感想文 「傲慢と善良」 辻村 深月 (著)

*ネタバレあり*

-読もうと思ったきっかけ-

誰かのnoteに「傲慢と善良」が
紹介されていたから。
内容が婚活関係だとわかり、自分の身に近い出来事のように思えて読みはじめた。

どこかで良いパートナーと出会える
ヒントを欲していたと思う。
小説なのに。
自己ケーハツな眼差しで手に取っていた。


-読んだ後-

読んで良かったと思う。
私は久しぶりに小説を読んだ。

これまでは、学術書のような仕事の知識を
仕入れるために読書を楽しんでいた。
知識を欲していた。

正直、小説はあまりおもしろくない
とも思っていたところだ。

ひどい。

でも、読んで良かった。

理由の一つに、youtubeを観るより
賢く慣れた気がするからだ。

youtubeも小説も娯楽なのだから
賢くなる必要はないのではないかと
思いながらも、無駄な時間が嫌いな私。

なにかを積み上げる感覚や
すこし成長した気分になりたい欲が
私の中にはある。

その欲のせいで

人生に無駄な時間と有意義な時間とが
共存することとなり
ときに自暴自棄に苦しむ。

みずからの態度にあぐらをかき、
なにかうまくいかない事があると
すぐ後悔の念を発動させ言い訳をのべる。

わたしの傲慢な態度だ。

こんな傲慢な私でも
両親には大切に育てられたと思う。

親がよろこぶであろう、大学を出て
正社員にもなった。

言うことを聞き、
真面目に生きてきたと思う。

その善良さは私を苦しめていたのではないか
とまた言い訳をはじめている自分に気づく。


ここでいう善良とは、
親の期待しているであろうことに
応えようとする態度であると思う。

自分の行動を縛っているもの。

そう、ときどき、
声が聞こえてきやしないか。

「やめておき」
「だからいったじゃないの」

なにかを始めようとするとき、
親の声が自己内で再生される。

私を縛っているもののひとつ。

こんな呪縛解いてしまえばいいのだ。




感想文を書こうとしたのに。
話がそれた。

そうだ。

キスがしたいと思った、その気持ちに突き動かされるようにして動いてきた今までの日々は、間違っていたのだろうか。

傲慢と善良

カップルの女性が↑回想するシーンがある。

わたしも同じ想いを抱いていた。
ただキスをしてくて抱きしめて
毎日それがしたいという理由だけで
結婚してはいけないのだろうかと。


おそらくそれも必要なことだと思う。
生物なのだから
なにか肉体的に惹かれ合うポイントは
絶対に必要だ。

ぜったい。


だから、私は
セックスが大好きだ。


私の彼女はキスもハグもだんだんと
嫌がっていった。
もう、これはだめだと思った。

だから、わたしの結婚相手とは
いつまでもキスをしていたい。


なんて話はさておき、

相手を心配させて自分に注目を
集めさせようとしている時点で
なにかが狂っているのだと思う。

登場人物である真美が
ストーカーをでっちあげる話は
行き過ぎだとしても、
もっと小さなことで
相手を試している場面はあると思うよ。

すこし大げさに体調不良を装ったり。
怪我をしているように装ったり。
忙しいふりをしてみせたり。

同時に、こういうときって
相手に関心があって会話しようとしても
なぜだか続かなかったりするときあるんだよね。

あなたには興味ありませんオーラが
相手から出ているとき。

それって何で起こるのだろう

この疑問は解決せずにとっておく。


きっとこれはお互いの傲慢な心が
物理空間に現れているのだと思う。


同棲しているからといって
付き合えたからといって
結婚したからといって


傲慢になっていいわけないんだ。

お互い変化していくことを前提に
受け入れ、伝え合い、
セックスをする。

そのような関係性を築き合える
パートナーを私は探している。


ありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?