最近読んで面白かった自費出版本3冊

①前田隆弘『死なれちゃったあとで』

初めて「死」を意識したのはいつだっただろうか。
本書を読みながらふと湧いた疑問を紐解いていくと、あれよあれよと古い記憶が蘇ってくる。思い出せるかぎりの最古の記憶は、たまごっちのディスプレイだった。煌びやかだった部屋は墓地と化し、愛情を込めて育てたキャラクターは幽霊に変貌する。その事実を受け入れられずに母に泣きついたか、まあしょせんゲームだし……と冷静に受け止めたか、どのような反応を示したかまでは覚えていない。
もう一つの候補としては、幼馴染から譲り受けたハムスターだ。もともと寿命の短い生き物ではあるし、譲り受けた時点でそれなりに成長していたからか、飼って半年ほどで死んでしまった記憶がある。その時も悲しいという感情は湧いたけれども、癇癪を起こすことはなかったと思う。事前にそんなに長生きしない、みたいなことは言われていた気がするので、幼いながらもその心構えはできていたのかもしれない。
それから年齢を重ねていくにつれて、身近な人たち(関係性は近いが、実際にはいろんな意味で距離があった)の死を経験した。祖父母、親戚、知人、etc……接した回数は少ないけれども、自分が話したことのある人たちがこの世からいなくなることの重大さを、当時はきちんと受け止められていなかったように思う。読み進めていくうちに、これまでに経験してきた「死」の数々に思いを馳せること必至である。

本書は著者である前田の家族、親戚、友人、知人、はたまた偶然出くわした事故現場など、身の回りで起こった「死」にまつわる出来事を綴った回顧録である。なお、本書で扱われている「死」にはネット上での交流の断絶も含まれている。タイトル通り「死」が題材になっているものの、決して悲観的な内容にはなっておらず、全体的に筆致は軽やか。また、著者の自伝的な要素も強く、成長譚と呼んでも差し支えない趣きがある。中でも、作中幾度か登場するD氏を巡る一連のエピソードには心打たれて、思わず涙腺が緩んでしまった。D氏は前田の大学時代の後輩で、自殺によって亡くなっている。D氏のエピソードは序盤に出てくるのだが、後半のある出来事がきっかけで前田は自分の中にある彼の存在の強さを再認識し、D氏の故郷である種子島を訪れることになる。そのきっかけとなるインタビュー合宿の章で明らかになるのだが(そこで初めて気づくと言ったほうが正しいかも)、前田が彼に対して親愛の情を抱いていた理由がとてもチャーミングでグッとくるのだ。「人生には明らかに意味がある」というのは『自虐の詩』を締めくくる有名な一文だが、D氏を巡る一連のエピソードから、私はその息吹を感じ取った。そんな胸を熱くさせる展開が盛り込まれているのも、本書の魅力の一つと言える。

そして本書の最後に収められている、片山恭一の取材にまつわるエピソードも読み応えアリ。前田がライターとしての自信を得て独立を志すエピソードなのだが、それはすなわち「生の実感」を得たとも言い換えられるだろう。ほぼ全編に渡って「死」を描いてきたなかで、最後にこのエピソードを持ってくる構成の妙にも痺れた。人生が始まるのはこの世に生まれ落ちた瞬間ではなく、これしかないというものに出会えた瞬間から始まるのではないだろうか。本書は全編を通して、生きていくことの希望を描いている一冊である。
https://booth.pm/ja/items/4828887

②原航平+上垣内舜介『VACANCES2』

スカート澤部&ダウ90000蓮見の対談が載っているということで興味を持った一冊。それに加えて「やさしいともだち」という特集内容にも惹かれて購入した。
目当ての澤部x蓮見の対談はもちろんのこと、ゆっきゅん、Homecomings福富のエッセイ、各種創作やインタビューも充実していて面白かった。
澤部x蓮見の対談は心地よい文化駄話が延々続く内容で、互いのルーツや愛好するポップカルチャーの話題が中心。グレイモヤについて話しているところで出てきた、"お笑いドスケベ"なる素晴らしいワードを知ることができたので、それだけでも読んでよかった。敬意と邪気の効かせ方が絶妙なフレーズである(初出は不明)。
ゆっきゅんは『日帰りで』という曲の背景について書いており、失恋で心を傷めた友人をファビュラスな優しさとユーモアでエンパワーメントしていた。「いつだって心の中で、俺は最高におもしれー女友達だからよ。」と締めくくる文章がなんとも頼もしくて素敵だった。
福富はHomecomingsの楽曲に込められた思い、そして自身のパブリックイメージとの矛盾について切実に語っている。

僕は心のなかでいつでも意地悪で、自分勝手で、嘘だって簡単につけてしまう。それでもやさしくなりたい、と強く願っているし、そうでありたいと日々忘れずにいようと思っている。そうしないと、社会がそうじゃないとこぼれおちてしまうものがたくさんあるからだ。

