見出し画像

逃避行記

坂を下り続けるといつも同じ潮の匂いに辿り着く。港町には坂が多い。人々が海に集うとき、そこには足りないたましいがある。(ように見える。)この星は球体で、隅で泣くことはできないけれど、海はすべての先だから好き。いつも立ち尽くしたくてここへ来る。呼吸できるかできないかの、ギリギリのところで生を感じるのが好き。私は海を前にするたびに堤防や海岸の端に立ち、ぼんやりと目の前の出口を眺め続ける。私はそこに立ち尽くすことしかできない。(私はいつもこうして立ち尽くすことしかできない。)私は私の影を切り離すことはできないのだと、そうやって何度も確かめるうちに一層私の影は濃くなっていく。

夜、吸い寄せられるように電車に揺られ、坂を下り、ひらかれていない6月の海へ辿り着く。(ほんとうの海は真っ暗で、そこに身体が透けることもない。)海辺に沿って歩いていくと、その奥には漁港があり、やがてひとつの堤防へ辿り着く。その先は闇に途絶えていた。(ほんとうの海は真っ暗で、そこに身体が透けることもない。)暗い海に囲まれた街灯のない堤防に立つ時、私は私の身体も視えず、そこでは私という意識でしかおのれをたしかめる術がなかった。(私はどこまでもついてくる。)私は私を抱えて宿へ戻り、身体を洗い、おのれの輪郭を確かめた。

 携帯から鳴る規則的な音で目を覚ます。初夏の熱を浴びていると、嫌でも精気を取り戻す。昼頃に友人から電話が掛かってきた。生きていてよかったと伝えられたとき、私はやはりどこか自分自身のことを他人事のように俯瞰している節があるような気がする、とまた他人事のようにぼんやりと思った。離れても近くにいてくれる人のことをもっとちゃんと大切にすべきだと感じて、鋭い正午の日差しの中で少し泣いた。

食欲はあまりなかったけれど、身体を動かすためにはエネルギーを補給しなくてはならない。私は商店街のはずれにあった喫茶店へ立ち寄ることにした。店内で流れていたのはエラ・フィッツジェラルドのIt's only a paper moonだった。この曲は村上春樹の1Q84という小説の冒頭で歌われている。17の頃に読んだあの日から、私にとって1Q84はかなり重要な物語だった。

It’s a Barnum and Bailey world,
Just as phony as it can be,
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me.

ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる

私はずっとこの通りの気持ちで世界を見ているし、会うはずのない場所であなたに会ったり、聴くはずのない場所で何故かその曲を耳にした時、ここが物語の中で、今が1Q84年である可能性を考える。現実の中でうまれた虚構には少なからず現実が含まれる。それが虚構の中でどう言い換えられているのかどうかであって、すべてはそこにあるから書かれるのだと。
長編小説を読み進めながら生活を送っている時、私はふたつの時間の中を生きている。そしてこういう時のように、偶にちょうど互いの針が重なって世界がひとつに見えることがある。

下った坂を上り、山の上の神社へ向かった。お守りをひとつ買うことにした。この場所のことを思い出すためのきっかけとしてなにかの印を手にしたり、写真を撮ったり、こうして文章を書いたりする。それらを見返すことや読み返すことがなかったとしても、残そうという気持ちで私は少し先を見ることができる。

広がる景色が見たかった。立ち尽くしたくて海へ行き、山へ登った。道中でバスに揺られていると、「次は 理想郷」というアナウンスが入る。いよいよ終点が近づいてきているように思えた。私はバスを降り、リフトに乗って山頂へと向かった。山は肌寒く、空気の匂いが青白い。山頂から街を見下ろすと、すべてがちっぽけに見えるから好きで、そのひとつひとつに生活があるということに救われる。私たちにはそれぞれ、私にとってのすべてであると言える街があるということがかけがえのないことのように思える。

山を降りたあと、私は気が付くと反射的に帰路とは逆方面の電車へと乗り込み、身体は伊豆の方へと向かっていた。帰ること、戻るべき場所のことを考えるとまた泣いてしまいそうだった。トンネルを抜け、海が広がる車窓を見て安心する。これは帰り道ではなく、私が閉ざされることはない。
ろくに地図も見ずに予約した宿は山の中にあり、バスはどんどん奥へと進む。乗客は私と地元の中高生だけで、だんだん人々の生活のほうへと近づいていく。社会から切り離されたくて遠くへ行っても、そこには社会が広がっている。それは当然のことだった。

