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【結婚】ホコリが自分で外へ出て行く国

 夫は結婚して日本に住むことになった。それ以前も、留学で短期滞在歴はあったのだけれど、私と暮らすことになって、生活の拠点が、こちらになった。

 結婚当初、彼がこう言うので、それはスゴイと思って興味深く耳を傾けてたことがある。

「ニホンはホコリが家に入って来る。
僕の国では、ホコリは自分から出ていくのに」

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 彼のマザーランド、サウジアラビアが私たちに婚姻許可証とやらを出したのは、イスラム式の婚姻をしてから実に6年後のことだった。

 サウジアラビアは、つい昨年まで実質的に鎖国していた、絶対王政で収められている、とてもクラシックな国だ。鎖国していた、というのは、海外からの渡航者にビジネスや巡礼(もしくはそれに準じた団体旅行)等の目的がなければ、ビザを出さなかった。個人向けの観光ビザがなかった。

 したがって、婚姻ビザのない日本の一般人女性である私が入国する術は、11年前の当時、なかった。婚姻許可証が、どうして6年間もの間降りなかったか、推測される理由は二つほどあり、そのうちの一つは、夫がサウジではマイノリティのシーア派である、のようだった。

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 兎に角、無事に婚姻許可が下りると、今度は現地に赴いて生存証明しなくては婚姻届けができない、と、在日サウジ大使館からのお達しがあった。

 婚姻許可証の手続きが進むという段になっても、急に私側の古い戸籍が必要になって、実家の母に仙台の法務局に赴いてもらうことになったり、あちらの要求は不文法でかつ官吏の機嫌か?という程、突拍子がなかった。コネがあって、袖の下を渡したりするルートがあれば、そのプロセスは速いらしかった。その様子を目の当たりにした母は「まるでかぐや姫の『竜の珠を取ってこい』みたいな国だね」と批評した。言い得て妙。

 そうして2015年の夏、私は急遽、かぐや姫の機嫌の国、サウジアラビアに初めて渡航することになった。

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 トンネルを抜けると、ではないが、ドバイで乗り換えて、ダンマンのキング・ファハド国際空港に小型航空機で降り立つと、見渡す限り砂漠だった。

 砂漠、と言っても、ところどころに背の低い植物がぽやぽや生えている。でも、白い石や砂の地面が、地平線まで広がっていた。(まあ、空港作るところなんてそんなものだよね)

 車を1時間程走らせると、車窓の景色は白砂から街並みに変わった。アラビア語の看板が物言わず語り掛けてくる。個人商店が多い。ときどき、街角にナツメヤシの木が植えられている。街中の街灯には、幾何学模様を細い金属で作った飾りが付いている。

 初めて会う夫の家族――facetime越しに話していたお義母さんや、4人の義姉妹、夫の弟。アラビア語が話せず会話に取り残される私のことはものともせず、激しい語調で話すパワフルな言語と家族に圧倒されながらも、夫の妻として、家族の中に居場所をつくってくれているのを感じた。そのあたりの家族のかたちの違いや、モノの考え方の違いは、とても学びと気づきが大きかったので、また、書きたい。

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 さて、例のホコリの件について、検証する機会を得てわたしはワクワクしていた。ホコリを目で追った、、、

 …ない。ないぞ。ホコリが、ない。

 「サウジアラビアでは、ホコリは自分から出ていく」

 これは、スゴイ事実を目撃しているのでは、ないだろうか…この仕組みを解き明かして、技術開発してサービスにしたら、日本で売れるぞ…と当時の私が思ったかは定かではないですが(笑)、そんな期待は数日間の観察を経て、裏切られることになる。

 その真相は、、、


 何のことはない。ホコリが溜まる前に、家の女性たちが、彼女達の清い手で、こまこまと掃除をしているのだった。

 掃除機を1日1回、かけるのは当然。暑い昼間を活動帯から外す灼熱の国、夜9時にゲストが来て、お茶を出して、一通り交流して帰っていくと、夜も深まる11時半。お茶菓子が少しこぼれたりして汚れていると、すかさず誰かが掃除機を持ってきて、ソファーの上も絨毯の上も、掃除機をかける。近所迷惑は関係ないつくりになっているので、そのあたりは心配無用。

 昼下がりの2時~3時ぐらいに取る昼食、「ガダ」を大家族で囲むと、キッチンとダイニング周りは当然、ある程度、汚れる。それを、誰からともなく、キッチンのコンロ周りは私、皿洗いは私、床は私、という風に、フォーメーションを汲んでさっさっと、新品のように磨くところまで、綺麗にする。(私は、コンロの五徳と火の出てくるところの丸い金属を、料理する旅に、クレンザーで磨いて洗って乾かしているご家庭を、初めて目にしました…)(皆さんは、なさいますか?)

