達成し、橋の向こうへ行くことができた。
さして変わらぬ景色だったが、なんだか空が広く感じて桜の色も鮮やかに見えた。

橋を越えてすぐ私たちは満足して、そろそろ戻ろうと再び橋を潜ると、川の水面にキャップ帽子が落ちているのを見つけた。

私はオールを漕ぐ彼に待てと制して、水に濡れたキャップを拾い上げた。

辺りを見渡してみると、橋の上から親子がこちらに手を振っていた。持ち主は小さな男の子であった。
その様を見た彼が状況を理解して、ボートを道の方へ寄せる。親子が私たちの方へ駆け寄り、私はキャップを男の子へ手渡した。
ご両親はすみません、ありがとうございますと何度も頭を下げ、男の子もありがとうございます、と丁寧に、照れ臭そうに言ってくれた。

無事返せたことに安堵し、再びボートを戻すべく今度は私がオールを漕いだ。

彼はしきりに「よく気づいたね」「全然気づかなかったよ」と言った。キャップのことだ。
返せてよかったとかそんな言葉を返した気がする。

ボートを返して地上に戻ると変な感覚がしたのと同時に、腕の筋肉がやられているのを感じた。
明日は筋肉痛になるに違いない、と話していたところに先の親子が来た。
本当にありがとうございました、とお礼を言うためにわざわざ私たちのボートを待ってくれていたのだ。
心が温まるのと同時に、まるで救世主にでもなったような気分で、私たちは少し浮き足立った。



ボートを降りた後は桜を眺めながらゆっくりと歩いて、私たちは弘前市役所に向かった。
中は閑散としていて、職員の声がよく響いていた。

市役所に行ったのは、彼のお母様が車で送ってくださった道中で「市役所の屋上に行ってみるといい」と提案してくださったためである。

職員に案内されるまま私たちはエレベーターで屋上へと向かった。


屋上は広いのにほんの2、3組の人たちがいるくらいで、すぐそこでお祭りをしているとは思えないほど静かであった。

しかしその人気のなさとは裏腹に、屋上から眺める景色は予想を遥かに超えて良かった。
さっきまでいた弘前公園の眺めもよく、反対方向には岩木山も望めた。

私たちは写真を撮り飽きると、人がいないのをいいことにおかしな動画を撮ってみたりした。


市役所を出る頃にはもう空が橙を帯びていて、私たちはゆっくり歩きながら帰ることにした。

道中で美味しいケーキ屋さんがあるから寄ろう、という彼の提案にはもちろん賛成した。


ケーキ屋の名前は忘れてしまったが、とても綺麗で高級感があり、ショーケースには小さなケーキがたくさん並んでいた。
私はザッハトルテを、彼はベリー系の甘くないのを頼んだ。

ケーキ屋を後にしてからは、ケーキの傾きばかりを気にとめながら歩いた。


彼のご実家へ戻ると、早速おやつにケーキを頬張った。ケーキを見たお母様が、珈琲を淹れてくれた。お母様のぶんも買うべきだったな…とひどく後悔した。(もちろん手土産はお渡ししたが)


二日目だけでかなり長くなってしまったので、とりあえずは、これにて。またいつか続きを書けたらと思うけど、たぶん、書かない。

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