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フランスの「お稲荷」さんに会いに行った

「いなり寿司」をどうしても食べたい仏紙記者、パリの専門店へ行く
寿司は日本料理を代表する食べ物のひとつだが、いなり寿司はまだそれほど知られていないかもしれない。
だが、とある漫画をきっかけにいなり寿司を知ったフランスのジャーナリストが、黄金色の料理を求めて街へ出る──。(アニメ『崖の上のポニョ』)
Text by Camille Paix リベラシオン(フランス)
クーリエ・ジャポン https://courrier.jp/news/archives/367794/

どうしても食べたい、いなり寿司
私が初めていなり寿司と出会ったのは、片目に傷をもつ、むっつりした大将の店でのことだ。
このやくざな男の店はやくざな場末の食堂で、そもそもお品書きには豚汁と酒しかない。足音を立てずに店に入るも、そこで食べているものが好きになるかどうか、そのときはまだ確信がもてていなかった。

十代だった頃の私は、むさぼるように漫画を読んでいた。だが、そんなものは真面目に読むようなものじゃないよという大人たちの警告を聞き、大きくなるにつれて漫画から遠ざかっていた。
どうしてこんな話をするかというと、東京のいかがわしい界隈にあるこの謎めいた食堂というのは、実はページ上に存在する飯屋であり、安倍夜郎の想像力とそのペン先から生まれたものだからだ。


クーリエジャポン

『深夜食堂』は、2017年からレザール・ノワール社(「黒蜥蜴社」)がフランス語訳を出している安倍夜郎の漫画で、この店の名物メニューは一風変わっている。ここでは客の求めに応じて料理をつくるのだ。

暖簾をくぐる客は誰でも、そのときの気分で食べたいものをマスターに伝えることができる。するとマスターは、必要な材料がストックにあれば、それをつくってくれる。

エピソードを重ねるうちに、常連客と通りすがりの食通が頼んだ料理がカウンターに並んでいき、日本料理のパノラマを描く。そうして、私がもっていた日本料理についての知識を、大きく広げてくれるのだ。

つまり、私は数週間前からこのグルメ漫画を読んでいて、なんとかしてこんな料理を食べたいものだとよだれを流していたのだ。なのに何ということか、ほぼすべての料理の材料に肉や魚が入っているので、ベジタリアン女性の私には食欲が満たせない。

しかしそれも、あのいなり寿司が現れるまでのことだった。豆腐を揚げた黄金色の油揚げの衣に、優しく丸めたご飯を滑り込ませたあの料理を目にして、そっと本を閉じた。

「いったいいつこれが食べられるのだろう」、本気でそう考えていた。

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かつては神様の食べ物だった

こうして私は探索を始め、パリ唯一のいなり寿司専門店にたどり着いた。その店は「おいなり」、パリ9区サン=ジョルジュ地区にある質素なお店だ。

岩佐幸信は、日本からパリに来て数ヵ月後の2018年1月にこの店を開いた。旅行の際にパリに恋をしたこの五十がらみの男は、東京の生活も広告業界の仕事もすべて捨てて、家族と一緒にここに居を定め、そのあいだに料理人に転職していたのである。
ここフランスの首都パリには、おいしいいなり寿司が食べられる店がないと気づいたが、なにせ彼はこの食べ物には目がない。思い切った決断をする前に、岩佐は日本中の食堂を回り、さまざまなタイプがあるこの食べ物を研究した。

いなり寿司は地方によって、あるいは人の好みによって形が変わりうる。縦長のものや三角のものがあり、油揚げの袋が閉じているもの、閉じていないもの、ご飯に味付けがされているもの、されていないもの、いなり寿司本体だけのもの、塩味の付け合わせを乗せたものなどがある。

岩佐のいなり寿司は、東日本、関東の形で、油揚げを閉じずにさまざまなものを付け合わせに用いている。だが味付けは西日本、関西の味で、関西風の酢飯を使っているので、よりおいしいのだ。わさび、キュウリの酢漬け、生姜、椎茸などを付け合わせに使っており、できあがったものは軽くほどけるような絶品で、たった二口で食べてしまえる。

とはいえ、箸を使って食べているのが私では、気品に欠けるというものだろう。『深夜食堂』で、常連客に「神の使いなのではないか」と思われているあの切れ長の目をした謎の女のようには、なかなかいかない。

元はと言えば、いなり寿司は普通の人間の食べ物ではなく、神様にお供えするものだった。農業と商売の女神である稲荷神の神棚に供えて、豊作を祈ったり、最近商売がうまくいったことを感謝したりするのである。

それはなぜかというと、稲荷神とその使者である狐は、豆腐を揚げた油揚げに目がないからだと言われる。それに、西日本のいなり寿司の形が三角なのは、狐のとがった耳に敬意を表すためだ。

