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コンパス・ポイント・スタジオ~アイランド・レコード周辺(1)


   以前も書きましたが、ソウル~ファンクが好きでその後レゲエ/ダブを聴くようになった、またその前にはニュー・ウェイヴ系の音楽も聴いていた私のような人間には忘れ難いレコーディング・スタジオがあります。それが今回のテーマであるコンパス・ポイント・スタジオです。

 コンパス・ポイントはアイランド・レコード社長のクリス・ブラックウェルがバハマのナッソーに1977年に設立したスタジオ。ロケーションをナッソーにした理由に関して、ブラックウェルは「ナッソーにはこれといったキャラクターが付いていなかった。ロンドンやキングストンだと、それだけで出てくる音のイメージが湧いてしまう。ナッソーにはそれが無くて真っ白なカンバスのようで、そこでならオリジナルなレコーディングが出来ると思ったんだ。」と語っています。


クリス・ブラックウェル。コンパス・ポイント屋上にて。1982年

   スタジオが稼働し始める'78年にはトーキング・ヘッズとプロデュースのブライアン・イーノがやって来て、セカンド・アルバム"More Songs About Buildings And Food"を録音。その翌年にはローリング・ストーンズが訪れ、"Emotional Rescue"と"Tattoo You"の音源を制作しています。カリブ海を臨む場所にMCIのミキシング・コンソール等のスタジオ設備を備え敷地内にはプールもある同所はリゾート・スタジオとしても人気になり、'80年代にはクラプトンやロキシー・ミュージック等の大物からAC/DCやアイアン・メイデン等のヘヴィ・メタル勢、日本からも加藤和彦やプラスチックス、'80年代後半には中森明菜や南野陽子もここを訪れることに。 

  それら全てを取り上げていくのは無理なので、ここでは「コンパス・ポイントの音」を特徴づけたミュージシャン、コンパス・ポイント・オール・スターズと、プロデューサー/エンジニアとして活躍したアレックス・サドキン、スティーブン・スタンリーが関わった作品を中心に紹介していきます。

  なお、今回のミュージシャン/盤のセレクトは2008年にストラット・レーベルからリリースされたコンピレイション"Funky Nassau - The Compass Point Story 1980-1986"を参考にしています。





<コンパス・ポイント・オール・スターズ>(以下CPAS)

   もともとはグレイス・ジョーンズのアルバム"Warm Leatherette"のレコーディングのためにクリス・ブラックウェルが集めたミュージシャン集団。メンバーは
スライ・ダンバー(ドラムス)
ロビー・シェイクスピア(ベース)
ユザイア・"スティッキー"・トンプソン(パーカッション)
マイキー・チャン(ギター)
バリー・レイノルズ(ギター)
ウォーリー・バダルー(キーボード)
の6名。


左からスティッキー・トンプソン、スライ・ダンバー、ロビー・シェイクスピア、マイキー・チャン、バリー・レイノルズ、ウォーリー・バダルー

  ブラックウェルは自分の家のように自由に使えるスタジオを持ちたいと思う一方で、そこには最高のミュージシャンを揃えたハウス・バンド-モータウンのファンク・ブラザーズ、アラバマのマッスル・ショールズ・リズム・セクション、フィル・スペクターのレッキング・クルーのように-が常駐している状態を夢見ていて、それを具現化したのがCPASだった。「私は新しく、先進的なサウンドのバンドが欲しかった。具体的にはジャマイカンのリズム・セクションに加えて、エッジーなミッド・レンジとブリリアントなシンセ奏者。幸運にも私は彼らを手に入れることが出来た。」
 「ジャマイカンのリズム・セクション」とはスライ&ロビーとスティッキー、マイキー・チャンのこと。「エッジーなミッド・レンジ」はマンチェスター出身のロック系ギタリスト、バリー・レイノルズで、シンセ奏者はフランスでスタジオ・ミュージシャンとして活動していたウォーリー・バダルー。この6名でグレイスの3枚のアルバムをはじめ、'80年代中ごろまでに多数のレコーディングが行われています。なお、CPASの名義で公式に発表された曲は3曲ありますが、いずれもグレイス・ジョーンズの曲のインスト・ヴァージョン的なもので、彼らが独立したグループとして活動したことはありません。


