『アタマジラミ撲滅 後編』

 橘由香里、26歳。教師生活4年目

 新任校で3年勤め、初めての異動になった。異動先は、前年にアタマジラミのため、男女とも丸坊主にしたことで有名だった。女の子まで髪を切ったことに、大きな驚きがあった。

 もし私の学校でそんなことが起きたら、どうするのだろう。女子生徒達に何と言って説得すればいいのだろう。女の子が丸坊主なんて、どうやって説得したのだろう。

 私がもしその立場だったら…丸坊主にするとなったら…ゾッとした。長い髪をバッサリ切られ、バリカンで刈り上げられるなんて。想像したくなかった。

 そんな中学校への異動。私は少し緊張していた。どんな子どもたちだろうか。辛いことを乗り越えて、明るい子たちだったらいいなと思った。

 受け持つのは2年2組。教室に入り挨拶をする。私の話をきちんと聞いてくれる。皆真面目でいい子たちのように思えた。

 ただ前任校とは違う点が一つあった。それは髪型だ。男子は坊主やスポーツ刈りの子が大半で、伸ばしかけの子もいる。そして女子は、ショートカットとボブの子しかいなかった。去年何があったかを如実に物語っていた。

 私のモットーは「生徒の話を丁寧に聴く」こと。悩み相談は当然、何か事が起きたら双方の話を聴く。そうすれば生徒のことが少しずつ分かっていく。「いいクラスを作ろう」とあまり力まず、自分に出来ることを着実にしていった。

 いろいろ事件は起きたが、その都度きちんと話し合い、徐々にクラスがまとまってきた。そんな6月の終わりに大事件が勃発する。

 またもやアタマジラミが流行した。前年よりも規模が大きいようで、今回も全員丸坊主と決まった。そのことを伝えると教室中がパニックになった。男子は半分諦めていたが、問題は女子だ。泣き叫ぶ子が続出し、授業どころではなくなったので、急遽HRに切り替えた。そこで学級委員長の聖子に言われた。
「先生は、坊主にしたとはありますか?」
「えっ?ないけど…。」
「先生は私たちの気持ちなんて分からないですよね。坊主にすることがどれだけ辛いかなんて。」

 静まり返る教室。私はぐうの音も出なかった。いくら生徒のことを想ったところで、本当の意味では気持ちに寄り添えていない。どうしたらいいのだろう。
「ちょっと先生も考えてみますね」と言うのが精一杯だった。

 悶々としたまま帰途に着く。ふいに床屋が目に入った。チラっと覗いてみると、バリカンで坊主にされている男性が目に入った。みんな去年はあんな風に床屋で坊主にしたと聞いた。少し立ち止まってから、再び歩き出した。

 アパートでは同棲している、同じ中学校教師の彼が待っていた。
「どうしたの?浮かない顔して。何かあった?」
「それがね…。」

 私は事情を説明した。彼ももちろん昨年起きたことを把握していたし、またか…という顔をした。

「ねぇ、私あの可愛い子たちのことを思うと可哀そうで…何か私に出来ないかな…。」
「う~ん…俺だったらどうするかなぁ…。」
「それにね、『先生は私たちの気持ちが分からない』なんて言われちゃったのよ。」
「そうか…確かにそうかもな…。」
「坊主にするなんて考えたことないし、ショートですらほとんど経験ないし。どうしたって気持ちなんて分からないわ。」

 お風呂上がり、髪を乾かし終わり、鏡の前でボーッと自分を見つめていた。その時、ふいに言葉が出てきた。
「…私も…坊主にしてみようかな…。」
「…えっ?今なんて言ったの?」
「うん…この際私も生徒たちと一緒に坊主にすれば、少しはあの子たちの気持ちに寄り添えるかなって…。」
「まじ?冗談だろ?そんなに長くて綺麗な髪を…坊主にするだって?」
「…いいえ、意外と本気よ。髪なんてまた伸びてくる。あの子たちのためになるなら、坊主にするぐらいどうってことないわ。別に命を取られるわけでもないし。」
「でも由香里は長い髪が好きなんだろ?いつもそう言って、きちんと手入れをしているじゃないか。それを坊主?そこまでしないといけないのか?」
「…だって私、先生になりたくって一生懸命勉強してきたのよ。やっと夢を叶えたのに、ただ何となく教師を続けていたくない。そんな教師にはなりたくない。いつでも子どもたちに真摯に向き合っていたいのよ!」
「でもだからってお前まで坊主にしなくても…。」
「これは試金石なのかな、って思うのよ。これからどんな教師になっていくかのね…。」
「坊主か…俺も正直抵抗あるな…。」
「坊主の女なんて嫌?別れる?」
「バ、バカ!何もそんなこと言っていないだろう?俺は由香里の中身が好きになったんだから、たとえ坊主になってもその気持ちには変わりない!」
「ありがとう…裕ちゃん…。」

 彼に長い時間抱きしめられた。涙が出てきた。そして彼が言葉を発した。
「でも一つだけ条件がある。由香里の坊主を認める条件が。」
「…何?」
「俺の髪を、由香里の手で坊主にしてほしい…。」
「えっ!?何で?坊主になるのは私だけでいいのよ?」
「そうはいかない。愛する由香里だけ坊主になって、俺は何もしない。そんなのおかしい。由香里の辛さをほんの少しでも分けてほしい。」
「嬉しい…でも本当にいいの?学校で何か言われるんじゃない?」
「そこは適当に誤魔化すさ。」
「そこまで言うのなら…明日一緒に床屋さんへ行く?」
「いや、床屋に行くんじゃなくて、お互いの髪を切ろう。」
「それって…バリカンで刈り合うの?」
「ああそうだ。床屋のオヤジなんかに由香里の髪を切られたくない。実家にバリカンがあるから持ってきてやろう。」そう言って私の髪を優しく撫でてくれた。

