不幸な選択

人生の全てが終わっている

いつか報われる日が来るのだろうか


そんなことを考えているけれど

自分の人生にまったく自信が持てない

不幸であることがアイデンティティになっている節がある

いつもどこか少し不幸で

いつもどこか少しついている

一つ不幸があると一つ幸せがある

はたまた

一つ幸せがあると一つ不幸があるのか

私は確実に後者の考え方になる

どうして私はいつもこんなに不幸なんだろう

きっとそう考えている人は私のほかに五万といるし

私より不幸だと思っている人も五万といる

きっとそう言う人はどこか少し不幸になる選択をしている気がする

だってずっと続く幸せなんてないのだから

そう信じ込んでしまっているから

それは私も同じことで

大人になるにつれてそんなことがただただ思い込みだと気付かされてきた

きっと私はこのまま幸せになれる

そう思った矢先に裏切られることだってある

いつの日か自分の呪縛が自分で解ける日が来るのだろうか

しかし今もなお自分にとって少し不幸な選択をしてしまっているのは事実で

少しの不幸のおかげでどんな事象にも裏切られたという気持ちを少なく保てている

裏切られても裏切られても生きていかなければならないなら

自分の呪縛で身を守ろうと必死になっているのだ

裏切られたことを認めて傷つくのではなく
次へ向かうステップだと思えたなら

どれだけ楽なんだろう

そしてどれだけ幸せなんだろう


今日お隣さんが引っ越しをした

お隣さんはどんな未来を選択したのだろう

自分はこれからどんな選択をして
どんな未来を歩んでいくのだろう


それが楽しみだとは思えない

きっとこの先も自己防衛として少しの不幸を選んでしまうから

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