Junior Tucker"The Kick (Rock On)"/Compass Point All Stars"Peanut Butter"(12")(1981)
"Peanut Butter"はもともとスライ・ダンバーが作曲したインスト・ナンバーだったが、それにグレイスが歌詞を付けて"Pull Up To The Bumper"としてアルバムに収録された(同心円状の書き込みは中古盤の前の持ち主によるものです泣)


<アレックス・サドキン>

  フロリダ出身のエンジニア/プロデューサー。地元のジャズ・グループでサックス奏者として活動した後、マイアミのクライテリア・スタジオに入りエンジニアとしてイーグルスやニール・ヤング等の作品に関わる。ブラックウェルとはボブ・マーリー&ウェイラーズの"Rastaman Vibration"('76年)のレコーディング時に知り合い、サドキンの才能に目を付けたブラックウェルがコンパス・ポイントの専任エンジニアにスカウトする。サドキンはブラックウェル曰く「完璧主義者」で、スティーブン・スタンリーは「彼はドラム用のマイク・セッティングだけで4時間もかけて慎重に行っていた。それまでそんなもの見たこともなかった」、ウォーリー・バダルーは「彼からはラフ・ミックスの重要性について学んだ。私にはほぼ仕上がっているように聞こえるトラックでも、彼はさらに全てのサウンドをクリアにするようあらゆるパートを聞き直し、エンジニアリングを行っていた」等と証言している。
'80年代後半にはアイランド関連以外のレコーディングでもプロデューサーとして活躍するようになるが、'87年にバイク事故により逝去。

<スティーブン・スタンリー>

画像はイアン・デューリー"Lord Upminster"のインナー・スリーヴより

ジャマイカ出身のエンジニア/プロデューサー。'75年からキングストンのアクエリアス・スタジオでエンジニアとして活動を始める。アイランド・レコードとの繋がりはその翌年にサード・ワールドのレコーディングに関わってから。コンパス・ポイントでは当初アレックス・サドキンのアシスタント的なポジションだったようだが、ジャマイカのミュージシャンともコミュニケーションが容易で、スタジオ機材や楽器の演奏にも強い彼は重宝されたようだ。トム・トム・クラブではエンジニアリングに加えてプロデュース/作曲/演奏にも関わり、グループ内のキー・パーソン的な役割を果たした。コンパス・ポイントの活動が停滞してからはジャマイカに戻り、自身のスタジオを経営している。日本のみでのリリースだったが、スティーリー&クリーヴィーと組んだ'97年のダブ・アルバムもいい出来だった。


Steely and Clevie featuring Steven Stanley"In Dub"(CD)(1997)


(ジャケ写を挙げているものは(CD)(12")等の注記が無いものは全てLPです)


<グレイス・ジョーンズ>

  ジャマイカ生まれ、NY育ちの女性シンガー。十代半ばでモデルを始め、パリで活動していた'70年代中盤にスリー・ディグリーズの曲を聴いて歌手としても活動する決心をする。当初はフランスのレーベルからシングルを発表していたが、好調なセールスに反してレーベル側との関係がうまくいかなかったため、アイランド・レコードと契約を結ぶ。アイランドからの最初の3枚のアルバムはディスコ系シングルのリミックスのパイオニアとして知られるトム・ムールトンがプロデュースしたフイラデルフィアでの録音で、内容も典型的な「ディスコ・ディーヴァ」的なものだった。'79年のサード・アルバム"Muse"がセールス面でふるわず、世間的にもディスコ・ブームはそろそろ終わり、の風潮を感じ取っていたブラックウェルは新作の音作りを大胆に方向転換することを決める。'79年、ピーター・トッシュのツアーでアメリカに来ていたスライ・ダンバーはNYのブラックウェルのアパートに呼び出され、グレイスとのレコーディングとその他の参加ミュージシャンについて相談された。その際グレイスの旧作のLPを渡されたが、スライは彼女の作品をそれまでに一度も聴いたことがなかったという。スライがロビー・シェイクスピアと共に選んだのがマイキー・チャンとスティッキー・トンプソン。バリー・レイノルズとウォーリー・バダルーはバンド内の「ヨーロピアンな要素(レイノルズ談)」としてブラックウェルに選ばれた。
 ジャケットのアートワークは当時のグレイスのパートナーだった写真家/画家のジャン・ポール・グードが担当。斬新で奇抜なデザインが音のイメージを増幅させていた。



