研究者の魅力を「引き出し」「伝える」プロのこだわり、というイベント雑感(3)

こんど(8/25)京都大学でこんなイベントを開催する。

リンク:研究者の魅力を「引き出し」「伝える」プロのこだわり

イベントの内容を考えるにあたり、何人かの若手研究者に「研究者の定義」「何をしてたら研究者ですか」と質問をした。いくつかもらった答えの中で印象に残ったものは「査読付き論文を出し続けること」という回答だった。

「伝えている情報が正しい」、正確に言うと「正しいと自信を持って言えるプロセスを踏んでいる」ことにそこまで重きを置いていないメディアや聴衆に対して発信する機会が増えたときに、どこまで自分の中にある価値観や倫理観によってそのプロセスを守ることができるのか、ということである。

前回も紹介した第1回ガレージ勉強会の中で「アカデミアの人は学会発表を通じて10分くらいは説明時間をもらえると思っているが、テレビの世界では10秒だ」という話が出た。

リンク:第1回ガレージ勉強会

裏で積み上げたプロセスが評価されない世界に言ったときに、なおそのプロセスを守り続けることはできるのか、という話なんだと思う。

冒頭の回答をもらったうちの2名、菌学の普及を目指して「珍菌賞」を企画した白水さん(@Takashirouzu)と、

リンク:菌学若手の会・日本珍菌賞
リンク:珍奇な菌類"珍菌"の日本一が決定!― 第二回日本珍菌賞 ―

生物学論文紹介集「斜論」を定期的に制作・コミケ等で販売しているハイアイアイ臨海実験所のかめふじさん(@kamefuji)、

リンク:コミックマーケット85報告&「斜論」通販案内

なのだが(一緒に飲みながら話を聞かせてもらった)、特に珍菌賞に対して「見てる人がそのプロセスに意識を払っていなくても、学術的に裏打ちされた情報だけを出している」と明確に語っていた。(「斜論」は基本的に査読付き論文を紹介してるので、最初からそこはクリアしてる)

この話をしてたときに、白水さんが「アカデミアが社会から自分たちを切り離して守ってきたもの」という話をしていたのもとても印象に残っている。

白水さん・かめふじさんとこの話をする前は、「よく分かってない人によって、妥当性のあるプロセスを踏んでいない知見がノイズとして学術的蓄積に混ざるのを防ぐ」ことだと思っていたが、話をいろいろしてみて「社会と接続することによって、妥当性のあるプロセスを踏むこと自体の価値が落ちていく(可能性がある)」ことを恐れているんだなと思った。STAP騒動や早稲田の博士審査についてアカデミアの人たちがあれだけ大きな声をあげているのはここにあったんだなと。

このあたりは、アカデミア卒業宣言をしている堀川さん(今回の登壇者の1人)にも当日話を聞いてみたい。

リンク:むしブロ・アカデミアを卒業します

イベントまで残り1週間だが、当日までに各登壇者の詳しい紹介などをしていく予定。

p.s.
今回の内容は、以前書いたこの記事とも関係しているので合わせて紹介。

リンク:「野生の研究者」について考えた


【研究者の魅力を「引き出し」「伝える」プロのこだわり・記事まとめ】

リンク:まとめサイト(関連情報のリンク集など)

リンク:雑感(1) 開催しようと思った理由(ポジティブ編)

リンク:雑感(2) 開催しようと思った理由(ネガティブ編)

リンク:雑感(3) 何を持って研究者というのか、について

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