【コディ·ポンセ獲得記念】イーグルス外国人先発投手の歴史①(2005~2010)
お疲れ様です、楽天イーグルスファンのしげりんねです。
イーグルスが、ファイターズから自由契約となっていたコディ・ポンセ投手の獲得を発表しました!!
2023オフ補強第1号、待ってたぞ!WtT!!!
(※育成契約の山田遥楓選手、現役ドラフトの櫻井周斗選手は除きます)
さて、イーグルスは久しぶりに外国人先発投手を獲得したことになります。(ノーノーを達成したこともあるポンセはさすがに先発でしょ…)
そういうわけで、今回はイーグルスに在籍していた外国人「先発」投手の歴史を少し振り返ってみようと思います。
イーグルスで1度でも1軍で先発したことのある投手および「先発要員として獲得された」選手が対象ですが、基準はガバいです。すみません。
なお、不肖しげりんねはイーグルス、そしてプロ野球を見始めたのが2011年ごろのため、それ以前の選手についてはWikipediaなどの各種サイト様を参考にさせて頂いている点、また、敬称略であることをご了承ください。
今回は球団創設2005年から、2010年シーズンまでに入団した選手です。
2005年入団
ケビン・ホッジス(2005)
18試合(18先発)2勝12敗 95.0回 42奪三振 防御率6.44
アメリカ出身(楽天入団時32歳)背番号:54
球団初年度に入団テストを経て獲得されました。2002年、ヤクルト在籍時に最多勝(17勝)を挙げた実績を買われたようです。
しかしシーズンで2勝しか挙げられず1年でリリースされました。
引退後はライオンズで外国人選手発掘を行っているようです。(2022年現在)
ゲーリー・ラス(2005)
23試合(16先発)3勝9敗 0S 0H 91.0回 57奪三振 防御率6.33
アメリカ出身(楽天入団時32歳)背番号:47
2003年に巨人に入団するも13試合で3勝4敗、防御率4.14で解雇。翌年、韓国・斗山で17勝で最多勝となるも、2005年でのイーグルスでは5つのボーク(リーグ最多)を記録し6月まで6連敗。
7月に3連勝し、球団初の月間勝ち越しには貢献するも、その後勝ち星がなく1年でリリースされます。
「調子が良い時は圧巻の制球力」などと複数のサイトやブログに記載されていますが、それ以外の部分で日本に適応できなかったのでしょうか…
※2005年のマイエット、スクルメタは先発登板なしのため除外
2006年入団
L.インチェ(林英傑)(2006-2008)
通算:14試合(6先発)0勝4敗 0S 0H 43.1回 16奪三振 防御率4.57
台湾出身(楽天プレー時25~27歳)背番号:91(2006~2007)49(2008)
台湾では最多勝・最多奪三振などのタイトル獲得、5年で45勝の好左腕もイーグルスでは3年間で未勝利。自分が8回無失点の日はムエンゴ+後続が打たれ勝利を逃したようです…。
2008年にリリースされた後は台湾に戻り、2017までCPBLまでプレーし通算59勝。なんと現在楽天モンキーズのコーチをしています。
セドリック・バワーズ(2006)
1軍登板なし
アメリカ出身(楽天入団時28歳)背番号:62
2004~2005年に在籍していた横浜では2年続けて7勝を挙げていたため先発要員として獲得。しかしまさかの1軍登板ゼロ。
怪我があったとはいえそりゃ野村監督(当時)も「詐欺だ」って言うよ。あれ、2020年代に野手で同じような人が連続で…
ライアン・グリン(2006)
21試合(21先発)7勝7敗 127.1回 121奪三振 防御率3.96
アメリカ出身(楽天入団時32歳)背番号:50
楽天初の当たり外国人先発にして、2023オフ時点の外国人最多勝利投手。
7勝とそこそこの成績を残すも、オフに破談となって日本ハムへ移籍、優勝に貢献されてしまいました…
グリンが7勝して以降、それ以上の勝ち星を挙げた投手がいないというのも…
2007年入団
林恩宇(リン・エンユウ)(2007~2009)
通算:8試合(7先発)1勝3敗 34.2回 28奪三振 防御率3.63
