見出し画像

嫌なことから逃げてもいい、という言論

むかしツイッターで(現X)よく流行っていた(今もかも)

「つらいことがあったら逃げてもいい」という言論。

ここに「いやな仕事はやめよう」「すぐに転職を考えよう」「モラハラ彼氏・彼女とは別れよう。もっといいひとが見つかる」「結婚しろとうるさい親から逃れよう」などといった言論も派生作品として入る。

わたし個人としては、こういった「逃げ場を作ろう」という意見にはもともと賛成で、日本人は真面目すぎる方が多いくらいだから(人種的なものなのではなくて、文化的・教育的な産物)、そういうことは一度は考えなくてはならないと思っている。

ただその「流行り方」を見ていると、ちょっと心配になって来ることもある。

もちろん流行る、ということは、多くの人がそれを求めている、ということで、ならば、どんどん奨励されるべきだとも思うのだが、すこし「安易」に考えているのではないか? と感じることもある。

「逃げる」というのはいつだって大決心であり、掴むはずだった栄光・順位・評価を、一度は手放す行為であると思っている。
もちろん激務・抑圧のなかで生きていても何一ついいことはないので、本来の自分に戻るために、決心がつけられるなら、ぜひそうした方がいい。

わたしも一度は中三のころ、いじめがあって(中一のころから耐えていた)不登校になり、8か月ほど学業を休んでいたことがある。

中三の受験期に8か月、というのは一大事である。
しかし、そのときに初めて「自分自身」というものと向き合えた気がする。

小学校のころは(バカだったので)遊びで忙しく、中学校に入ってから部活とむずかしい勉強、思春期に複雑化する人間関係であたまが忙殺されて、自分自身と向き合う時間がまったくなかった。

あのとき「逃げて」よかったと思うし、その後の人生は自分で決断して、自分で歩むことのできる日々を生きることができて、よかったし、嫌なことは嫌だといえるようになって、人生が安定したと思う。
(もちろん嫌なことは嫌だというのも、かなりリスキーだし、場合によっては人間関係が破滅してマイナスになることさえある。いまでは少し意見が違う)

だから人間は「逃げてもいい」と思っている。

ただし、それはあくまで「いったん休憩する」ためであって、「人生から逃げていい」ということではない。
別の方向に向かうにせよ、また新しい「厳しさ」が待ちかまえている。

逃げた期間、というのは基本的になくならない。それを潰すには、第一線でがんばっている人の二倍から三倍、がんばらなくてはならない(そんなことは無理)。

あるいはまったく別の方向へ進むとしたら、いままで積み上げてきたものはすべて捨てて、また新しく積み上げなおさなくてはならない。

しかしそれでも、「逃げた」ほうが人生が好転する場合がある。というかむしろそれ以外に選択肢がなくなっている場合の方がほとんどだとは思うが。

そういうときは基本賛成である。

ただし、それはあくまで条件付きの話であって、享楽的な生き方として採用していいわけではないと思っている。

(まあ、もちろんどう生きるのも本人の自由であるが)

わたしが職業上、ひとを指導しなくてはならなくなるとき、よく使う言葉があるんだが、「無理をしてはだめ」は「無理をしている人にむけた言葉」

「頑張らなくていい・逃げてもいい」は「頑張っている人・心がやられてしまっている人に向けた言葉」だよ。

向上心がなかったり、改善する意欲がないひとが、よく「無理はだめ」というんだが、そういう言論を封じ込めるときに使う(こっちも仕事だからしょうがない。本心はちょっと同情してる)

もちろん、そんな人ばかりではない。
わたしがイメージしているのは、ごく少数の人。
ほとんど(あるいは半分以上)の人は、基本的に「頑張り屋さん」だし、「やる気」を持っている。課題を提示したら「全力で取り組む」ことは間違いない。

そういう人はときどきリラックスする時間を設けるべきだし、ときには心身が疲れてしまったときに、長期休暇を取ることはむしろ推奨したい。
人生は長いのだから。

しかし、現代の思想の潮流が、労働忌避・現実逃避・ネット特有のコミュニティ厳選(好きな人以外排斥する)に向けられたとしたら、社会の大切な財産が失われるような気がする。

そういう思想の潮流があるのは、SNSをやっていると、ひしひしと感じられる。

さいきん読んだ本なのだが、原田マハ著「さいはての彼女」という小説内にも、すこし似たような価値観が提示されている。

バリバリのキャリアウーマンが、同僚と喧嘩して、プロジェクトをほったらかしにして田舎を旅する、という一幕がある。
そこで自分と向き合いなおし、自信をつけて、喧嘩した同僚から和解の電話がかかってきて、プロジェクトにもどる、というストーリー(いちおう長期休暇の申請はしている)。

