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ギターで般若心経を奏でる異色歌手  薬師寺 寛邦

アーティスト 薬師寺 寛邦(僧侶)
1979年生まれ。愛媛県今治市出身。禅僧であり音楽家。現在、愛媛県今治市にある臨済宗・海禅寺の副住職。 2003年、薬師寺を中心に、コーラスグループ「キッサコ」を京都で結成。名前の由来は、「お茶でもどうぞ」の意味を持つ禅語「喫茶去」から。
2013年、薬師寺が修行を終え僧侶になってからは、仏教の教えをわかりやすい日本語に置き換え、懐かしいポップスのメロディーとハーモニーで伝えていくことをコンセプトに寺院ライブを軸として広く活動を展開している。

キッサコ・薬師寺寛邦



今までにアルバム5枚、シングルは15枚以上リリース。 2016年7月16日には、松山市民会館大ホールにてワンマンライブを開催し、700人近くの動員を記録。
同年リリースの5枚目フルアルバム「日日是好日」は、TSUTAYA CDデイリーランキングにて堂々の3位を獲得。
2017年8月3日、アルフィー坂崎幸之助氏のテレビ番組「お台場フォーク村」にゲスト出演、坂崎氏・所ジョージ氏と共演を果たす。

2018年7月、メンバーである山元の脱退が決まり、 7月28日に京都アルティで行われる二人体制キッサコのラストライブは500席がSOLD OUTとなる。 同年8月より、15年間続けてきた「キッサコ」の名を引き継ぎ、 新たに、”僧侶ボーカルプロジェクト”「薬師寺寛邦 キッサコ」として再始動する。
また、僧侶として次世代に仏教をつないでいくため、音楽と仏教を掛け合わせ、 般若心経に声を重ねアレンジしたアルバム「般若心経」を今年5月にリリース。 オリジナルバージョンである「般若心経 cho ver.」は、YouTubeで200万回再生を突破! 台湾の東森新聞では160万回、中国のSNSでは驚異の2,000万回再生を記録。 フジテレビ「めざましテレビ」等、多くのメディアにて取り上げられた。 中国での大反響を受け、2018年12月には、中国本土・台湾を巡る全6箇所公演のワンマンライブツアーの開催され、5,000人の動員を記録し大盛況となった。 日本からアジアへ、縁を繋ぎ、仏教を音に乗せ、伝え続ける。
TuneCore Japan  https://www.tunecore.co.jp/artists?id=13020&lang=ja

薬師寺寛邦(ヤクシジカンホウ)の僧侶ボーカルプロジェクト。
薬師寺寛邦、麻生優作、元メンバーの田中まさやは京都・渡辺大之伸氏主催のヴォーカルスクール"Dee-cool"で出逢い、互いに影響を受けながら共に歌い始め、2003年「キッサコ」を結成。同年、サウンドプロデュースに西慎嗣を迎え、インディーズレーベルjapanative recordsよりシングル『ハイム~郷愁~』を発表。

2004年、京都という街の魅力に惹き付けられ、京都の美しい風景を描いた『花街』を発表。その年、本願寺聞法会館にて隔月の主催コラボイベントを開催、生け花、書、紙芝居など、日本の伝統文化との様々なコラボレートライブを開催。11月28日には京都・永運院にてワンマンライブを行う。2005年は関西全域でのショッピングモールライブ、ストリートライブを展開、着実に力を蓄え、10月30日に京都・藤平陶芸所にてワンマンライブを開催する。この2年間で約300ステージを越える。
その後、メジャーデビューを目指し上京、横浜に拠点を移す。

Music (@yakushiji) / Twitter

2006年7月インディーズミニアルバム『ラムネ』を発表、7月13日に逗子海岸にある夏季限定ライブハウス、「音霊-OTODAMA-」に出演。8月は、北九州・四国キャンペーンを行い各地で大盛況を呼ぶ。また、桜木町・溝口にてストリートライブを敢行、この頃、手売りのみでそれまでのトータルセールスが1万枚を突破する。
2007年4月27日には、恵比寿天窓switchにて都内初のワンマンライブを開催。

2007年11月ヤマハミュージックコミュニケーションズより『拝啓 君へ』で、メジャーデビュー。「weeklyぴあ」CD満足度ランキングにて2位を獲得、FM横浜・FM石川・文化放送で推薦曲、ヘビーローテーションとなる。その後、全国にてキャンペーンを展開、12月4日には東京・DUOにてワンマンライブを行う。

2008年6月より、人々の使わなくなったものの物々交換とキッサコのライブを組み合わせたリサイクルイベント、「キッサコのとっかえ市」を開催。同年7月、2ndシングル『こころひらり』をリリース、AIR PLAY CHARTにて4位、「weeklyぴあ」CD満足度ランキングにて7位を獲得する。7月17日に京都・高台寺にてワンマンライブを行う。
8月には結成6年の集大成ともいえる初のフルアルバム『喫茶去』をリリース。インストア・ラジオ公録など様々なキャンペーンを展開し、8月23日、広島の野外フェスSOUNDMARINA 2008にオープニングアクトとして出演。
12月21日岡山にて、STOP!温暖化OKAYAMA2008『晴れたらいいね』に出演、「キッサコのとっかえ市」も出張し、大盛況を呼ぶ。
しかし2009年に入り、田中が病気療養のため脱退。それを受け一時「キッサコ」としての活動を休止していたが、同年6月、新メンバーに山元サトシを迎え、新生「キッサコ」として活動再開する。

