なぜ「じかんといのちのまもりびと」をわたしが翻訳出版するのか?

『タイムウォーリアー』という英書の翻訳出版を、試みています。

それは時間に関する叡智を讃えた本で、生きる情熱や生き方そのものに関わってくるから、「コロナ禍」が全てをひっくり返し、「風の時代」の黎明期と言われる今だからこそ、必要だと確信しています。

このnoteでは、①翻訳出版未経験の私が、なぜ「タイムウォーリアー」の翻訳出版をやっているか、②これまでの失敗経験も含めた試行錯誤、③今の社会におけるこの本の意義 をことばに紡ぎます。

必要な人にこの本が届きますように、という願いを込めて。

はじめに

『タイムウォーリアー』という英書に出会ったのは、一昨年の12月の半ばを過ぎる頃だった。2019年の12月といえば、コロナが「出た」と言われ始めた時期――あなたは、このころ、何を感じ、何を思い、何をしていましたか?思いを馳せながら、読んで、ぜひ、教えてください。

教育の名の下に

2019年12月、私は、高校の英語科の非常勤講師として週3日教壇に立ちながら、自分のしていることが避けがたく資している大きな流れに疑問を抱いていた。たぶんその疑問は、「受験」という枠組みの中でそれに抗えずむしろそれに沿った授業を行わなくてはならない一教員としての自分自身が感じていた「重し」と私自身の「教員として資したいこと」のねじれが生じさせる「生きづらさ」でもあったし、その流れに否応なしに呑み込まれ十代の貴重な時間をそこに割く以外術のない生徒から感じる何らかの「不調和」。その疑問は、このようなものが構成するごく感覚的な「なぜ?どうして?」だった。

「発達障害」や「学習障害」と名前を付けるにしろ、そうでないにしろ、外界の刺激の処理は十人十色であり、したがって学習の仕方も多様であって当然である。けれども、私が教員や小学生の娘二人の親として見てきたかぎりの実際の現場では、そうした現実を直視して解決を試みることなく、いや、むしろそうする余裕も社会的にはく奪され、成績不振の原因を個人や家庭環境の要因に帰したり、配慮も何をどうしたら良いのか具体策を持つ従事者がほとんどおらず、そうした生徒に遠慮がちに接することになるような場面を見てきた。そして、自分もそうして途方に暮れる教員の一人だった。

一方で、教育の現行の「システム」は、こうして適切な支援をすることもできず、「成績」や「取り組み状況」という杓子定規によって、生徒の素行の良しあしを冷徹に判断し、「評価」を付けていく。本人の力ではいかんともしがたい、流れと本人の不和と、そこに適切な介入がなされないことが、根本的な原因であるにもかかわらず…!

――教育の名の下に、一人の尊厳をもった人間である生徒を、このように扱うことが、公然と許されている。

――これは、いったい何だ?

この疑問に対する解を、特別支援教育の免許課程に単位履修生として在籍する中で模索して2年目の冬を迎えていた、それが、1年半前、ビフォアコロナ直前の、私だった。

いのちのじかんと消費文化

私たち人間は、平均で八十数年の生をこの世で生きることになっているみたいだが、現在の大衆的な価値観では、その「人生」の中で、進学、就職、結婚、出産、子育て、退職、老後、といったライフイベントを想定して「お金」を稼ぎ、適切に貯め、適切に消費することが奨励されている。

常に、先のライフイベントに備え、今を顧みる暇(いとま)もそこそこに、毎日の歯車は回ってゆく。「時は金なり」よろしく、「時を無駄に」しないよう、われわれは忙しく労働し、わが子たちをより評価の高い労働力にしようと、教育費を貯め、捻出する。実際、そうした「理想的なコース」が叶わない環境の子どもたちが、社会の底辺へと運ばれて行ってしまうことすらあり得る。

「何かを成す力」は権威のお墨付きを得、そうでなければ発動することがない、とわれわれは信じ込まされている。卒業資格、学位、各種国家資格に免許から、楽器の演奏、歌うこと、絵を描くこと、竹籠を編むことに至るまで――まるで「誰かの承認」を得ない「わたし」は、まるで価値のないみたいに、いつの間にか、思うようになっている。――幼少期の愛情、学齢期の「学校」における評価――そういうものが相互作用して、わたしたち現代人は、何か不足があったら自分のあたまで考え、あるもので工夫するという時間的・精神的な潤沢さを半ば失い、「購入する」ことで満足や他者評価を得ようとする。

子どもの学びだってそう。学びは学校にあり、そうでなければサービスとして提供されている塾や習字や絵画教室やピアノ教室やスポーツクラブに限定されているような感じを、小さな地方都市に居てすら、感じる。そしてそれらは、親が資力と心の余裕を持ってアクセスできるか否かで、子どもの経験知や人と接する機会が大きく異なる。

――そうだったっけ?これでいいんだっけ?

