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4.27 悪妻の日

「なんだよこれ…」
風呂上がりに冷たい麦茶をさらに冷たくしようと、氷を求めて冷凍庫を開けて出た言葉がこれだ。
「悪魔だ…」
冷凍庫の一角、ぼくの家ではアイス部屋と呼ばれる仕切りの中に、ぎっしりとハーゲンダッツが詰まっている。
バニラ、ラムレーズン、ストロベリー、抹茶、マカダミアナッツ…。
魅惑の女の子たちが、長風呂で茹であがったぼくを呼んでいる。
「くっ…でも、惑わされないぞ…っ」
目をつむりながらめくらで三つの氷を掴み取り、ダッシュで戻って麦茶のグラスにそれを入れた。
氷の割れる音がパシパシと響く。この音はなんだか儚くて好きだ。
「ちょっとマリちゃん、何なのあれ」
グラスを持ってリビングに戻る。
妻のマリちゃんは、すっぴんメガネでネットフリックスを見ていた。
最近は自分でネトフリ中毒すぎて怖いと言っていたが、本当に暇さえあればネットフリックスを見ているので、そばにいるぼくもちょっと怖くなってきている。
「あれってなーにー?」
今夜のセレクトはお笑い番組のようで、間延びした返事が帰ってきた。これはラッキーなことである。
ドラマや映画の時は、大抵返事がないか怒られるかの冷徹な二択の彼女だ。
「あれだよ、冷凍庫のハーゲンダッツ!ぼくが来週健康診断なの知ってるくせにー」
マリちゃんは悪い顔で振り向いた。
猫みたいで可愛い。可愛いと思ってしまうのが、ぼくのダメなところだ。
本当はすっぴんメガネで、他の人から見たらたぶんそんなに可愛くないと思う。
惚れた弱みはいつまで効力があるのだろう?ぼくは時折甘い魔法に胸が苦しくなる。
「私はお腹ぷにぷにくらいのカズくんが好きなの!無理しないで食べちゃいなよ。泣く子も黙る史上最大の連休初日だよ?時代が変わるのに好きなもん食べとかなくていいの?」
たぶん、いや、絶対にふざけている。だって時代が変わっても、好きなアイスの味は変わらないじゃないか。
「これまで週二でジムに行って、通勤でも階段を使うようにして頑張ってきたのに、十連休でネトフリ見ながらアイス食べまくってごろごろしたら、リバウンドどころか体重体脂肪共にプラス判定にしかならないよ!絶対!」
ぼくが涙ながらに麦茶を飲み干すと、マリちゃんがすっくと立ち上がった。
「カズくん、じゃあいいのね?私は今からハーゲンダッツを食べるわ。しかもマカダミアナッツよ。そしてネトフリを心ゆくまで楽しむつもり。カズくんは、そんなしみったれた水出し麦茶だけのんで寝る、それでいいのね?」
この発言はまるで世界中の不正を正そうとする政治家のような勢いを持っていた。
きょうのマリちゃんは、いつもに増して輝いている。
「一口…ください…」
ぼくは負けた。というよりマリちゃんに勝てた試しなど、一度もない。
ぼくの悪い妻は、鼻歌を歌いながら足取り軽くキッチンへと向かった。
きっと帰ってくる彼女の手には、二つのハーゲンダッツが載ってくることだろう。
半分ずつ食べたら二種類の味が楽しめてお得!というのが彼女の口癖みたいなものだからだ。
鼻歌は止まらず、それに乗っかるようにコーヒーミルの音がしてきた。
今夜はコーヒーつきか。つまり彼女は今ご機嫌なのである。
「あーもー…かわいいなー」
ぼくはソファのクッションを強く抱きしめてじたばたした。
明日は絶対に早起きして、ランニングに行く。
悪くて可愛い妻に逆らって必ず痩せて見せるのだ。頑張れ俺。負けるなメンタル。
そう固く、心に誓った夜だった。

4.27 悪妻の日
#小説 #悪妻の日 #ハーゲンダッツ #連休 #JAM365 #夫婦 #日めくりノベル

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