普通の一枚写真にも思える"Nightclubbing"のジャケ写もグードが複数の写真を合成/編集して角ばったシルエットを強調したものだった


"Warm Leatherette"(1980)


"Nightclubbing"(1981)


"Living My Life"(1982)

   コンパス・ポイントでの1枚目"Warm Leatherette"は全8曲中6曲がカヴァー。原曲はザ・ノーマル(ミュート・レーベル社長ダニエル・ミラーのプロジェクト)、プリテンダース、ロキシー・ミュージック、トム・ペティ、スモーキー・ロビンソン、フレンチ・ポップス系のジャック・イジュラン。ダークなエレクトロの原曲からうまくディスコ的なウネリを引き出しているタイトル曲と、もともとレゲエっぽいリズム・アレンジだった"Private Life"の2曲はいい出来だと思うが、それ以外の曲はロック色・ニュー・ウェーヴ感を無理矢理強調しているように聞こえて今ひとつ。一般的にも有名な曲を入れたかったということなのかもしれないが、ロキシー・ミュージック"Love Is The Drug"のカヴァーはTVの歌番組に登場したゲストが番組の専属バンドをバックに唄っているような雑なアレンジに聞こえる。
 彼女の認知度を一躍高めたのが"Nightclubbing"。冒頭の"Walking In The Rain"はオーストラリアのフラッシュ・アンド・ザ・パンのカヴァーだが、グレイスのオリジナルのようにハマっているクールな曲。デイヴィッド・ボウイがイギー・ポップに提供したタイトル曲も同様に抑えた曲調に凄みを感じる。いち早くピアソラの曲をポップス畑で取り上げた"I've Seen That Face Before (Libertango)"、ロビーのベースとバダルーのキーボードが光るビル・ウィザース作"Use Me"など、カヴァーのチョイスとそのアレンジも冴え、またオリジナルの"Pull Up To The Bumper"や"Feel Up"でもCPASとのコンビネーションが増している。なお"Demolition Man"はポリスのヴァージョンが有名だが、もともとはスティングがグレイスのために書き下ろした曲だ。グードによるジャケットの印象的なデザインも相まって、アルバムはセールス面でも批評家の評価も好調で、英NME誌のクリティックス・ポールでは'81年のアルバム・オブ・ジ・イヤーに選ばれた。



 「コンパス・ポイント3部作」のラストにあたるのが"Living My Life"。カヴァー曲はメルヴィン・ヴァン・ピーブルスがミュージカル用に書いた"The Apple Stretching"一曲のみで、今回はオリジナルが中心。彼女のジャマイカン・ルーツとR&B/ファンク的なサウンドがうまく融合された"My Jamaican Guy"、スライのドラムが重く突き刺さる"Nipple To The Bottle"、ニューウェイヴ・ファンクを極めたトラックと女王様のようなヴォーカルがカッコいい"Cry Now-Laugh Later"など黒っぽさが強調された内容で、個人的には一番好きなアルバムだ。アルバム・タイトルと同じ"Living My Life"という曲は録音されたもののアルバムには収録されず、ポルトガルのみでシングルが発売。"Demolition Man"と同路線のタテノリ感が強調されたニューウェイヴ系の曲で、アルバム中では浮く内容のため外されたと思われる。



   ディスコ/クラブ・ミュージック系にも強かったアイランドだけに12インチ・シングルにも傑作が多いのだが、私の好きな曲ということでこちらでは"My Jamaican Guy"と"Nipple To The Bottle"を。表題曲以外の収録曲もダブ/リミックス・ヴァージョンでいい感じ。


"My Jamaican Guy / J. A. Guys (Dub)"(12")(1983)


"Nipple To The Bottle"(12")(1982)


  

   CDではずばりコンパス・ポイント録音の曲を集めた"Private Life: The Compass Point Sessions"が必聴の内容。オリジナル・アルバムには未収録だったジョイ・ディヴィジョンの"She's Lost Control"のカヴァーや"Living My Life"、未発表だったダブ・ヴァージョン等も満載の内容で、彼女のアルバムを初めて買う人にはこちらを勧めたい。
 2010年代に流行した「デラックス・エディション」ものでは"Warm Leatherette" と"Nightclubbing"が出ている。どちらもCD2枚組で、ディスク1にはオリジナル・アルバムを、その後半orディスク2以降に12インチ・ヴァージョンや未発表曲を収めたもの。あまり音楽誌等で取り上げられることのない人なので、詳細なライナー・ノーツも勉強になる。


