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ADHDお母さんとレット・バトラーと人間的な成熟について

「盆と正月はきらいだわ~」

幼いころ母がそう言うのを、折々に耳にしていた。

なんだかその訳が分かってきた気がしている、年末です。

要はサービス精神と、気の多さが、こうしたイベントでは災いするのです。

自分の知り得る、相手に対するサービスを、全部、相手がより喜ぶかたちで、提供したい。三方良しで提供したい。

それを次々に思いつき、試行錯誤し、これ、というものが見つかるまで妥協しない。それはそれで良いことだけれど、直前に始めるから、期限に向かって息着く間もなく、ペースを考えずあれこれをやる。それで、気づいたときには疲れている。気疲れ、体疲れしている。

思えば母も、典型的にそう。もてなす相手がいると、相手のコロコロ変わる気に、全部応じようとしてしまう。自分でもいろいろ思いついて、「あ、やっぱりこれいいかしら?」と次々と代替案の検討を始めてしまい、ちょっと収集がつかなくなる。サービス精神と気の多さ。

前のめりにならず、一歩引いたところに別の自我を置いて、ずんずん進めいけいけどんどんの自分になりきらない。身体の状態を見てあげて、調整する。そういうマインドを鍛えにゃいかんな、と反省しています。

いつも酷使してごめんね、わたしの身体よ。

やってもらうばかりでごめんね、わたしのお母さん。

母子はお互いに自立しなきゃいけないし、

わたしも二人の娘たちについ、母にやってもらったようにと勝手に全部やって自滅していては元も子もない。

滅するのは依存心。誰かが自分がやりやすいように、すべて善きに計らってくれる、なんてことはあり得ない。

一歩引いた自分が、周りへのサービスや折り合いもさることながら、何より「わたし」の心と体を気遣って、もろもろを調整できるダンディなジェントルマンに成熟しなくっちゃならない。

目指すはレット・バトラー!

わたしのスカーレットへ畏敬と反省とお詫びの気持ちを込めて、今年の記事のタイプの手を休めたいと思います。

今年は自分でいることを責めすぎて、体のSOSが大になって後半精神的に病みました。思ったようにいかなくとも、多少のんべんだらりでも、なあなあなところがあっても、人間、善いではないか。広い心を持とうよ。

ただでさえ気が多く、聴覚過敏で処理速度が遅くて疲れやすい彼女が、彼女でいられるように。彼女の手が彼女の仕事をできるように。

今年、noteを読んでくださった皆様、noteで交流してくださった皆様、どうもありがとうございました。来年も、自分にできることを考えながら、粛々と生きて、日々に気づきを書いていきたいと思います。


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