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青海三丁目 地先の肖像「岡本信治郎の「銀ヤンマ」と日野啓三の『夢の島』」

2020.08 | 葛

7月の終わりに差し掛かった頃、再開して間もない東京都現代美術館に「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」展を観に滑り込みで訪れた。異様なほどの賑わいを通り抜けて、吹き抜けの大きな気積を堪能しつつ、常設展の方にも足を延ばした。

オラファー・エリアソン展からもいくつか得るものがあったが、埋立地の地図を黙々と描き続けていた私の目に飛び込んできた「銀ヤンマ」に、心を奪われてしまった。

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「越中島」といくつかの「埋立地」。蛍光オレンジと蛍光グリーンの明るさ。岡本信治郎の脳裏にこびり付いて忘れることのできなかったであろう、大空襲時の東京の姿である。1983年の作品らしい。

「銀ヤンマ」以外にも、いくつもの異なる東京の「地図」が展示されていた。その多様な表現方法と同時に、岡本信治郎の「地図」への執着に関心を持った。執着そのものが表現であったように思えた。

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いくつかの「埋立地」には、まだ名前が無かった。

銀ヤンマの羽に隠された部分にも、埋立地があったのだろうか。

そんなことを考えつつ、「埋立地を取り上げた文学作品もあったりするのだろうか」と思い立って検索した。日野啓三の『夢の島』を見つけた。

私が生まれた年、1988年に刊行された小説である。主人公は建築技師で、まさに戦後の高度経済成長期の都市をつくり上げてきた人物である。その人物が埋立地に出会い、魅了され、変貌していく・・・というあらすじだ。

「埋立地の経験」は、どうやら当時も似たものであったらしい。埋立地に向かう公共交通の手段はバスしかない。人気がない真新しい道路のおかげか、そこはバイク乗りの聖地である。そして、草原が埋設物の上に青々と広がり、東京とは思えないような景色。想像以上に広大な領域を占める東京の埋立地。最後に描かれる、東京を眺めるさかさまの視点。

一方で、現在とは異なる部分も興味深く描かれている。〇〇号埋立地、と番号で呼ばれている土地もあること。焼却処理を行わないことが多かったのかもしれないが、ゴミが形を保ったまま、土からはみ出す姿。ありとあらゆる現代社会の生産物、有機物と無機物がごちゃ混ぜになって、呼吸し新陳代謝するかのように、ガスを排出しながら腐ってゆく、中央防波堤外側埋立地の風景。

具体的な描写から、取材のために何度も埋立地を訪れたであろう、日野の姿が伺える。

新型コロナウイルスの流行のため、未だに中央防波堤外側の処分場の中を訪れる見学に参加することができないでいる我々にとって、約30年前のその地を清掃局の担当者に連れられて訪問する主人公(あるいは日野)の観察は、一層重要なものとして読めた。

現代のゴミ処理は遥かに複雑化しており、中間処理を終えたゴミの姿は殆どその以前の姿がどうであったかわからない粒子状になるようだ。不可視性を増し、漸次スピードダウンしながら、この埋立地は前進している。

その土地をこの目で見ること、その大地を踏むことへの期待は高まるばかりである・・・。


写真2枚目:岡本信治郎「銀ヤンマ(東京全図考)」(1983年)の一部、東京都現代美術館所蔵、2020年7月東京都現代美術館にて撮影

写真3枚目:岡本信治郎「ころがるさくら・東京大空襲」(2006年)の一部、東京都現代美術館所蔵、2020年7月東京都現代美術館にて撮影

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