学びの場所と暮らす場所

学びは、山に森に海に、それから路地裏と同じ子どもたちとの関り合いの中に、あったのではなかったか?

わたしたち人間は、そうした自然と関わるための智慧を先祖から脈々と引継ぎ、日々風や海や土地の声に耳を澄まし、それらと和せる方法を自分たちの頭で考え、手足をつかって工夫して実践し、その中で自然への畏敬を祭事として歌や踊りを奉納して表し、そこに生きる喜びを見出していなかったか?それを次世代に自ら継承しながら、自分という横糸が縦糸と綾を成すのに心から満足して、死を迎えていたのでは、なかったか?

時間は、経済の都合のためにあるんじゃない。

わたしたちの、いのちの時間を、返せ。どろぼうめ。

「発達障害」という世直し隊員

そういうことをひっくり返すために、きっとわたしたちのDNAは現代に適応できず「発達障害」なんて呼ばれちゃってる変異群を、意図的につくっているんじゃないかな、って最近、真剣に、思う。

適応、できなくっていいんだよ。

その違和感を、大切にしたら、いいんだよ。

社会という人間集団の現状と、本来のあなたの有り様がずれているだけ。

だから、あなたは、わるくない。

じゃあ、どんな世界に住むか?

って考えるんだよ。想像するんだよ。

手を伸ばすんだよ。今いる場所で分からなかったら、そこを敢えて動くんだよ。手を伸ばしつづけて、何百回も何年も何十年も失敗するかもしれない。けれど、届くまで、諦めないんだよ。

そこにたどり着くために、自分は、何をするか?

そこを、顕かにするんだよ。他の誰かの敷いたルールや常識に、あなたの貴重な意識と時間を割いている場合じゃない。

あなたのいのちのじかんの最大限の用途は、あなたしか、知らない。

先生も保護者も、それらしい情報をそれらしくラッピングして差し出すニュースも、教えてくれないんだよ。

ちゃんと、あなたの針を立てて、それに従って動くんだ。

おわりに

最後、結局いつもの詩的な文章になってしまいましたが(いちばん得意♪)、意図を込めて、翻訳出版している、その熱が伝わったら、良しとしようと、思います!

発達障害グレーゾーン濃いめで社会でつまづき続けてきたわたしが、それっでも自分の「いのちのじかん」を最大限に活かすことをどこかで模索する中で、たどり着いたのがこの『タイムウォーリアー』、和訳版タイトル『じかんといのちのまもりびと』という本であり、その翻訳出版です。

どうぞ、見守ってやってください…!!

【予告】クラファンします!!「オラに力を💛」

近々、クラウドファンディングをします。時間どろぼうを追いやるための元気玉どす。あなたの力を、貸してけろ💛

追ってnoteでも告知しますので、どうぞ見守って、応援してやってください。

あなたのじかんが、最大限にいかされ、よろこびのなかを生き切れますように…✨

いっしょに、生きやすい世界を創りましょう♪



なお、タイムウォーリアーnoteマガジン版の読者の募集は、クラファン実施前に予告なく締め切りたいと思います。現読者の方には、必ず、出版後の完全版を電子媒体等で、恩返しを込めて、お渡ししますので、どうぞ楽しみにしていてください♪

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本note マガジン『いのちのじかんのまもりびと』はスティーヴ・チャンドラー著『TIME WARRIOR』の邦訳版です。全101章を、週に数チャプターずつ翻訳・配信しています。 紙媒体の発行は2022年春を予定しています。

「ちょっと変わった人」や「生きづらさを感じている人」に――「時間どろぼう」からいのちの時間を取り戻し、自分を信じて、行動してみる、大きなき…

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