Only you drive your own life


自分のヘタッピさを、素直に

人に見せられるかどうかって結構、信頼に関わってくると思う。



人に怒られたときに

受けた負のエネルギーを流す先ならば、

優しい母の胸に飛び込むも良し、

先生に「あいつが意地悪してくる」って泣きつくも良し。

カウンセラーさんに相談するも良し。

それで、自分が悪かったんじゃないと勘違いして、ことを流したら全部終わり。


怒られたときにどう動くか、

どうすべきかを指南してくれる先生もいる

とにかく僕自身の面目を保ってくれる先生もいる

おまえの行動が悪かったんだと言ってくれる先生もいる

できねえやつだといって見放す先生もいる


先生が守ってくれたからALL OK!ではないことに注意しなければ。


僕は最近まで、

だれかが、「おまえが考えて動いたんだったら、そのままでいい」って言ってくれたら、

字面の通り解釈して「あ、今の行動もいいんだ。じゃあ悲観しないでおこう」っていう単純な考えをしてしまっていた。

僕自身、自分の考えるスピードより周りの処理能力のが高かったりするから、「人が言ったことは正しいんだ」と思って、自分で考えることを放棄した経験が結構多い。


違うよ!

先生って、仏でもない、守護神でもない、天使でもない、絶対的存在なんかじゃないんだよ!


人が引っ張ってくれる、人が絶対に正しい、そんなことないんだよ!

結局、自分がどうしたいかによって、その“怒られ”の解釈を自分で捉えてかなきゃ!


きついんだけど。

自分がメンタル保つために、そこそこ流せるようになって来たから、

怒られたってことが、自分を否定するものじゃないとわかってきたから、

だからこそ、流さずに必要なところを受け止められるようになろうと思います。



自分の体がmy carだとしたら、

それをdriveするとき、最終判断は、自分しかできないよっていう

ふわっとしたニュアンスでタイトルにしてみました。


ここ最近、怒られの頻度が、今までの人生と同じ目盛りじゃ追いつかないほど増えたので、

最近は怒られることと向き合う日々。

メンタルだけは持たせたい。



いいことありますように!