同年10月、自身のレーベル"IROHA records"を立ち上げ、その第一弾シングルとして「おもひでめぐり」をリリース。11月は、元ソルトレイクオリンピック代表でスキージャンパーの山田大起選手のオフィシャルサポートソングになっている「明日分の勇気」をリリース。なお、このCDの売り上げの一部は、現在フリーで活動している山田選手の活動資金となっている。

薬師寺寛邦が2011年春より仏門の修行に入るため、2010年から活動休止。その後、麻生優作、山元サトシの2人はそれぞれソロでの活動をした。
2010年9月11日、西本願寺の開催する安穏灯火リレーのテーマソング「道」をリリース。カップリングの「からたちの心」は仏教讃歌である。11月25日、待望のアルバム「空-Qu-」をリリース。活動休止前の新生キッサコアルバムはファーストにしてベストアルバムであるが、シングルの曲は全て前にリリースした物からリアレンジ、リマスターされている。12月22日、活動休止前ラストを飾るワンマンライブ「キッサコラストコンサート」を京都コンサートホール小ホールで行い、450名を超える動員で大盛況に終わる。

その後2011年に入り活動を休止していたが、3月11日に起こった東日本大震災を受け、音楽に携わるものとして曲を届けてメッセージを発信することが使命と感じ、5月28日シングル「願い」をリリース。CDの収益を義援金にあてる活動を行なっている。

2013年春、薬師寺が修行より戻り、同年7月12日の京都府民ホール アルティコンサートより3人体制での活動を再始動する。

2015年の春にメンバー麻生優作の活動休止を受け、薬師寺、山元の2人体制となる。

12月11日には4枚目フルアルバム「縁」が全国発売。同月12日には大阪市中央公会堂にてキッサコスペシャルアコースティックライブ2015「伝言」を開催。

それから約半年後の2016年7月16日には、松山市民会館大ホールにて、キッサコワンマンライブ2016「結-yui-」を開催し約700名を動員。2017年1月8日には京都府立文化芸術会館にて、キッサコライブツアー2017「日日是好日」in kyotoを開催するなど、活動を続けていた。

しかし2017年2月、山元が声帯炎を発症し、数週間ライブ出演を控えることになった。その際、声帯にポリープがあることも発覚し、同年12月3日の公演を最後に、キッサコは3ヶ月間の活動休止を余儀なくされる。山元は同月12日にポリープの手術を完了した。

2018年3月1日、回復した山元とともに活動を再開するも、山元が7月28日の京都府民ホールアルティでのライブをもってキッサコを脱退することを発表。

IROHA時代の薬師寺・山元の楽曲を集めた3枚組のBEST ALBUM「三世」をリリース。

そのアルバムを引っさげて、二人体制キッサコとしてのラストツアー「出発点-スタートライン-」を全国の思い出深い場所で開催。ほぼ全公演がSOLDOUTとなり、7月28日ラストライブのアルティでは、初期メンバーである、田中まさや、麻生優作もゲスト出演。メモリアルなライブとなり、コーラスグループとして15年間続いたキッサコは1つのゴールを迎えた。

2018年8月から、薬師寺は、15年間続けてきた「キッサコ」の名を引き継ぎ、新たに、“僧侶ボーカルプロジェクト”「薬師寺寛邦 キッサコ」として再始動する。

2018年5月に、僧侶として次世代に仏教をつないでいくため、音楽と仏教を掛け合わせ、般若心経に声を重ねアレンジしたアルバム「般若心経」をリリース。 オリジナルバージョンである「般若心経 cho ver.」は、YouTubeで170万回再生突破。台湾の東森新聞では160万回、中国のSNSでは驚異の1500万回再生を記録。
フジテレビ「めざましテレビ」等、多くのメディアにて取り上げられた。中国での大反響を受け、9月には舟山市での音楽フェスに出演。12月には、中国と台湾を巡るワンマンライブツアーの開催も予定されている。

日本からアジアへ、縁を繋ぎ、仏教を音に乗せ、伝え続ける。

メンバー
薬師寺 寛邦(やくしじ かんほう)
プロデューサー、 ボーカル、 アコースティックギター担当
1979年3月17日生まれ、愛媛県今治市在住。
実家は禅宗のお寺で、現在副住職。O型
好きなアーティスト:マイケル・ブーブレ/玉置浩二/さだまさし/
楽器:Gibson J-45

旧メンバー
山元 サトシ(やまもと さとし)
ボーカル、アコースティックギター、ブルースハープ担当
1986年12月1日生まれ、京都府京都市在住。B型
在籍期間:2009年~2018年

