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炎上で喜々とする日本社会の些末程度

若手女性キャリア(政治・会社)の謂われなきバッシング?


こんなタイトルにすると、いきなり「おまえフェミニストの人気取りか」と雨あられが飛んできそうなご時世でやりにくいのですが、SNSの逆説で考えれば、むしろやってみる価値はあると、思ったので二例を出して論じてみましょう。 ■フェミニスト女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称であり、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差など。

ある記事で成田氏の記事注釈で「成田氏否定反論論破」と書いてあったので、その対象が誰なのか、あの手この手で検索したところ、成田氏と同じくらいの資料が、山のように出てきました。

成田氏の場合は「テレ東rehack」で相棒のひろゆき氏とタッグでやっているので、ぼけと突っ込み、感があってバランスを取っているようにも見えます。
また毎回のゲストが、各界のトップばかりで閲覧人気獲得には事欠かない係数だと推察します。

前回見たのは、ちまたいう「ギャル」がゲストで氏の幅の広さを語っていました。それが成田氏の学術分野カテゴリーに入っている、という、どこかの記事を読んで納得したものです。

これは昔の番組でしたが「村上玲」氏(村上ファンド)のポスト就任について、主にひろゆき氏が、いつものように深堀追求したものでした。

■「パブリックリーダー塾」というのがある。これを「(テレ東プラス)」で取り上げ、ひろゆき氏が持論を展開し、村上玲氏が答える(うまく交した感)トーク動画だった。その答が適切でなかったとしても、じゃ何が適切なのか、といったら100%回答など、どこにもないし、また無理やり応える必要もなかったように見えた。そのやり取りは既存「テレビ」で在りがちな、とことん追求型で、相手に有無を云わせないスタイルにも見えたし、制作者側としてハイテンション演出には欠かせない手法である。(すべては仕組まれた手練手管であり、いずれの両者にとって効率のよい手法として既成瑕疵はないことを申し添える)

あと、一連の動画配信(主にテレ東政治トーク番組)観てて思うのは、事の本質は突いていると思いますが、それが解決策か?というと、それとはまったく別の話で所詮、仮想(営業)でしかないという結論でした。
先ほど見ていた新シリーズ田村淳ホストの#日経テレ東大学、【成田悠輔vs世論】田村淳の話しですが、田村氏と若手政治家ゲスト二人と成田悠輔さん、絡みのトークは、世代交代、日本経済大都市と地方自治没落、腐敗してしまった経済政治界の学閥派閥の汚点を発掘してこき下ろすのは、「別にあんたらにいわれなっくたって知ってる」、範囲ですから今更いいので、その次の一手を提案しないことには、論点の争点になってないことなんでしょう。それって、いやこれは根が深いので2025年をやり過ごして今から団塊世代消滅20年を待つしかない、というのであれば、従前の高齢社会評論者、たちとなん変わりがないでしょう。

ちまたSNS動画で論じている著名有名人、大小金持ち、総勢百名程度の一大組織を構築して国家規模の政治組織が必要で、革命なしの政権奪取しないとどうにもならない。(明治維新という手本がある)

現実話しとして盛んに論じられているGAFAを政府がファンドで買えとか、いかさま話しをしてますが、そもそもGoogleがスタートアップしたときの昔の方法論というのは国とタイアップして宇宙監視地図を作ったり、会社建物の警備を本職ポリスが兼務したりとか、国と一蓮托生なことがいっぱいあるわけです。アメリカでそのIT産業が生育した理由は、自動車産業が日本に、こてんぱんにやられてしまったので、それ以外の仕事として金融工学とIT産業を柱にした経緯があったのです。
だからそれを引き換えに「失われた30年」とか誰が主語なのか判らない論争で、いつもの儒教論を持ち出して充分冷めたお茶を濁していのるのがいまでしょう。
そこでいった成田悠輔さんのカンペに書いたひと言、なにも「わからん」~(かわらんでも同じか?)それに尽きます。

村上財団代表理事 村上玲 一般財団法人村上財団 2022年8月4日

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その記事をこのnote12月16日にアップした。それから一週間して、その「天使のささやき」(とどこかのライターが振ったコピー )若手起業家女社長が「平原依文」氏だった。最初、字ずらからして男と勘違いしていた。(名は体を表す<まったくそのものであるといたく感心した)

あにはからんや、4歳ころからその片鱗をみせたという。その証拠に十年後に会社登記(14歳)して社長におさまるという快挙を果たしているが、おそらく本人は特別なこととは思っていなかったのだろう。その経緯の一部を引用します。

■「若い人の意見を届けたいと思っているんです。若者だって、ちゃんといろんなことを考えていますよ、とお伝えしたくて」
2019年に設立した会社「WORLD ROAD」の共同代表を務める。「地球をひとつの学校にする」をミッションに、企業や自治体に対してSDGsのコンサルティングを行ったりして、教育機関、小中高大学で授業を行っている。世界中の社会起業家を、日本の子どもたちとオンラインでつなぐことも。
「学校をつくることが夢なんです。しかも、年齢、世代、国籍、あらゆる境界線を溶かし、みんなが先生、生徒になれるような学校をつくりたいんです」

ユニークな経歴を持つ。小2のとき、同じクラスにいた中国人の女の子との出会いをきっかけに、中国に留学した。驚かされるのは、小学生が自ら希望し、たった一人で全寮制の学校に入ったことだ。12歳からはカナダに移り、16歳でメキシコ留学も経験した。