こうしたタイプのいなり寿司は京都生まれだ。その京都では711年から、この神道の神に捧げた、威厳に満ちた赤い木造の神社が建てられている。
ただの人間がこの聖なる食べ物をいただくことに決めたのは江戸時代、19世紀の中頃になってからのことだ。それからこの食べ物は東京で民衆のものとなり、ストリートフードになった。

「おいなり」の店主の説明によると、いなり寿司は日本において、どちらかといえば「何かを祝うときに食べるもので、いつも食べるものではない」らしい。特別な機会の象徴なのだという。子供の頃に行った学校の遠足のときに、桜の花の下で食べたお弁当、あるいは運動会のお昼ご飯を思い出させるのだ。

いなり寿司を食べると口の中に何か砂糖のような甘みが残るが、それも「子供が大好き」な理由の一つだと言わなければならない。

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いなり寿司を食べられる店が、フランスで増えつつある

この味を覚えている大人にとっては、これがときに、執念に変わることもある。たとえば、いなり寿司好きの日本人で「いなり王子」を名乗っている人がいると岩佐は教えてくれた。

本棚から本を一冊とって見せてくれたが、それはこの愛好家が書いたもので、大好きないなり寿司の歴史を余すことなく語り、日本中の「いなり寿司を出す店」を紹介しているのだという。店主への献辞の横に、いなり王子は「No Inari No Life」という言葉を書いていた。

とはいえ、岩佐幸信のような熱心な信奉者でも、人生はいなり寿司だけではないと認めている。

「おいなり」の木調のデザインの店で出す料理には、他の小皿料理がたくさんあり、これを取り分けていただくことができる。フランスの野菜に合わせた日本料理、弁当、丼物などがあるが、いずれもいつもの巻き寿司と刺身ばかりではない、日本料理の側面を見せてくれるものだ。この食事に、80種類の日本酒から酒を選んで合わせるのだが、それは店主と従業員がワインのように選んでくれる。こうしてとりあえずお腹いっぱいになったが、私の調査はここでは終わらない。たしかに「おいなり」がパリ唯一のいなり寿司専門店だとしても、しばらく前からこの食べ物を出す店が他にも出てきている。

まずはオペラ座地区にある「金太郎」で、いなり寿司を偶然見つけた。ここでは前菜として出てきて、油揚げの袋が閉じた冷たいものだった。味わいの面ではかなり豊かさが劣る。

次はインスタグラムをスクロールして「町屋弁当」を見つけた。鮮やかな色彩を見ると、すぐにまたよだれが出てくる。腹を減らした狐のように甘い油揚げに引き寄せられて、このレストラン兼弁当屋に急いだ。これはちょうど一年前、おしゃれなパリ8区ミロメニル地区に開店したお店だ。

「最初のうちはこの『知られていない寿司』が評判だったとはとても言えません」と、店長のヤンヤン・チェンは語る。それから「1日に1~2個は売れるようになった」のだという。枝豆、味付け半熟卵(アイデアが豊かだ)、きのこ、肉を食べる人には牛肉をつけるなどして、いなり寿司の売り上げが増え、ついに目玉商品になっていった。

「いまはいなり寿司だけを目当てに来るお客さんもいるんですよ」と店長は言う。彩り豊かな付け合わせを添えたこの黄金色の小袋を、店長と店員がSNSと店頭のショーケースを使って美しく見せているが、きっとこれも成功の理由の一つだろう。

「ル・プチ・ケレール」のオーナーシェフ、遠藤カホリが約1年半前にパリ11区に開店したダイニングセラー、ジクレットもメニューにいなり寿司を載せている。ここでは日本のおつまみとシェフの相棒、ギヨーム・デュプレが供するビオワインが隣り合っている。

でもここのいなり寿司は「もう少し手が込んだ」もので、アンチョビやサーディンを加えている。私にとっては残念なことに、これではもうベジタリアン向きとは言えない。

90年代にパリに来た遠藤カホリは、フランスではあまり目にしない食品を開拓するのを特色としてきた。日本の「より日本的」な食べ物に、「すべてが可能な限り新鮮でバランスがとれていなければならない」という個人的タッチを付け加えるのがその特色だ。

遠藤にとって「よい料理とは消化がよい料理」なのである。いなり寿司について遠藤が好きな点はそこで、それは同じくジクレットで提供している、さまざまな野菜を使ったベジタリアン太巻きと同様だ。この太巻きはいなり寿司と比べたらありふれたものだが、やはりカマルグ産の分づき米と、季節のオーガニック食材を軸に考えられている。