先日ライブを観に行った際にも、福富は「やさしさ」について言及していて、このエッセイはその延長線上にある内容だと感じた。一言一句正確ではないが、「これからはやさしさの時代が来る」という趣旨のこともMCで話していた記憶がある。
何気ない一言や行動で、相手を傷つけてしまう可能性は誰もが抱えており、それは思いがけないタイミングで不意に起こるものだと思う。未然に防ぐためには普段から他人に「優しくする」ことを意識して行動する以外に道はない。そうした他人への優しさや思いやりを普段から意識していれば、自分だけじゃなく、家族や友人が一線を踏み越えそうになったときに、ブレーキをかけられるはずだ。
例えば人種差別に抵触するような発言・行動を自分がした、あるいは友人・知人がしてしまった際、「私は差別心がない」という自己認識や、「あの人は差別するような人じゃない」と友人・知人を擁護するのは、傲慢で信用ならない考えだと思う。福富が先に引用した文章で書いているように、「やさしくなりたい」という心持ちで歯止めをかけていかないと、人は簡単に道を踏み外してしまう生き物なのだ。自分への戒めとしても強く響いたエッセイで、ひいてはHomecomingsの音楽性への理解も深まる、ファン必見の内容だ。
その他で特筆すべきは、劇団アンパサンドの安藤奎x佐久間麻由の対談が面白く、本書で原が執筆していた公演のレビューも読んで非常に興味が湧いた。最近あまり演劇は観れていなかったのだけれど、次回公演の際には絶対に駆けつけようと思った。
https://vacanceszine.theshop.jp/

③ジョージ、麗日『町山智浩とライムスター宇多丸は、映画語りをどう変えたのか? 前編』

00年以降のポップ/サブカルチャーの水先案内人として絶大な影響力を誇る2名の”映画語り”にフォーカスを当てた1冊。ツイッターのタイムラインで流れてきて「これは読まねば!!」と思い速攻で注文した。
タマフルには愛憎入り混じる感情があるゆえ、書き出すと超長文になりそうなので、それは中編(宇多丸編)の感想を書くときに機会があれば書こうかと……(誤解なきようにいうと、愛情成分の方が多めです!!!!)。

前編にあたる本書では、町山の映画評論家としての業績を振り返ると同時に、氏の映画評におけるスタンスや、映画評の根幹にある思想性を中心に論じられている。前編では町山のバックグラウンドを理解する上での重要人物として、蓮實重彦への言及が多く、宇多丸についての記述は少ない。宇多丸は町山の影響を受けているため、その町山のルーツを詳らかにするのは理に適っていると言えよう。
本書では非常にわかりやすく町山と蓮實の対比がまとめられており(人によっては単純化しすぎという向きもあるかもしれないが)、町山の映画評の理解を深める補助線として機能している。
たとえばp56~p57のこのくだり。ロラン・バルトの”作者の死”という概念を対置し、町山と蓮實の分水嶺を見事に言語化している。

ジョージ そして、町山が攻撃を仕掛けるのは、バルトの「読者の誕生」という言葉を、「映画の見方なんて観客の自由だ」と曲解した蓮實のフォロワーたちなんだ。町山が言うには、『リュミエール』の蓮實以外の書き手は、蓮實の「表層批評」のそれこそ表層的な部分、例えば難解な文体だけをマネしていたと。そして「作者の死」という言い訳があるのをいいことに、作り手にちゃんとリサーチもせず、映画だけを見て感想を書きなぐるだけで「これが表層批評だ!」と威張っていたって言うんだよね。つまり、町山と蓮實派の理論的な分水嶺は「表層に留まるのか、それとも裏の裏までリサーチするのか」とひとまず言うことができると思う。(本書 P.56-57)

町山は「映画には映らない部分」に着目する。その徹底ぶりは偏執狂的と言って差し支えないだろう。制作者へのインタビュー、時代背景、映画や文学などの先行作品のリファレンスなど、物語の骨子を徹底的にリサーチし、因数分解するかのように映画評を行っていくスタイルだ。それに対して蓮實(あるいは蓮實派)はあくまで「スクリーン上に描かれている内容」を重視して映画評を行う。実際の評論はどちらかの要素に偏るというよりは、濃淡はあるにせよ自然とどちらも混ざっていくものだと思う。ただ、批評の切り口が町山・蓮實で異なるのは明らかである。その他にも蓮實・町山で依拠する哲学者が異なるという話も面白かった。本書を読んでまた改めて町山、宇多丸の映画評に触れたくなった。あの頃夢中でタマフルを聴いていた記憶がよみがえる。来る中編・後編が今から待ち遠しい。
https://t.co/WVvLKmHX1x

※おまけ。定期的に読み返す町山智浩のブログエントリー。何度読み返しても奮い立つ名文。


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