マイノリティへの気づき
こんばんは、nachiです。
以前に、私が他の人と少し違うことについて記事にしました。
セクシャルマイノリティだとわかる前に思っていたこと、感じていたこと、どうして気づいたのかなどについて今回は記事にしました。
大学生の頃、セクシャルマイノリティについて、わかっているつもりでした。
性自認(私は自分を男だと思う、女だと思う、わからない)、性的指向(異性が好き、同性が好き、両性が好き)で名前が変わる、すべてを一括りにしてはいけない、パートナーシップ制度、カミングアウト、アウティング、この話題は難しいからあまり地雷を踏まないように…。
でも、よくわかっていませんでした。
そういう風に思うのは自分が大多数にいると信じて疑わなかったです。
いろいろな恋愛を経てやっとすべての人が同じではないということに気づきました。
ふつうの人ってだれのこと?
突然ですが、私の性別は女、心の性別も女です。
恋愛対象はどちらかというと男性、そのため自分は大多数に属する普通だと認識していました。
今は考えられないけど、将来的には結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築くのだろうと漠然と未来を描いていました。
だが、実際にお付き合いをしてみるとうまくいかない。
「本当に好きじゃないからじゃない?」と言われて、本当に好きじゃないならもっと頑張らなくちゃと思いました。(頑張って好きになるというのもよくわからないけど笑)
好きになって、付き合って、最後は心の距離を感じて、気まずくなって別れる。あんなに好きだったのにな、付き合う前の方が幸せだったかも。
そんな気持ちばかりすると「蛙化現象なんじゃない?」と言われる。
私も普通に恋愛がしたくて何度も泣きました。
恋愛するために出会う?
大学生になってマッチングアプリで出会う友達が出てきました。
もちろん、性行為目的の人も多い。
けど、恋愛するために出会うのだとアプリをおすすめしてきた。
アプリの人と恋愛できるの? 知らない人と恋愛できるの?
そう言われて、目からうろこ。
それでもアプリだから恋愛目的、性行為目的はあるだろうし、婚活だって結婚したい人が登録するもの。結婚したい人たちが出会うものだけ汚くないなんて変だよな、などと少し納得してしまいました。
それでも恋愛関係に発展する人は最初から友達にはなれない。
友達からは恋愛にはならない。恋愛する人はそうなるべくして会う。
今ではその考えを教えてくれた友達と疎遠になりましたが、小さな違和感として私の心に残りました。
性行為がないと愛情が確かめられない?
恋人になったらいずれは性行為をする。
結婚したら子供を産んで、育てる。
それが幸せだと思っていたし、憧れでもあった。
でも、いざ付き合うと性行為ができない。
できない、というよりは忌避してしまう。
思春期特有に、性行為の話題を避けたりそれが汚いと思ってしまったりそういうものはもう通り過ぎていた。だからこそ、忌避してしまう理由がわからなくて不安になりました。
別に性嫌悪なんてないのに、本当に好きなはずなのに、どうして自分は性行為ができないんだろう。
そればかり考えて、自分が好きになれる人とはとにかく付き合いました。別に恋愛的な好きじゃなくても、いつかは本当に好きになれると信じて。
それでも付き合う先に、性行為があると思うと、連絡もだんだん億劫になったり会う頻度も減ったり…。
最後にはいつも気まずくなって自然消滅。
性行為ができないことを知っても付き合ってくれる人もいました。
それでも自分の中には、付き合うことの延長線上に『性行為』は避けられないもの、乗り越えてさらに愛情が深まるものだという認識が消えませんでした。
だから、その人とも別れるしかないと思いました。
マイノリティかもしれないけど…
大学でジェンダーについての授業を受けた日のこと。
性はグラデーションだということを教授が言ったことを忘れません。
自分にもマイノリティだという要素がグラデーションのように存在しているのかもしれない。そう思って初めて診断を受けてみた。
診断結果は「デミロマンティック・アセクシャル」
特定の深い仲の人だけに恋愛感情を抱く。そして性的興味が人に湧かない。
恋愛をすれば、愛があれば、普通はどうなるかという考えが自分を苦しめていたことに気づきました。
マイノリティは少ないかもしれない。普通じゃないかもしれない。
でも、名前がつくだけで、私は少しだけ救われた気持ちになりました。
つらいと思うのであれば、一度診断してみてはいかがでしょうか?
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