 彼女達のしぐさに、日本で一人家事を担う時の、私の見て来た女性たちの悲壮感はない。だって、女性が、5人も家に居るんだもの。毎日、必ず、やらなくたっていい。体調が悪かったら、代わりに誰か、やってくれる。何なら、お互いおしゃべりしながらやる。男がやってくれなくったって、自分達で出来てしまう。楽しい、共に担っている、仕事。自分達の居住空間を清める仕事。綺麗に。ものの見事に。やり遂げてしまえる当然の達成感を以て。

 他方、日本で女性が家事を担う一般的な状況はどうだろうか。しかも、核家族だったりしたら。卑近ながら、私の例を挙げると。毎日、自分がやらないと、散らかり外食ばかりになってしまう。夫に頼むなら、その必要性を理論で訴え、一からやり方を示し、たとえ彼に抜け漏れがあろうとも、寛容な態度で、家事の新しい担い手を育成しなければいけない。教育とは、長期的な視野で効果を見ないといけない忍耐事業である。そのスパンたるや、5年、10年かかる。担い手が育つまでの、何だろうこの孤軍奮闘感。そうしているうちに今日も家事は追いつかなくなり、やり遂げられない不達成感が降り積もる。えーん、追いつかないよー。

 でもまあどんまい、てへぺろ:p

 ・・・両者の差が、家族形態の違いからくるのは明らかだけれど、子どもを育てるのに、女性の手を重ねるコミュニティの形態がある、というのは、個々の負担を軽くするのは確かだな、と思う。

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 さて、

「サウジでもホコリは自ら出て行っているのではない。
それは、ほかでもなく女性達がまめに掃除をしているからである」

 という新しい説を、さっそく夫に話した。彼の反応は、こうである。

夫「ああ、それもあると思うけど、でもやっぱりホコリは外に出ていくよ」
私「…!?」

 彼の根拠としては、昔、自分の部屋に掃除機をかけたことはほとんどなかったが、ホコリが日本でそうなるように溜まったことはなかった、とのこと。だから、母や妹達が掃除にまめなのは確かだけれど、サウジの気候はホコリが溜まりにくい、というのだ。うーん。

 私は長らく、この彼の節が気にくわず、そんなはずないよ、と反発していた。何だか、女性達の手仕事の尊さが、彼には見えておらず、あんまり確かじゃない根拠に、すがっているように、見えたのだ。百パー、こっちの節を受け入れてよ、って、何だか意固地になっていた。「ホコリが足を付けて、外に出てくの見たの!?」とでも問い詰めたい心境(笑)

 でもね、最近、こう思うに至っている。

ホコリが外に出ていく、という彼の見方・考え方は、彼にとっては真実なのではないか。

 信じている限り、それは彼にとって真実。イスラム教徒で豚は不浄だから食べないもの、という彼にとっての常識ぐらい、それはきっと真実なのだ。そしてその真実は、他の誰が何を言ったって、殻を厚くする牡蠣のように、かえって変わらないものなのだ。

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 結婚してパートナーを持つことは、そういう異なる真実を持つ人間と、毎日の生活と経済を共にしていく、ということなのだろう。それを許容して受容していくことの繰り返しなのかもしれない。それを、自分の器を広げる、って考えたら、それは決して悪くない。

 一方で、生活に関する実務、つまり家事や、子どもがいたら子育て、の部分は、負担がどちらかに偏らないように、そこは両者の間の戦線を押したり戻したりして、陣地を公平に分けるようにしていく必要がある。どちらかばかりが、大の字で寝転がり、どちらかは小さくなっているような状況は、健康的じゃない。

 特に、現代日本におけるそれは、個人戦であり、個人には能力の凸もあれば凹みもあるのだから。それをうまく、補い合って、両者共に欠けている部分であれば第三者に助けや介入を求めた方が健康的だし、建設的だ。夫にアスペルガー傾向、妻にADHDのある我が家なので、それは痛切に感じている。

 相手の常識と敢えて戦わず、和していく。

 国際結婚にしろ、そうでないにしろ、異性間のパートナーにしろ、そうでないにしろ、結婚は、そういう悟りの境地を垣間見せてくれるような気がしている。

そういうスタンスで、私は、もうちょっと、頑張ってみようと思う。

かぐやの国のかの人の、驚くようなひと言に、今日も外国を感じながら。


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