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4.23 地ビールの日

「こちらは、ちょっと特別なものが原料に入っておりますのよ」
小麦色の和服を着た白魚のような肌の女が、そう言いながらうすはりのグラスに麦酒を注いだ。
駅前から少し離れた路地裏にある地ビールバーで、静かな時を過ごす。
BGMはスローテンポのジャズがごくわずかにかかっている程度だ。
コクコクコクコク、とグラスに注がれる濃い琥珀の音もきちんと耳に届く。
「特別なものって、このあたりの特産品かなにか?」
僕はネクタイを外したワイシャツの襟を緩めながら尋ねた。
白く指先が透けてしまいそうな女の指が、僕の前にグラスを置く。
「きっと当たりませんわ。どうぞ」
ふふ、と着物の袖で口元を隠して笑うと、弓のような目がさらに細くなって、特段美人ではないのに魅惑的だ。
「どうかな。じゃあ、当たったら今度デートしてよ」
「こんなおばさんと一緒に出かけてもつまらないでしょう」
僕は泡が消えぬうちにと、女を見ながら一口飲んだ。
濃い麦の香りと強い苦味。その余白にある特別なものの正体を探す。
「うーん。分からないな…あ、ピーナッツ。どう?」
その地域ではピーナッツの栽培が盛んだと聞いていた。
正直言ってまったくの当てずっぽうだ。
「残念ですわね」
女がつまみに小皿に乗せた釜揚げしらすとピーナッツを出した。
ピーナッツはこちらだったか。
「で、結局なんなの?」
女が内緒話をするようにカウンターに身を乗り出したので、僕も身を寄せて耳を近づける。
「…毛ですわ。パンダの」
「パンダだって、バカな」
僕はつい先程麦酒を飲んだ口元を手の甲で拭ってしまう。
「パンダの毛をね、カラスがむしって持ってくるんですよ。巣の材料だそうで。ここの醸造所ではそれをちょっと拝借して、原料にしているそうですわ」
僕は女の悪い冗談だと思った。
世界のどこを探したって、パンダの毛をビールの原料にするわけがない。
「…貴重なビールってことだね。有り難くいただくよ」
背中を椅子の背に戻して、僕は余裕の笑みでグラスを女に掲げた。
なかなかトリッキーな冗談である。
女は「人気者のご利益がありますわよ、きっと」と微笑んで電話のベルに呼ばれ奥に消えた。
カウンターに残された茶色い瓶のラベルにパンダのシルエットを見つけた僕は、一人になったカウンターでまさかと思いつつも麦酒の味の中にパンダのシルエットを探すのだった。

4.23地ビールの日
#小説 #地ビールの日 #麦酒 #バー #不思議 #JAM365 #日めくりノベル

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