"Private Life: The Compass Point Sessions"(CD)(1998)


"Warm Leatherette(2CD Special Edition)"(CD)(2016)


"Nightclubbing(Deluxe Edition)"(CD)(2014)

   "Nightclubbing"デラックス・エディションのライナーによると、グレイスはこの頃マンチェスターのニューウェイヴ系ファンク・グループ、ア・サートゥン・レイシオ(ACR)をバックにレコーディングする話もあったという。そのような曲は発表されていなかったのだが、2019年にリリースされたACRのボックス・セットの中の未発表曲を集めたディスク3のうちの2曲がグレイスとのコラボ予定曲だった、とACRのマーティン・モスクロップがライナーの中で語っている。曲はトーキング・ヘッズ"Houses In Motion"のカヴァーとACR自身の曲の再演になる"And Then Again"(どちらにもグレイスのヴォーカルは入っていない)。完成版も聴いてみたかったがスライ&ロビーらのタフなリズム・セクションに支えられた作品に比べると、やはり見劣りする気がする。

A Certain Ratio"ACR:BOX"(CD)(2019)


小さい画像で申し訳ないですが、レコーディング中のスタジオを訪れたグレイスとACRのメンバー達。右の写真の中央に写っているのはプロデューサーのマーティン・ハネット。

  

 "Living My Life"の次作"Slave To The Rhythm"もコンパス・ポイント録音なのだが、参加ミュージシャンがトレヴァー・ホーン仕切りのイギリスの面々に替わってしまっているので12インチの画像のみで。2008年の久々の新作"Hurricane"は、録音こそコンパス・ポイントではないもののCPAS同窓会的な曲も含まれるまずまずの内容でした。

"Slave To The Rhythm"(12")(1985)







<トム・トム・クラブ>

   トーキング・ヘッズのリズム・セクション、クリス・フランツ(ドラムス)とティナ・ウェイマス(ベース)の夫妻を中心にしたプロジェクト。グループ名はコンパス・ポイントのスタジオの裏にあったリハーサル室につけられた名前-タム・タム部-に由来している。
 当初はクリスのプロデュースでティナをフィーチュアしたディスコ寄りのシングルを作ってみようという案だったのが、話を聞いたブラックウェルの提案でスライ&ロビーをリズム隊に迎えてゲストにリー・ペリーを加えるという企画に発展、ところがナッソーに来てみるとリー・ペリーは現れず、スライ&ロビーはイアン・デューリーのレコーディングに参加することになって、困ったクリス達はスティーブン・スタンリーをメンバーに迎え、ヴォーカルにはティナとその妹3人-ローラ、ローリック、レイニ-を加えることになった…のがグループ結成のいきさつ。 スティーブンについては彼が一人で録音していた"Tropical Depression"というクラフトワーク風のデモを聴いてクリスが興味を持ったのだという。ともすると頭でっかちなアート・ロック系にも走りそうになるトーキング・ヘッズとは違い、ソウルやファンクをベースにしたトラックとティナ達の素人ぽいヴォーカルによるくつろいだ雰囲気が魅力になっている。批評家には「P-ファンクとカソリックの女子学生風コーラスの融合」などとも言われたとか。

"Tom Tom Club"(1981)


"Close To The Bone"(1983)

  最初にシングルに切られた"Wordy Rappingfood"は、ウェイマス姉妹がマイク・テストのために適当に唄ったフレーズがラップに聞こえるというところから発展した曲。この曲もディスコ・チャートを中心にヒットしたが、更に売れたのがセカンド・シングルの"Genious Of Love"。この曲はレコーディング当時ティナが夢中だったというザップの"More Bounce To The Ounce"にインスパイアされたもので、エコーのかかったハンド・クラップ音に生ドラムとヘヴィなベースのトラックにささやき系のかわいらしい女性コーラスがのる、ファンキーかつキュートな曲。ヴィデオ・クリップはジャケットも手掛けたジェイムズ・リジーによるアニメーションで、曲の楽しさを伝えていた。