好きなアーティスト:山崎まさよし/ジョン・メイヤー/エド・シーラン
楽器:Martin D-35、Gibson J-50 麻生優作(あそうゆうさく)
ボーカル、ピアノ 担当
奈良県出身。O型
在籍期間:2003年~2015年
田中まさや(田中まさや)
ボーカル担当
1979年12月24日生まれ、奈良県出身。A型
在籍期間:2003年~2008年

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画像キッサコ・薬師寺寛邦、アジアを巡る歌の旅。ラストは京都・東京でホールワンマン! | 彼岸寺


般若心径、のジャズ的コーラス
ジャンル分けしたら、これは、なんと呼ぶべきか迷う。と皆さん思うでしょう。
「ハイヒールを履いた僧侶」(西村宏堂)、を紹介したときもなかなか躊躇しましたが、これもその一つでしょう。いや、探せばもっといろいろあるでしょう、ただ、人はそれを知らないのですから、知らないものは語り様がありません。

以前、「知識のしらないことの多さ」について、書きましだが、今でも変わりません。多分、人間は、世の中(西洋知識アインシュタインなど)の数パーセント、いやもっと少ない比率でしか、しらないはずだし、その「知らないこと」を自分が認識しない、という大前提で、人は博(白)識になるのでしょう。
恥の上塗り、というのがありますが、その恥であることを知らなければ恥もない、それはまったく子供の世界です。(子供の脳は開き部屋が無限大)

で、私の白識をひけらかしてみるとですね、その経文を歌?にすることはラップと同じですから、旋律的に違和感はないわけです。
そうであっても、その閉じた系、仏門世界でギター片手にお経、というのは、既成観念として受け入れられない、事実リアルなこととして否定されるでしょう。だから、昔だったら、まったくあり得ない接点で、また社会も、それを受け入れなかったでしょう。
それで「面倒な説明」は一切省いて、いまSNS時代だから、それは可能だったと、換言できることです。

「般若心径」の音楽的要素は、もともとアクセント抑揚が極端に狭い世界の発声で、やりやすいという利点があります。また、一斉に読み込む声明では、一人ひとりの周波数(音楽は完全にピッチを併せる)が微妙にズレ(不協和音のもと)るので、それだけで「ジャズゴスペル」と同じ効果が出せるのです。
また、ライブステージを見ると「バックコーラス」が数人歌ってましたので、それぞれのパートでは、半音度以下の音程指定で、譜面がかかれていると思われます。それが不協和音の原理であるし、それを般若心径歌唱に応用した、という推定です。

それと自分自身のコンテンツとしても、デジタルリテラシーの恩恵で、多方面のアプリが使えるのです。
今やっているのが、文字表記ブログに盛り込む、動画と、そこに張り付ける音楽、それも大昔のレコード再生して記録し、それをFILE化して、その動画に挿入する。
音声については、一寸前では、文学作品は、文章しかなかったものが、朗読されて、昔のラジオのように訊けるのです。

先日も童話を公開しましたが、たいした人気で、PV数も多かったようです。それで、いま、チャット自動翻訳音声と、自宅動画の二本立てで配信してますが、さらにそれをスキルアップして、肉声チャット(青空朗読)を、そのまま放送すればリアルな描写になると考えました。さらにそこに音楽をセットすれば、まるで映画のような物語が、自宅机上でできるわけです。

今回、初挑戦でそれをやってみます。まず、記事内容を一通り読んで、最後の「薬師寺寛邦」動画般若心径をクリック開始します。

そして、そこに朗読「醍醐の里」音声をスタート(スライダーボリュームでいずれをセットする)させます。そうすると朗読文のバックに般若心径が鳴る、という仕組みです。
以前は、動画内にセットしましだか、これが可能なら、わざわざその手間がいらないし、編集もしなくていい。また、青空朗読は、サイト無料ですから、自分の好きな作家と声優を選んでセットすれば、マイオリジナル音楽
が作れるという話しです。

本邦初公開ですから、うまく作動しない場合は、更新検討しますので、ご期待ください。

朗読

 青空朗読.「 醍醐の里」


著者:坂口 安吾 読み手:水野 久美子 時間:9分5秒
 三年ほど前の早春、自分が京都に住むことになつてものの二週間とたたないうちに、突然小田嶽夫君が訪ねてくれた。
 小田君は上海旅行の途中で、京都は始めてだと言つてゐたが、自分を訪ねる前に見物してきたばかりの醍醐寺に、よほど感心したらしく、早速ポケットから絵葉書をとりだして説明しはじめたが、僕も京都は当時まつたく不案内で、醍醐といふ地名も醍醐寺といふ存在も、その時はじめて知つたのである。
 京都といふところは、二三日の慌ただしい見物でなかつたら、乗物に乗らず、目当のない散歩のつもりで、足の向くままぶらぶら歩くに限るのである・・・

https://aozoraroudoku.jp/voice/mp3/rd681.mp3

q@eb@kxs 醍醐



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