台湾出身(楽天入団時26歳)背番号:29
台湾・誠泰で新人王や最多勝に輝いた投手で、前述のインチェ(林英傑)とは台湾時代からのチームメイト。しかし初登板初勝利を挙げるも、2年目からは1軍登板が無くこちらもリリースされてしまいました。
現在は中信兄弟でコーチをしています。
ドミンゴ・グスマン(2007途~2008)
通算:34試合(26先発)4勝11敗 157.1回 105奪三振 防御率4.29
ドミニカ出身(楽天プレー時32~33歳)背番号:50
記録よりも記憶に残る、そしてインターネットの歴史に名を残した人物。
横浜、中日でそれなりの結果を残すも故障、2007シーズン途中に楽天と契約。翌年、福盛和男の移籍・小山伸一郎の出遅れなどから抑えに転向しますが…
ソフトバンクとの開幕戦で炎上、7球でサヨナラ負け…
2日後の登板でも小倉恒が貯めたランナーを返してしまい田中将大の勝ち星が消滅。
実況版は「ドミンゴwwwwww」の書き込みで埋め尽くされ一躍流行。詳しくは↓
1セーブも挙げられず抑えを剥奪されたドミンゴは先発再転向。
しかしながら、先発では安定した投球をしても打線の援護がなく…
今度は「ムエンゴ」という新たな言葉が生み出されてしまう結果に。以来、援護のなさに苦しむ先発投手に延々と使われることとなりました。
ドミンゴ本人はこの年でリリースされましたが…
「〇〇ンゴ」という言葉自体はその後も多用されていき、野球に関係ない実況版・スレに定着。SNSや動画共有サイトにも輸出、メディアにも取り上げられて完全にネットミームと化し、女子高生の間でも流行するなど投球から10年近くたってまさかの一大流行語(尾)になってしまいました。
一人の外国人投手、しかも決して成功と呼べる成績を収めたわけでもない投手から2つも歴史に残る言葉が生まれてしまう。
ある意味では間違いなくレジェンド外国人選手です。
アダム・バス(2007)
5試合(4先発)0勝3敗 15.1回 13奪三振 防御率7.63
アメリカ出身(楽天入団時26歳) 背番号:50
初先発では5回3失点とまずまずも敗戦投手になると、続く2試合ではKOされて3連敗。終盤に先発・リリーフで1試合ずつ登板するもオフにリリース。
※2008年に入団したマーカス・グウィンは先発登板なしのため除外(中継ぎで2009年に47登板)
2009年入団
ダレル・ラズナー(2009~2013)
通算:158試合(46先発)14勝27敗 366.2回 288奪三振 防御率4.17
アメリカ出身(楽天プレー時28~32歳)
「ラズナーはリリーバーでしょ?」というイメージの強い選手ですが、2009年~2011年中盤までは先発投手でした。
2009年は4勝7敗、2010年は5勝11敗ながら契約は継続。すると2011年7月、当時クローザーのライアン・スパイアーが抹消されたことにより来日初の中継ぎ登板を果たすとそのままクローザーに定着。
2012年は青山浩二の8回を投げるセットアッパー、2013年は青山と入れ替わって再びクローザーとなりチームに貢献しますが…
8月に肘を痛め途中降板、チームを離れることとなります。
ベンチに残された17番のユニフォームとともにチームは優勝。青山がそのユニフォームを着込んで胴上げと相成りました。
ponichi.co.jp/baseball/news/2013/09/27/kiji/K20130927006697420.html
怪我のためラズナーは翌年引退。現在に至るまでイーグルスの国際スカウトを勤めています。
※2009年入団のマット・チルダース、2010年入団のフアン・モリーヨは先発登板なしのため除外
次回へ続く
2010年までにイーグルスで先発した外国人投手をまとめました。
グリンが2006年に7勝してからそれを上回る勝ち星の外国人投手いないんですよね…
ポンセ、二桁勝利してくれ!
次回はこちら↓
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