Zapp"Zapp"(1980)

   この曲はトラックがシンプルで応用がききやすいこともあってリリース直後からサンプリング・ソースとしても人気が高く、'80年代にはグランドマスター・フラッシュやDr.ジキル&Mr.ハイドが、'90年代にはマライヤ・キャリーが、2021年には女性ラッパーのラトー(Latto)がモロ使いしてヒットさせるなど定番化している。

"Genius Of Love/Yella"(12")(1981)

   2年後のセカンド・アルバムも基本的な路線は同じだが、音作りががっしりと骨太になり、ウェイマス姉妹のヴォーカルもより前に出てくるようになった。
   セールス的にはファーストよりだいぶ落ち着いた感じになってしまったが、個人的にはここからの最初のシングル"Pleasure Of Love"が彼らの中でもいちばん好きな曲。ドラムやキーボードのダビーな音処理にスティーブンのワザが冴える。

"The Pleasure Of Love"(12")(1983)

   

CDではファースト・アルバムのデラックス・エディションが、ディスク2にセカンド・アルバムの全曲を収録、各々からのシングル用リミックスやLP未収録も追加、ということでオススメです。ブックレットの解説も充実しているけど、何故か参加ミュージシャンのクレジットが全くないのは謎…

"Tom Tom Club(Deluxe Edition)"(CD)(2009)



<トーキング・ヘッズ>

   彼らとコンパス・ポイントとの関わりは古く、セカンド・アルバムの"More Songs About Buildings And Food"をオープンしたてのコンパス・ポイントで録音。NY録音の"Fear Of Music"をはさんで'80年の名作"Remain In Light"とその次の"Speaking In Tongues"('82年)の録音は再びナッソーで行われている。

"More Songs About Buildings And Food"(1978)


"Remain In Light"(1980)


"Speaking In Tongues"(1982)

   初期のアート・ロック系ギター・バンドといった趣からファンキーなギター・リフを強調した黒っぽいサウンドへ変貌、"Remain~"ではフェラ・クティの'73年作"Afrodisiac"にインスパイアされたアフロ・ファンクとニュー・ウェイヴを融合したサウンドが世界に衝撃を与えた。いま聴いてみるとアフロ色が濃いのはA面の"Born Under Punches"と"The Great Curve"の2曲のみで、B面は過去の作品やデイヴィッド・バーン&イーノの共作を発展させたものという印象だが、"Born Under Punches"の破壊力は絶大で、いま聴いてもエイドリアン・ブリューのギター・ソロ(電子音をギターで模したような不思議なフレーズ…)のあたりで頭がクラクラしてくる。



   "Speaking~"では前作のような緊張感みなぎる感覚がなくなり、これまでよりポップな音に聞こえる。3作連続でプロデュースしていたイーノの手を離れたためか音作りの骨格が透けて見え、魔法が解けてしまったような平坦さも感じるのだが、リズム隊の二人がトム・トム・クラブで培ったポップ・センスを生かしたファンキーな内容で、けっこう好きなアルバムだ。
  
 彼らのシングルは'80年以前はアルバム・ヴァージョンをそのままシングル化したものが中心で、その辺には「ロックの人」だなあと感じるのだが"Speaking~"以降はリミックスを収録した12インチを割と積極的にリリース。こちらではNYで(当時時の人だった)ジェリービーンがリミックスしたシングルを紹介。


"Slippery People / Making Flippy Floppy"(12")(1983)



<ウォーリー・バダルー>

   パリ出身のキーボード奏者。父親は西アフリカのベナンで医師から外交官に転じた人物で、父の赴任先のパリで生まれた。少年時代の8年間はベナンで過ごすが10代後半にバリに戻る。当時の興味は航空力学で夢はパイロットになること、音楽はあくまで趣味のひとつと考えていたそうだが、初めてレコーディング・スタジオに足を踏み入れた際にそこに並ぶ機材やコンソールを見て、「これは飛行機のコックピットと同じだ」と感じてそこから音楽に入れ込むようになったとのこと。容姿やルーツはアフリカンだが、中身はクラシック音楽のトレーニングを受けたバリバリのパリジャン、というユニークな履歴を持つアーティストだ。当初はフランスでスタジオ・ミュージシャンとして活動していたが、イギリスでロビン・スコットのプロジェクト、Mのレコーディングに参加し、ヒット曲"Pop Muzik"でシンセを演奏したことから噂がクリス・ブラックウェルの耳にも入り、CPASへの参加を要請されることになる。アイランドではキーボード奏者として多数のレコーディングに参加したほか、「カントリーマン」等のサントラへの曲の提供やマリアンヌ・フェイスフルのプロデュースも行っている。また、Mのレコーディング時に知り合ったベーシストのマーク・キング率いるグループ、レベル42にも準メンバーとして参加。彼らのヒット曲の多くに作曲で関わるなど重要な役割を果たしている。ソロ・アルバムのリリースは2001年以降ないようだが、今も現役で活躍中だ。


