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クレープ・シュゼットが”祖父の味”だった僕が、都内を食べ歩いて見つけた原点。

僕がアメリカでの長期滞在から帰国すると、いつも母にまず「食べたい」と強請ったのは、ほうれん草のおひたしでした。あまり「母の味」を思い浮かべる機会はないんですが、無意識に出汁と野菜の味を求めているし、なにか舌に刻まれているものがあるのかもしれません。

母の味があるように、僕には”祖父の味”と”祖母の味”があります。今日紹介するのは、祖父の味です。

イカれていた祖父

祖父は大正生まれにしては、とてつもない知識と経験を持つグルメでした。

1970年代かな、マキシム・ド・パリやトゥール・ダルジャンの本店に行くため、当時の「なだ万」のお偉いさんとパリへ行ったという伝説がある祖父。

趣味人〜グルメの大先輩というか、巨匠というか・・・。僕には超えられない壁をいつも感じつつ、父よりも遥かに、哲学や思考や行動力で影響を受けたのが祖父だったんです。

(その他にも、オーケストラの指揮者を目指していた、銀座のクラブに入り浸りでほとんど家にも仕事場にもいない、孫との距離はマスクメロンで「解決」する、80歳を過ぎてiMacを購入、テクノポップが大好き、ヴィトンのパリ本店で爆買い・・・。書けないことを含めた、しかもいまの自分と若干つながるような伝説がたくさんある。)

祖父が数ある東京のグラン・メゾンに足を運んだ中で、最も愛したのは有楽町の「アピシウス」だったそうです。

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「アピシウス」の素晴らしさについては、また近いうちに書こうと思いますが、彼がこの店で魅了され、「自分もつくってみたい」と決意したのが「クレープ・シュゼット」というデセールでした。

そして、日々、その試作品を家族に振る舞っていたわけです。「おい、煮込んでたらクレープが溶けちゃったぞ」とか、「リキュール入れすぎた!」とか言いながら。

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そもそもクレープ・シュゼットとは何か。意外にもコトバンクに出ていました。

四つ折りにしたクレープを、バター・砂糖・オレンジ果汁・グランマルニエを混ぜたソースで煮たデザート。熱いうちに食べる。(出典元: デジタル大辞泉

生意気で反感を買いそうなことを書きますが、幼少の頃から僕や弟や従姉妹たちにとってクレープって、原宿のホイップクリームをたくさん詰めて巻く食べ物じゃなかった。むしろ祖父が時々つくる、大量のリキュールとバターとオレンジジュースでフランベした「クレープ・シュゼット」だったんです(笑)

だから、原宿のチョコやバナナやホイップクリームがたくさん詰まったクレープを食べたときは衝撃的でしたよね・・・。というか、子どもにはさ、あっちのほうが美味しいんですよ(;^_^

母方の実家に行くと、家庭料理が出たあとに、必ずデザートが出てくる。自家製のものも登場機会が多くて「クレープ・シュゼット」以外にも、ケーキやスフレを焼いたり・・・いま思えば、僕のアローングルメ道は、こんな英才教育が根底にありますね。

祖父はお酒がまったく飲めない人でしたが、シュゼットのためにたくさんのリキュールを家に揃えているんです。(それをたまに僕の父など、飲兵衛たちに飲まれちゃうんだけど。笑) 

さらにシュゼット用のフライパン、カート、その他一式も買い揃えていました。

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アピシウスのクレープ・シュゼット専用ワゴン。自宅用にこれを買おうという祖父の発想は、常人じゃ理解できない。完全にイカれている(笑)格好から入る、興味を持つと歯止めが効かないのは、まさに僕の元祖。

多様性あるレシピ

「クレープ・シュゼット」は一時期、ほとんどの店で目にしなくなりましたが、最近は渋谷パルコの「カフェ・マルリー」でも、銀座の「アンリ・シェルパンティエ」でも、神楽坂や表参道の「ブレッツカフェ」でもメニューに載っているんですね。

コロナ渦になる前「アンリ・シェルパンティエ」にはかなりの人が並んでいましたし、知らぬ間に人気が再燃していたんだなという印象。

もちろん多くのグラン・メゾンでは事前予約が必要な場合が多いですがオーダーすることができるし、ホテル・オークラや帝国ホテルの喫茶室でもリスト入りしています。

ただ、実はかなりレシピの多様性がある料理。バターを使う・使わない、用いるリキュールの種類と数、オレンジジュース以外の柑橘、など。

僕は祖父のレシピで、舌が覚えている料理。ただ、どこで食べても「祖父の味と比べてなんか違う」という感想でしたね。

2019年に祖父を亡くし、当時まだ「アピシウス」という店を知らなかった僕は、東京のどの店で食べれば、彼の味に近いのだろうとあちこちを渡り歩きました。

そして2020年初夏に行き着いたのが「アピシウス」でした。この店は、僕はアプリで見つけて「行ってみたい!」と思ったレストランでしたが、当日になってそこが祖父が数十年に渡って通っていた店だと発覚。