「教育が人を苦しめることもあれば、豊かにすることもある。その2つの局面を留学したときに実感しました」

歴史をめぐって対立がある中国では、先生から新しい世代で新たな歴史を作ってほしい、と言われた。カナダでは、同級生たちが集まって、将来について真剣に議論していた。しかも、既存のレールにとらわれることなく、まったく自由に。
「日本の幼なじみは、いつ会っても受験に追い立てられていました。教育の主軸が自分ではなく、どの学校に行くか、や、どの会社に入るか、になってしまっていたんです。自分が社会を豊かにできる、という考え方を、もっと日本に届けたいと思うようになりました」

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まあ、若者理想論と括ってしまえば、それまでの話しなんですが、その企画
が十年後には実現しているという本人平原依文のカリスマ性を照らし合わせれば、強ち荒唐無稽の仮想話しではない。そんなことがやや読み取れました。

その村上玲氏と並べて論じる対象ではないのですが、ひろゆき舌禍論に従えば、右も左も同じに論破するのでしょう。また成田悠輔さんの反論も同様線上ではないかと推理したのです。

そうした背景には多分、様々な要因が絡んでいるとおもわれますが、平原依文氏の育った環境を見れば、われわれ日本人的西的思想感とは隔たった、東ユーラシア思想感が反映していて、話す言語も、そちらに依っていることが原因で、歪曲された思惟的なイデオロギーで分析されているような印象を受けたのでした。(あくまで個人見解であって正論とは言い難い)

いずれにせよ村上玲氏といい、平原依文氏といい、これまで存在しなかったアカデミックなキャラクター女子が出現したことは、私としては賞賛で値すべきこととかんがえたのです。
(そのパラドックスとしてネット上、一番の要素、同姓によるジェラシーが素早く反応するのもこのSNSネット世界であり、そんなことをいかに制するかが、ジャイアントステップの下地ではないかと思いました)。


Ibun Hirahara

平原依文(ひらはらいぶん)/World Road 共同代表取締役

早稲田大学国際教養学部卒業。新卒でジョンソン・エンド・ジョンソンに入社。その後、長年の夢である教育ビジネスを実現するためプロノイア・グループに入社。2019年に、幅広い世代へのSDGs教育のため「地球をひとつの学校にする」をミッションに掲げるWorld Roadを設立。ひとりひとりが自分の軸で生きる境界線のない社会を目指し活動を行う。
TEXT=上阪 徹  

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  • 【平原依文】8歳で中国へ単身留学、培われた国際人としての嗜み──連載【起業家の星】Vol.01




Twitter:@ibunhirahara
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平原依文 経歴
【年齢】:1993年生28歳(2022年8月現在)早稲田大学国際教養学部(卒業)|プロノイア・グループ 広報兼SDGs担当早稲田大学 国際教養学部卒業。新卒でジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社に入社。その後、「楽しく働く人を増やしたい」という自らのパッションにしたがい、プロノイア・グループ株式会社に入社。独創的なコンサルティングの手法を用い、自分の軸や価値観を大切にしながら働くことを広めている。


平原 依文さん ホーム ライフストーリー 道なき道で自分の軸を持てる人を増やしたい。情熱的な人達との出会いと別れから学んだこと。2019.04.22 anotherlife https://an-life.jp/article/1113/?para
道なき道で自分の軸を持てる人を増やしたい。情熱的な人達との出会いと別れから学んだこと。平原 依文さん/プロノイア・グループ 広報兼SDGs担当小学2年生で単身留学したのを皮切りに世界中の学校に通い、現在はコンサルティング、コーチングを通して企業で働く人の教育や組織開発を行っている平原依文(いぶん)さん。

平原さんが世界中の学校教育を通じて感じたこととは。お話を伺いました。(平原 依文|プロノイア・グループ 広報兼SDGs担当早稲田大学 国際教養学部卒業。新卒でジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社に入社。その後、「楽しく働く人を増やしたい」という自らのパッションにしたがい、プロノイア・グループ株式会社に入社。独創的なコンサルティングの手法を用い、自分の軸や価値観を大切にしながら働くことを広めている。)「素直な感情」を強みにしたい東京都目黒区で生まれました。保育園ではいじめられてました。そばにいた子に「ねえねえ」と肩をたたいて話しかけたら「うわ、いぶん菌がついた」と言われたときは、すごく悲しかったです。それをきっかけに、自分の感情と言葉の「声」を押し殺すことになりました。
いじめは小学校に入っても続いていましたが、1年の2学期に、ターゲットが中国人の女の子に移りました。
ある日、国語の授業でその子と席が隣同士になりました。仲良くしたら、またいじめられると思ったので、話しかけられてもずっと無視することに。それでも、彼女は構わず、「いぶん、見て!100点とったよ」と満面の笑顔でテスト用紙を見せてくれました。どんなに打たれてもめげずに、前に突き進む彼女の強さに惹かれ、中国に行くことを決意しました。
中国で一番最初に感じたのは、感情の豊かさです。どんなに言葉がわからなくても、一人ひとりの顔に浮かぶ表情で喜怒哀楽が伝わってきました。感情を押し殺してではなく、「解放」してコミュニケーションをする中国の文化に一気に魅了されました。
「自分もこの力を手に入れたい!」と強く思い、母に「中国で暮らしてみたい」と頼み込んだんです。その結果、もともと1週間の中国旅行の予定でしたが、急遽学校探しの旅に変わりました。
教育が人の価値観を形成する歴史あふれる街中を歩きながら学校を見つけるたびに中に入っては、「入学したい」と覚えたての英語で伝えましたが、大抵は門前払いされました。
そんな中、1校だけ話を聞いてくれて、その場で入学テストを受けたんです。中国語がわからないから合格は難しいと思いましたが、なんとか漢字が読め、ボーダーラインギリギリで合格できました。入学準備のため、帰国して日本の学校の退学手続きを済ませ、小学2年生から単身で中国の学校に通い始めました。部分抜粋





Twitter#つしま昇平原




構成編集 #つしま昇

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