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思い出は次へのエネルギーになる

大学院に在籍している私は、昨年末から2月いっぱいまで長い冬休みだった。集中講義が終わった1月末に日本へ一時帰国した。昨年も同じ時期に日本へ帰ったが、その時はまだコロナの水際対策が厳しく、日本でも韓国でも約1週間のホテル隔離をした。まだ日本入国時にPCR検査が必要だったが、それでも一年でなんて楽になったんだ、と思った。

そして、一昨日ソウルの自宅に帰ってきたのだけど、今回の約1か月の日本滞在は、意図せずリフレッシュ以上のものを得ることができた。

それは今後3年ほどの自分がどうありたいか、どういう環境に身を置きたいかを想像する機会になったということ。そしてそれを実現するために、卒業までの半年間のエネルギーを十分に蓄えることもできた。

日本滞在の前半は福岡の実家に、残り2週間は昨年11月に結婚した姉と旦那さんが住む千葉の家に滞在していた。(ところで今まで2回しか会ったことがなかったのに快く泊めさせてくれた義兄には感謝しかない…)

この2つの環境で生活したことで、やっぱり私は関東(東京)で暮らしてみたいと確信した。単に東京が便利で刺激的だからというわけでではなく、私がこれまでイギリスや韓国に暮らしそのたびに新しい自己を構築してきたように、東京で生活したらどういう自分が待っているのだろうとワクワクするからである。

そしてできれば姉夫婦の家から徒歩圏内に住みたい。これには2人も大賛成で、すでに散歩のついでに周辺にワンルームがないか一緒に見て回ってくれた。実現できれば、例えば、私が仕事帰りに姉夫婦の家に寄って一緒に夕食を食べたり、週末には日帰り旅行やボードゲーム大会をしたりできるかもしれない。(義兄はボードゲームにはまっている。)
ひとつ屋根の下にともに生活していた時とは違う、姉との関係性、家族の形を築くことができそうだと感じている。

滞在中、何度か都内に出たが、電車の窓から見えるスカイツリーをぼんやり見ながら「私も東京で働きはじめたら、この路線に揺られるのだろうなぁ」などと空想してしまった。

関東に滞在するのは初めてではなかったが、今回のように近い将来の自分が生活する場所(だろう)という認識を持ったことはなかった。
この変化はおそらく、自分の卒業と就職とが1年以内に控えていること、結婚という新しい人生フェーズに入った姉の姿を見たことが背景にあると思う。

日本からソウルに戻る道中、「私は残りの半年で修論を書いて仕事を見つけよう」「韓国生活、ひいては学生生活にけりをつけよう」と気持ちにスイッチが入った。
韓国の友人たちに戻ってきたことを知らせるのも兼ねて、インスタのストーリーにそれが分かる写真をあげたところ、母から「思い出はエネルギーになるね」というコメントが届いた。

まさしく今回の一時帰国はそうだった。姉夫婦の家に滞在したこと、都内で遊んだこと(福岡の実家で親とゆっくり時間を過ごしたことももちろん)、そこでの経験や思い出が、次の半年間に向けた大きなエネルギーになった。


少し話は変わるが、よく「正しい」お金の使い方として「経験のために使う」というのが挙げられる。これまで私は経験によって将来の自分の可能性や能力が広がるから、いわゆる自己投資になるからだと理解していた。けれど、もっと漠然と、経験は将来に向けた精神的エネルギーにもなるから、ということに気がついた。
経験は思い出とも言い換えられるだろうが、その思い出が良いものだったら「もう一度味わいたい」というエネルギーに、良くない思い出でも「あんな経験はもうしたくない」という反発のエネルギーにもなる。しかも、思い出は色褪せはしても、覚えておこうとする限り無くならない。

思い出は過去の記憶というセンチメンタルなものではなく、それ以降自分を引っ張るエネルギーになるのだと体感した一時帰国だった。


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