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秘事

 きみと笑い合う時間。

 日没前30分。

 眼下の入江には、もう深い影が落ちていて、

 波はよく見えない。

 風を浴びて高台のコンクリ壁に座るわたしたちの背に、

 暖かい夕陽がさしている。

 きみの制服のスカートがぱたぱた鳴いて、

 セーラーが風を孕んでいる。

 夏の夕暮れである。

 ふたりは図書クラブに在籍している。

 風通しが悪く、かび臭い図書室でやっているクラブが終わると、

 すぐに抜け出してこのコンクリ壁に来る。

 コンクリ壁は、

 小さな山の頂にある校舎、その裏に打ち捨てられた、

 何かの残骸である。

 天文台か何かだと、きみは考えている。

 なんにせよ、ふたりの基地。

 壁の裾は、屋根があって小屋のようになっていて、

 きみはそこに寝袋などもちこんでいる。

 ふたりはそこで秘密を分け合う。

 そして、日が暮れ始めると、

 コンクリ壁の上に上がる。

 たそがれどきの、アンニュイな大気の中では、

 顔も判別つかなくなってくる。

 でも、ふたりは、

 大笑いしたあとのように、

 顔を赤らめているはずだ。


 きみは云った。

「○○○。○○○○○、○○○○○○○○○。」

 わたしは、きみを覗き込んでこう返す、

「×××、××××××。×××××××。」

 風がふたりの言の葉をうばって流していく。

 ここは秘事のコンクリ壁だ。


 入江の対岸に見える薬品工場も、

 教室に座るクラスメイトも、

 職員室という神殿の中も、

 秘密は、どこかしこに溢れている。

 ふたりの秘密だって、大したことはない。

 よくある、青春の内緒。

 往々の秘密と一緒で、

 みんな表面は知ってるけど、

 本質的なことは、ぼやけて分かりようがない。

 わたしたちが、どんな思想で、

 どんなことを共有しているかなんて、

 だれにも、分かりっこない。

 それは、“秘密” のお決まりのたたずみ方。

 そとに漏れ出てくるのは、

 打算的な権謀術数の解答だけ。

 本当はもっと複雑に入り組んでいるということを、

 ただなんとなくわかっているだけ。

 って、そういう。


 でも、

 世界は、

 いつも見ているのだ。

 分子は、風は、音は、光線は、

 複雑さを構成する積み木のすべてを知っている。


 ふたりは、そこに恥ずかしさを感じる。

 ふたりは、だから顔を赤らめる。

 炭火の最後のように太陽が燃えている。

 だれにも明かせない秘事の後ろめたさを、

 心の昂りを、

 すべてをさらけ出した高台で、

 人にだれにも見られない廃墟で、

 太陽が今日の務めを終えるまで、

 コンクリ壁の上で笑うのだ。

Kise Iruka text 123;
will you keep a secret?

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