これは短編で、他の三篇もすこし似たような価値観で語られていく。

小説自体のクオリティは、けっこう高く、それは問題ではないのだが、あまりにも一方的な価値観の主張により、すこし「それでいいのか?」と不安になることもある。

若者のような価値観(著者は中年だが)。後先考えず、全部投げ出しちゃえ! を推奨するような、そう取られてもおかしくはない言論に、すこし心配になる。

この作品には、仕事に復帰したあとのことが一切書かれていないし、その後の展望や、計画を思いえがく描写も一切ない。

わたしが思うのは……

わたしが思うのは、SNSの意見や、小説の価値観をそのまま鵜呑みにしないでほしい、ということだ。
ただ、前者は気をつけられるとしても、後者はちょっと難しいか。

作者も人間であるから、思っていることを書くだろう。しかし作者は学者ではないから(学者だろうと鵜呑みにしてはいけないが)、流行に乗っているだけの場合もあるし、あるいは話の中で、そのつもりがないのに誇張されてしまっている場合もある。

もちろんSNSの言っていること(特にツイッター・X)には気を付けた方がいい。
先ほどの話のとおり、「逃げてもいい」は「逃げたほうがよさそうな人」に向けられた言葉であるのにもかかわらず、SNSは基本的に全方位にむけて語りかけられている。
だから少しおかしなことになる。

覚えておいてほしいが、言論は「軽い」が、行動は「重い」ものである。
わたしは努力をしているひとが、なにより大好きだ。がんばっている人は偉い。それは間違いがない。

ただ、逃げてしまった人も、自分と向き合うためならば、いくらでも逃げていい。
しかし自分と向き合うということは、また走り出すことを予期してのことである。今このままじゃダメだから、逃げよう、いったん休もう、ということでもある。

また「我慢はよくない」という人もいるが、わたしは必ずしも、そうではないと思う。
耐えた先に何かがあるとしたら、ひとつ「耐えてみる」「やってみる」ことも大切だ。

さっき「嫌なことは嫌だと断るのは、マイナスになることもある」といったが、結局耐えてプラスになることもある、と思っている。

たとえばある上司から、やったことのない仕事を振られたとしよう。そこには今までにない責任も付きまとうし、残業時間も増えることとする。
もちろんそれでは「嫌なこと」だらけだ。出世に興味がない場合はなおのことだ。
しかしそこで断るとしたら? もちろん断ってもいい。断ったから腹いせに左遷する、なんてことはあるまじき行為であるし。

しかし、ひょっとしたら?
上司は、あなたのことを非常に評価していて、あなたの能力がその仕事のために大きく伸びると踏んでいて、そのうえで将来良いことがあるから、と思って振ってくれたかもしれないし。

ひょっとしたら、あなたはそれを受けていたら、すこしの努力と引き換えに、社内で重要な人物へと駆けあがることができたかもしれない。

あたらしいものの考え方、新しい世界がそこに開けていたかもしれない。

もちろんそれは「かもしれない」に過ぎない。

でもそれは、わたしの体験したことでもある。
わたしは嫌な仕事を全力で断ったこともあるし、「嫌だな」と思ったけど上司を信じて、がんばったのちに重要な信頼を勝ち取ったこともある。

たぶん上司も「彼は嫌だと感じるだろうな」と思っている。
それでも向き合って、我慢して、付き合ってくれた部下を、評価しないはずがない。きちんと感謝してくれる上司なら、そうしてみる価値はある。朝礼で褒めてくれるような上司なら、ほかのチームメンバーにもいい影響が必ずでる。そして事業所でいい結果が出せれば臨時ボーナスが出るかもしれない。

(もちろん、これはかなりいいケースを示したもので、現実的ではないかもしれない)

長くなったが、最近の(というより数年前からの)「逃げてもいい」という流行の言論に対して、感じたことだった。

言葉自体はいいものであっても、独り歩きするうちに意味が変わってしまう場合がある。
情報の取り扱いは、永遠の課題であるが、気を付けるように心がけたい。

(余談)
じつは「嫌いな人は遠ざけよう」という言論に対して、批判的な本はいくつか読んだことがある。
もちろん、団塊の世代の根性論的な主張だと、とられかねないような危うい内容であったものの、一理はあった。
初対面で「あ、この人いやだな」と思っても、付き合ってみたらすごくいいひとだった、ということは山ほどある。案外、最初の印象というものはあてにならないものだ。

もちろんほんとうに嫌な人と無理して付き合い続けてもいいことはないので、これもケースバイケースである。

ほんとうに困っている人と、軽く言論をつまんでみる人がごちゃ混ぜになってしまった結果、起きている混乱だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?