 その晩はいつもより熱く燃え上がった。髪の長い私は最後の夜になる。髪を振り乱しながら事に及んだ。動く度に揺れる髪が、明日にはもうなくなる。そう思うと涙が一滴零れた。心行くまで交わり、彼は私の中で何度も果てた-。

 次の日。彼が実家に戻り、ハサミ、バリカン、ケープを持ってきてくれた。実際にバリカンを見た時は体が震えた。これがバリカン…やだ、どうしよう…これで…私の髪を…。

 そんな私の様子を見て「俺からやるよ。それでもし嫌になったらやらなくてもいいさ。」と言ってくれた。彼の優しさに涙が出そうになったが堪えた。

 ケープをかけた彼は何だか可愛かった。サラサラの髪を櫛で梳かし、バリカンを持った。
「これ、どうすればいいの?」
「簡単だよ。頭に沿って動かすだけさ。」

 電源を入れる。ブーンと低い音がする。刃が小刻みに動く。
「裕ちゃん、本当にいいのね?」
「ああ、バッサリやってくれ。」

 恐る恐る彼の額にバリカンを当て、ゆっくりと動かす。するとあっけなく髪が刈り取られ、地肌がむき出しになった-。

 あっという間の出来事だった。彼のサラサラの髪が跡形もなくなり、地肌だけがそこに在った。すごい…これがバリカン…。

「なんか凄い…バリカンって凄いね…。」
「ああ、そうだね。刈り上げには使われたことあるけど、坊主にしたことは今までなかったから新鮮だよ。」
「痛くなかった?」
「全然。続けていいよ。」

 再びバリカンを前髪に入れる。同じように髪を根こそぎ刈る。その作業を黙々と続けいくうちに、何だか怖くなってきた。私の髪も彼と同じように、このバリカンで坊主にされる。ゾクリとした。

 横の髪を刈ると、今度は後ろの髪にもバリカンを入れる。バリカンの刃が彼の髪に食いつき、ひたすらに刈っていく。そのうちに全体の髪を刈り終えた。刈り残しがないよう、黒い部分を見つけてはバリカンを走らせる。
「おお凄い!これが坊主かぁ。」
「お疲れ様。案外似合っているわ。」
「良かった。なんだかサッパリしたよ。じゃあ次は由香里の番だな。本当にやるの?」
「…ええ。凄く怖いけど…私が決めたことだし、裕ちゃんを坊主にしちゃったしね。」
「本当にやることはないんだよ。一度坊主にしたら、当分は今の長さに戻らないよ。」
「いいの。決心が鈍らないうちに早くやって!」
「…分かった。」
 本当は止めたかった。間近で彼を坊主にしたからなおさらだった。この長い髪を、彼と同じ頭にされる。やっぱり怖いし悲しい。

 でも…ここで止めたら彼に申し訳ないし、生徒の気持ちなんて一生分からないかもしれない。自分で言ったように、試金石なのだ。ここで怖気づいて止めるか、思い切って坊主になるか。

 ケープをかけ、ポニーテールを解く。愛おしむように櫛で梳かしてくれた。そしていよいよ彼がハサミを手にした。
「…裕ちゃん、最初からバリカンでやってよ。」
「これだけ長いとバリカンが引っかかるかもしれないから、まずはハサミで短く切るよ。」

 そう言われればそうだ。もしバリカンが絡まったら相当痛いだろう。

 首筋にハサミを当て、バッサリと切られた。それだけでもショックだった。でも涙だけは堪えた。

 程なくしておかっぱにされた。その後も髪をジョキジョキと切っていき、ショートカットにされた。中学以来のショートカット。思わずケープから手を出して触った。
「もうこんなに短い…。」そう呟いた。一瞬懐かしくなったが、もちろんこれで終わりではない。ここからバリカンで坊主にされるんだ…。

「バリカンを入れると本当に後戻りは出来ないけど、いいんだね?」
「うん。いいよ。私を…ま、丸坊主に…して下さい…。」怖い…声も体も震えていた。彼は私をギュッと抱きしめてくれた。それで震えは止まった。

 彼は私の前髪を掴む。「止めて!」と喉元まで出かかった。だがぐっと飲み込み、目を閉じた。額に冷たい感触。バリカンが前髪に当たり、髪が根こそぎ刈られるのが分かった-。

 その瞬間、堪えていた涙がどっと溢れ出した。思わず手を止める彼。バリカンを置き、ハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう…ごめんね。泣かないって決めていたのに。」
「いいよ。泣いても当然だよ。女の子だからね。」

 その言葉にまた涙が溢れてきた。しばらく泣いた後、何とか気持ちが落ち着いた。
「裕ちゃん、もう大丈夫よ。続けてね。」
 
 再びスイッチが入ったバリカンは、残りの前髪を刈り始める。バリバリと音を立てて、私の髪が刈られていく。鏡に映るのは地肌が露になりつつある私だ。裸を見られるのと同じような恥ずかしさがあった。

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