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不安と仲良くする道、わかるとできるの距離が遠すぎる

こんばんは。うつや強迫性障害、不安障害でお休み中のにんにんサイボーグです。
今日は私が抱える不安について綴っていこうと思います。
主に強迫性障害からくる不安なので、一般的な不安とは少し違うかもしれません。何卒ご了承ください。

*****

日常の中で、とめどなく浮かんでくる強迫観念。

何回手を洗っても納得できなかったり、スイッチを切ったヘアアイロンのことがいつまでも気になったり。
歩いているときには、気づかずに人にぶつかって怪我をさせてしまったらどうしようと考えたり。
郵便物を送るのも一苦労。中身の確認が止まらなくなってしまう。

(もしかしたら…)(まんがいち…)(誰かに迷惑をかけてからでは遅い…)

これは全て自分が作り出した、ニセモノの不安だ。
私はニセモノ不安製造機(ハイパワー)と化している。

でも強迫性障害になってすぐの頃と今では、不安に対する自分の反応は少し変化してきている。

例えば人とすれ違った時「気づかないうちに、ぶつかって倒してしまっていないかな」といった考えが浮かぶとする。
最初の頃はそれがまるで「事実」であることのようにただただ怯えていたが、最近は少し違う。ニセモノの不安であるとわかっているから、この考えが浮かぶ事それ自体にイライラしている。
でも最終的には、どうしてもその考えに従ってしまい、不安を取り除くために振り返って安全確認をしたりする。

わかってるのに、できない。

これが今の私の大きな課題だ。
今は単純に「頭でわかること」と「実際自分の行動」の距離が遠すぎる。
距離が縮まらない原因は、自分の不快感を全力でどうにかしようとするからだ。

普通の人だって、不快な出来事があったら何かしら対処法を考えるはず。
私も当然そうしたい。
でも私の治療方針は、不快を全部無視することだ。
これが本当に気持ち悪いし、辛いし、冷静でいられなくなる。

1回だけ、あと1回だけ。
安心するための確認行為はかえって不安になるだけだ。罪悪感だって生まれる。
矛盾だらけの日々を過ごすと、疲労感も溜まってゆく。
もうこんなの正直嫌だ。

自分で作り出してるニセモノの不安に必要ないのに不快にさせられて、悩んで、苦しんで。なんて非生産的なことを日々繰り返しているんだと呆れる。

それでもちょっとだけマシになったこともある。
それは不安を前より引きずらなくなったこと。
浮かぶ考えは止められないけど、それがニセモノだと判断しているからなのか、その不安が頭を支配している時間が以前より格段に短くなったと感じる。これは考えを消そうと努力したわけではなく、いつの間にかそうなっていた。ちょっと嬉しい。

本来「不安」は生きていく中で自分を守るために備えられたもののはずだ。
だから一生切り離せないし、必要なものなんだと思う。
だからこそ仲良く付き合うための道を今は探している。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。どうか皆様にも穏やかな時間がおとずれますように。

※見出しの画像お借りしました!ありがとうございます。

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