公表する?しない?
することも、しないことも、自由。
このnoteに関しては、わたしはプライベートの知人であったり医療従事者などには一切公表していない。
HNだって、これまで使っていたものとは違うものを使い、わたしは自分の日々の葛藤などを綴っている。
わたしが、精神疾患であることを知らない頃からの友人や知人には、わたしが疾患を抱えていることや障害を持っていることは一切公表していなかった。
過去、わたしは知人以上友人未満の人から、わたしのプライベートに関することを言うように強要された。
わたしは、何とかのらりくらりと逃げていたけれど言わざるを得ない状況になってしまい言ったことがある。
いや、正確には【言わされた】。
すると、彼女は見下した態度で
「そんな(精神疾患を持った)人達は甘えるから。笑」
と言い放たれたことがある。
日本という国は、未だに障害者(特に精神疾患)に対しては偏見と差別が強いと感じている。
就労移行支援に勤めている支援員でさえ、そんな考えを持っている支援員はいると思う。
わたしは、障害者であることに対してこの時から後ろ向きな姿勢になり、元々人間不信だったのに拍車がかかったのだ。
併せて、疾患が分かる前から知っている友人や知人に心配をかけさせたくない。
更に偏見や差別の目で見られること、腫れ物扱いされることを極端に恐れた。
だから、公表はしなかった。
けれど、詳細までは話していなくとも、わたしは長年の友人、知人に公表することに踏み切った。
これまでも、わたしのことを心配してくれたり色んな話をして…連絡をそこまで頻繁にしていなくとも連絡すれば盛り上がれる。
そして、わたしがどうであれ、【わたしはわたし】だと思ってくれる人達だと思った。
だから、思い切って公表してみた。
公表しただけではない。
疾患のことだけではなく、わたしが次のステージに進むことの報告も併せておこなった。
この報告は、大事な人達にはどうしても伝えたかった。
暫く連絡してなかったけれど、すぐに
喜んでくれる人が、ちゃんといた。
疾患に関しては全く触れることなく、わたしの門出をただ喜んでくれた。
疾患や障害を持っていても関係なく、【わたし】を見てくれていつも通り接してくれたことが、嬉しかった。
本当にありがとう、と心から思った。
身勝手な事をしたと思う。
けれど、ある意味伝えられて良かったのかもしれない。
自分の病気を伝えること、公表することは、相手に負担を掛けてしまう危険がある。
けれど、そこは関係なくこれまでと変わらぬ【わたし】として接してくれる人達は貴重な存在。
この人達との関係は、これからもずっと大切にしたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?