"Echoes"(1984)

   バダルーのソロ・アルバムでコンパス・ポイントで録音された唯一の作品が、セカンド・アルバムになる"Echoes"。パーカッションにガーナ出身のリーバップ・クワク・バー(トラフィックやカンのアルバムにも参加している)が参加しているのと、数名のバック・ヴォーカリスト以外はバダルーが一人でピアノやシンセ等のキーボード、アコースティック・ギター、リンのドラム・マシンを演奏して作られている(ミックスはスティーブン・スタンリーとアンディ・ライデン)。打ち込みながら丁寧に作りこまれたリズム・トラック、ミニ・ムーグやプロフェット5等のアナログ音源のシンセを多用したあたたかみのある音色が心地よい。アフリカやカリブ系のリズムを使用した曲もモダンなアレンジに昇華されていてセンスの良さを感じさせる。いい意味で品の良いアルバム。
 

このアルバムのCDは2枚持っていますが、どちらも買った当時は中古屋で¥100ぐらいでした…

   ジャンル的にはニュー・エイジ系に分類されるためか、昔はぜんぜん人気が無いアルバムだったが、マッシヴ・アタックがファースト・アルバム中の"Daydreaming"でA-3"Mambo"をサンプリングした頃から変わり始め、現在はダウンテンポ/バレリアックの名盤のひとつに数えられるようになっている。

   このアルバムの次に手掛けたのが、日本でも公開された映画「蜘蛛女のキス」のサントラへ提供した曲。"Echoes"のアルバムの内容を一曲に集約したようなつくりで、こちらもお気に入りの一曲です。

"Novela Das Nove (Spiderwoman)"(12")(1985)



<ウィル・パワーズ>

  '80~'90年代を中心に、ポリス、ストーンズ、B.スプリングスティーン他多数の著名ミュージシャン、俳優を撮影してきた「セレブリティ・フォトグラファー」、リン・ゴールドスミスのプロジェクト。音楽的には素人の彼女のため、親交のあるミュージシャンが多数バック・アップ。アルバムの大半の曲のミックスを手掛けたのはトッド・ラングレン、作曲にはスティーブ・ウィンウッド、ナイル・ロジャース、スティング、ロバート・パーマー、トンプソン・ツインズのトム・ベイリーらが、ヴォーカルでカーリー・サイモンが参加している。

"Dancing For Mental Health"(1983)

 アルバムの内容は'80年代前半ごろらしい、打ち込み多用のシンセ・ポップ。楽器類の演奏者のクレジットが全く無いので誰が弾いているのかは不明だが、演奏はしっかりしている。詞は女性誌の文字ページのお悩み相談コーナーのような、恋愛や人間関係でくよくよ悩まず、ポジティヴ思考で乗り切りましょう!といったもので、Discogsのジャンル分けには「シンセ・ポップ」や「ディスコ」等の他に「ノベルティ」ともカテゴライズされていた。曲もむやみに明るいだけのコーラス、詞の内容に合わせてか非常にポップなものだが、個人的には買って一回聴いたきりでもう聴く気はないです…

   唯一の例外がアルバムでは冒頭に収められていた"Adventures In Success"のシングル。特にスティーブン・スタンリーがミックスしたB面のダブは、乾いたファンク・ビートが繰り返される中、ダブ処理されたシンセやホーンズがユラユラと波打つけだるい心地よさのあるナンバーで、トム・トム・クラブに通ずる雰囲気もあり。ガラージ/コズミック方面でも人気が高いらしい。

"Adventures In Success"(12")(1983)

 

コンパス・ポイントの記事は全部で3回の予定です。

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