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くちなしの欠伸

平日の昼下がりはいつも青写真を無理矢理引き伸ばしたみたいに間延びしている。わたしはくちのない生き物に向かってえんえんと話し続けている。風が吹いてそれは答える。その答に堪えて耐えて耐えて耐えて耐えていつか絶えるところまで目に見えている。それでもわたしはこうしてえんえんと話し続けている。それが届くかどうかではなく放ち続けることがわたしの意味で、だけどそういう掬い方をしているうちは結局わたしはわたしのなかで生きるしかない。日が昇って朝が来て、日が沈んで夜が来る。規則的なひかりがわたしを射すと乱反射してその視界をくらませる。遠視用の歪んだレンズをとおして見ていたあなたは本物だったのかな。眼鏡をかけるとやけに世界が眩しいから曇りの日のことが嫌いだった。晴れの日は透明な光で曇りの日は真白の光。ずっとその潔白さに視界を塞がれているようで苦手だった。その直線が眩しくて眩しくて眩しくて眩しくて、だからどの写真のわたしも顔を歪ませながら半開きの目をしていた。ピアスも痛くて未だに片方しか開けられずにいる。半開きの目、片方だけ穴の開いた耳、だからの先が見つからない日記、中途半端なゆめ。わたしはいつもわたしのことを追いかけて、いつまで経っても完全なわたしになりきれない。だけどその半開きの目にかがやく虹彩が、片方の耳を留める一粒の光が、だからの先にある白紙の眩しさが、中途半端なゆめの隙間から漏れる突飛なのぞみの煌めき方が、皮膚のまだやわらかい部分にふれたときのみずみずしさを呼び覚ます。

毎日休み時間になったら校庭で育てている朝顔に水をやりに行ったこと。数日観察日記をつけ忘れてその朝顔は突然成長してしまったこと。枯れた葉を無言で取り払ったあと綺麗になった朝顔を当たり前みたいな顔でスケッチしたこと。消しゴムで消してもどうしたってそこに残ってしまう濃すぎる筆跡。好きな人の名前を書いておいたら両思いになれると信じていた頃のみんなの消しゴムはシュレディンガーの猫だったね。ノートの端に書いたあの子の名前を拭おうとして破れてしまった最後のページ。空白は空白にして空白ではないんだったね。わたしたちには本当はずっとその先が見えていたんだね。ねえ、だからあなたにもわたしにも本当はこの句点の先も見えているはずでしょう、だって、

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