母へのギフトを兼ねて、「クレープシュゼットの正解」を確かめに行ったのです。

正解の味を確かめに行った

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数十年通い、おそらくこの店で祖父は「クレープ・シュゼット」に出会ったわけです。だから結果として、まあ、もちろん、この店のレシピが正解だったんです。

シンプルな仕上げ、オレンジの色合い、強烈なバターの主張。プロとアマチュアの違いはあれど、これの模倣がよく母方の実家に行くと出されていたことを思い出したし、いろいろと蘇ってくる感覚がありました。

ただ、祖父の味のほうがバターがきっとさらに多い。そしてソースが、アピシウスと比べるとあまり煮立っていなかった、クレープそのもののソテーがじっくりされていなかったかもしれないな・・・など考えたり。

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こちらがアピシウスでの写真

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こちらが祖父のつくったシュゼットの写真。色は近いけれど、クレープそのものに焼き目がついていないのと、ソースの量が多い。

ちなみに「アピシウス」ではサービススタッフが、ゲストのテーブルで調理するんですが、そのスタッフによって味の違いがごく僅かに出る。それがまた楽しいんです。

日本を代表するグラン・メゾンなので、ただの接客スタッフじゃなくて、もともとパティシエだったような方もホールにいるので、腕と感性は確か。手癖というか、わずかな工夫が違いを生むのでしょうね。

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「違った」クレープ・シュゼット図鑑

冒頭に書いたとおり、実はクレープ・シュゼットはレシピに多様性が出る料理。そこで、今回の主旨からはずれますけれど、せっかくなので、食べ歩いた結果「これは違う」だったものを記録として残します。

「アンリ・シェルパンティエ」のクレープ・シュゼットも、かなり祖父の味に近いんですが、グラン・マニエ以外のリキュールを使っていない模様なので、そこで味の差異が出てきます。

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アンリ・シェルパンティエにて。このクオリティで、客席で仕上げる様子も見れるクレープ・シュゼットを単品でオーダーできるのはレアかも。

帝国ホテル「パークサイドダイナー」。バターを使っていないのと、他の柑橘がソースに混じっているので、酸味の主張が強い。そしてワゴンサービスは無しと、かなり僕のイメージとは違う仕上がりでした。

祖父の代から「パークサイドダイナー」は「1ドル銀貨パンケーキを食べに行く店」なので、シュゼットを頼む機会は少なかったんですよね、きっと。

僕がここで食べるときは、別途パン用のバターをいただきます。

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ホテルニューオータニでは「トレーダー・ヴィックス」と「トゥール・ダルジャン」と、2店がクレープ・シュゼットを出しているようですが、僕が行ったのは前者でした。ソースが赤くて、他の果汁が入っているのかな・・・。バターが他の店より控えめだった記憶です。

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表参道のクレープリー「ブレッツカフェ」のシュゼットは、そもそも全然違う料理ですね。ちなみにロサンゼルスのファーマーズ・マーケットで食べたクレープ・シュゼットも、このような仕上がりでした。ここもワゴンサービスはなし。

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オテル・ドゥ・ミクニ」で、クレープ・シュゼットがメニューに入っているときに食事できたことはないんですが、三國さん流のレシピをYouTubeで観ることができました。うん、やはりちょっと違うんだろうな。

実は昨日食べたばかり(笑) 「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」での期間限定。ワゴンサービスなし。リキュールとオレンジジュースによるソースと、カラメルソースが別になっていて、オレンジの果実が乗っているという独自性のある仕上がりでした。

スーシェフに聞いたところ、特にこれはジョエル・ロブションのシグネチャーレシピということではなく、パティシエがカジュアルラインのレストランで、ロブション・イズムを継承するとこのレシピになったという感じらしいです。

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このように、かなりバリエーションに違いは出るんです。そもそもどのようにサーブするか、果実の有無、アイスクリームの有無、ソースの違い・・・。

僕はその多様性を楽しむ日々を一時過ごしたわけですが、どうしても戻ってしまうのは出発地点である祖父の味。となると、アピシウスのレシピに対する思い入れが今後も強くあるのだろうなと思います。

祖父が生きていたら。

3年前に亡くなった祖父。せめて、あと5年ぐらい長く生きるべきでした。そうすれば、アローングルメを邁進する僕に、2020年代の素晴らしい料理をたくさんごちそうしてもらえたでしょう。

物心がつく前の僕は一緒にアピシウスに行ったことがあるようですが、大人になって一張羅も、学生時代よりはお金も手にしたいま、一緒に行きたかったなと思います。

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ただ晩年、祖母を先に亡くして一人暮らしになった彼が、数少ない電話やDMを送ってくるときの用件はいつも、「そろそろオシェトラ(最高級キャビア)送ってください」「青カビのくさいの、なにか送ってください」と孫にせがむ内容でした(笑) 

キャビア、死ぬほど好きだったな。。。

青カビ=ブルーチーズが、彼の好みに合わないものだったりすると、ダメ出しを食らったな。。。(笑)

なのに。最後の晩餐で求めたのは、ペヤングでしたね。

晩年、経済的に破滅していった人生でもあったので(笑)、そこに気をつけつつ、彼に学んだことや引き継いだことを大事にしていこうと思います。


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