宿まではバス停から少し歩かなくてはならなかった。山の中には街灯がなく、田舎の夜はとても暗い。道中にはトンネルがあって、そこを1人で歩いているとき、私はまた1Q84のことを思い出した。冒頭で青豆が高速道路を走らせるタクシーから降りて1人で歩く。非常階段を降りるとそこには別の世界が広がっている。高速道路もトンネルも、歩くはずのない場所で、車が通るその道を、青豆と私は1人で歩く。山道に突然現れたこのトンネルを抜けた先で世界が少しだけズレることを想像する。すべては想像に過ぎないけれど、想像こそが私のすべてであるとも思う。(But it wouldn’t be make-believe if you believed in me.)(でも私を信じてくれたならすべてが本物になる。)

無事に宿へ辿り着くと、部屋には“人生は旅”と書かれたスリッパが律儀に用意されている。
思えばここ数週間で安心して眠れたという日がない。大抵部屋の電気をつけたまま作業中に寝落ちてしまうか泣き疲れていつの間にか寝てしまっているかのどちらかで、ちゃんと電気を消して布団に入って眠ることのできた夜がなかった。良い宿に泊まっても私は部屋で1人で声をあげて泣いて夜を越すことになるだけだった。またうまく眠ることができなかった。それはもう私がどこへ行き、どこに居たとしても同じで、自分の部屋から逃げるように遠くまで来ても私が私である限り何も変わらないのだということに気づいてまた泣いた。

日が昇ると大雨だった。突然家を飛び出してきたから当然傘など持っているはずもなく、びしょ濡れになりながらバスを待った。西伊豆の先にある堂ヶ島へ向かう。波は荒れていて、案の定フェリーは欠航だった。それでも海が見たかった。崖に立ってその荒波を見下ろす。私にはその脅威を前に立ち尽くすことしかできない。(私はいつもこうして立ち尽くすことしかできない。)潮風でベタつく肌や髪に触れて、私はおのれの輪郭を確かめる。

いくつになっても帰路が苦手で、いつも途中で拾われたいと願ってしまう。このまま電車が止まればいいのに、それか一生止まらなければいいのになんて子供じみたことを考えているうちに電車は私を淡々と最寄駅まで運んでしまう。駐輪場の履歴を見るとそこには56時間40分と表示されていた。こんなに遠くへ行っていたのに、私がこの街から、私の生活から離れていた時間はたったの56時間40分だった。だけどこれだけの時間のうちにも、遠くへ行こうとする気持ちさえあれば、私たちはどこへでも行くことができてしまう。それはこれからも生活をやっていく上でのとても大きな希望だった。

いつも素敵な言葉をくれる教授が、あなたが今こうしてやっていることはすべて続いているし、続いていくのだと教えてくれた。作品をつくるとき、そこに完成はあるだろうけど、同時にあなたはこれからもずっと作り続けていく。作品はその時のあなたを堰き止めた成果のひとつでしかないのだと。だからそんなに気負うことなく、長い目で見てあなたを続けていきなさいと言われたことを思い出した。どこへ行ってもどこへ居ても、私はずっと続いている。街から離れ、遠くへ行くことがあったとしても、それはかならずこの道の先に続いている。

もうどこへも戻ることはできないのかもしれないと思うことがある。同じ駅でふたたび降りて、同じ街へ帰ってきて、どうしようもない気持ちをどうすることもできずに持ち帰ってきてしまっても、私は私から逃れられず、私をやっていくしかないのだとしても、私は入れ替わっていく。秒針は回り続け、火は燃え続け、水は流れ続け、人は入れ替わり続ける。そこで答えが入れ替わる。私が入れ替わる。それでも私は続いていく。

すべては戻れないからうつくしく思えることを知っている。遺すことは先へと繋がる。海はすべての先だから好き。私は立ち尽くすことで、どうにもできないことがあると悟って安堵する。暗い海にも目が慣れたら、きっと私はふたたび息ができるようになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?