遠藤もまた、いなり寿司にはファンがいると言う。それはだいたい甘塩っぱいものが好きな人で、「好きな人のなかには、わざわざそのためにやってくる人も多い」と言う。

米国のスーパーに並ぶ寿司

米国のスーパーにとって寿司は“なくてはならないもの”になりつつある
自分で作ってみたら…
最終ステップは、この食べ物を家で再現してみることだ。

さまざまな情報に当たってみたところでは、油揚げが手に入りさえすれば、いなり寿司をつくるのは無理なことではないらしい。これはアジア食品の専門店で売っているという。

■『日本料理、くつろぎの食い道楽』という遠藤カホリの本にレシピが載っていて、そこには著者の母親のアドバイスも添えられている。
最大限に味を引き出すためのお母さんの料理のコツは、まず前日に、油揚げの袋の下ごしらえをすることだ。

油揚げを切って(狐の耳の形にするには三角に切り、楕円形のものをつくるには横長に切る)、これを沸騰したお湯で数分間煮て、それからこの煮汁少々と甘口醤油(80ml)、砂糖(100g)、みりん(大さじ1杯)でつくった漬け汁でことこと煮る。次の日には、この袋にご飯を一口分入れればいい。

このご飯も、炊いてから汁に漬けておいたものを使う。汁は米酢(大さじ5杯)、砂糖(大さじ2杯)、塩(小さじ1杯)でつくったもの。付け合わせについては、想像力を働かせればいくらでもベジタリアンの付け合わせ、ビーガンの付け合わせがつくれるだろう。

もしも、おいしいものができたら、これからはもういなり寿司なしでは生きていけないということになるかもしれない。
もしもおいしくなかったら、最寄りの狐の住みかがどこにあるのか、探すしかないだろう。狐が大好きな食べ物をもっていって袖の下として使い、穏やかな季節をお願いし、家庭菜園の収穫がたっぷりあるようにお祈りすればいい。
私自身はどうかといえば、これからペール=ラシェーズ墓地の狐のところへ出かける予定が決まってしまった。

パリにある私の家の小さなバルコニーで育てているミニトマトの収穫がひどすぎないものであるように、陳情申し上げるつもりである。でもその前にまず、『深夜食堂』を読み返すこととしよう。

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ここまできたか「フランスの稲荷寿司」 次は此れだ、「麩」

日本人でもおいなりさんは、すきずきがあって、とくに子供は苦手のようだった。それが一足飛びにフランスで大人気という裏話に驚くが、たまたま日本アニメ「ポニョ」を知っていた記者の話しだから、ま~話としては半分以下と、おもっていいでしょう。

それよりも、次にフランス人グルメがなにを欲しがるか、という好奇心です。個人的に今「麩」に凝っていて、いろいろ食材料理して調味してますが、これだって子供が好きになる素材ではないでしょう。
としても母の味、ばあちゃんの手料理として、昔から日本の食卓に欠かせない素材でした。原料が小麦ですからパンと同じですが、日本人が手をくわえると、こんな味になるという魔法のような麩です。いろいろ書いてみても、喰ってみないことには判らないので、早速スーパーで買ってみてください。軽くて安い、まったくいまの日本そのものです。

説明を少しばかり書きますが、全部はリンクで読んでください。

麩の歴史
室町時代初期に明から渡来した禅僧によって製法が伝来したとされ、当時の精進料理において豆腐と共に不足しがちなタンパク質を補う食材であった。 原料を茹でて製品にした生麩(なまふ)、原料を焼成した焼き麩(やきふ)、中華料理などで使われる原料を油脂で揚げた揚げ麩(あげふ)、原料を煮た後に乾燥させた乾燥麩があり、それぞれ食感が異なる。煮物・汁物・和え物や、すき焼きなどの鍋物の具、沖縄料理の炒め物の材料としても多く用いられている。
秋田などの東北地方の一部や北海道の一部ではラーメンの具として用いられている。また、近年では滋賀県の一部でもラーメンの具として用いられている。京都においては精進料理の材料の一つとして重用されるほか、京料理としても利用される。

花や手毬の形などを食紅などを使って彩りよく形どったものは飾り麩といい、京都の「京小町麩」、「花麩(はなふ)」、石川県の「加賀飾り麩」などが有名である。

生麩や焼き麩は、料理以外に、菓子として用いられる事があり、前者は小豆餡を包んで麩饅頭、後者は生地に着色して砂糖を練り込み、麩菓子などの駄菓子とする。黒糖で花林糖のような風味を持たせた麩かりんとうもある。

人間の食用以外には、焼き麩を粉状にしたものがコイやヘラブナの釣りエサに用いられる。麩は主に小麦グルテンであり、人によっては後述のようにセリアック病の症状が出る。

ウイキペディア


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