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今どき超「ハングリー」な敗者復活魂その次世代足跡を追う

いま社会でもっとも話題の渦中にいる「ガ―シ―」と同じポジションにいる「DJ」社長の、木元 駿之介の情報を集めて記事にした。

これまで私が書いてきた社会性記事とは、趣を異にしてモロ芸能界のネタ話に、いささか戸惑った読者もいることだと自虐な弁もある。

その芸能界系の話題にしても、さらに異端で、最初から最後まで、満身創痍なサクセスストーリーは、今のアメリカでも、殆ど訊かれない。

押しなべてその内容は、芸能界(を含めたネット、SNS、動画配信)特有の切った張った、であることは99%保証する。

そしてそこに動く「巨額マネー負債」は、われわれ一般人が預かり知らぬ世界を覗いて、なにが有効か、という愚門は、この際必要ない。

木元駿之介の芸能活動は、高校時代からあるので、若いにも関わらず、すでに年期は積んでいて、玄人筋では、名が通っているようだった。その証拠に、動画では、スポーツ、ネット、書籍界において、各方面からのオファーが舞い込んでおり、その人気の高さを語っていた。
これも当然のように出版の話もあり、その準備段階で出版大手「幻冬舎」と下準備対談(編集者)との様子を動画でやっていた。

この本が売れない、CDが売れない、服が売れない「ナイナイ」時代に拍車をかけて世界の物価上昇とエネルギー資源確保不透明にあって、首長がいくら世界を駆けずり回ったところで、決定的な議論裁定は、在って無きに等しい、ことは自明の理で、それは「国連無力化」とシンクロして、成すすべがないというのが現実だ、ということは大衆は、よくわかっている。
だからこそ、そんな時代に必要なのが突破口としてのカリスマスターが渇望されている、という時代背景にいる、ということだった。

それがたまたま木元駿之介こと「DJ」社長であったり、また異なった分野のカリスマが、どこかの地下に埋没しているのかもしれない。

いま時代が求めているのは、そんな「破天荒」者じゃないのか?

木元 駿之介「DJ社長」プロフィール

DJ社長(1992年8月29日[2] - )は福岡県出身の男性歌手、DJ、YouTuber、キックボクサー、総合格闘家。
本名、木元 駿之介であり駒澤大学経営学部出身である。日本人と韓国人のハーフ。Repezen Foxxののリーダー。Studio Candy Foxx所属。現在はインドネシアと日本を拠点に活動している。
経歴1992年、福岡県に生まれる。母親は韓国人で自身はハーフである。2010年、高校時代に社長になりたいと決心し、大学へ進学することを決める。2011年、大学の一般入試選抜試験において駒澤大学と福岡大学に合格しており駒澤大学経営学部に進学。大学時代は東京で人脈を作るために色んなパーティに参加していたが、そんな中「パーティを開催して会社を作るための資金を稼ぐ」ことを思い付き、50人規模のパーティを毎週のように開くようになった。

2012年、300人規模の会場を予約してパーティを企画する赤字となり借金することになる。その結果、水道光熱費も家賃も払えなくなり一人暮らししていた家を追い出され、友人宅に居候する日々を送る。「次こそは本気でやってやる」と決意を固め、必死に試行錯誤し、リベンジのためZepp DivercityやSTUDIO COASTでイベントを開催。結果黒字となり、会社を建てるべく福岡に戻った。
また、YouTubeのアカウントを作成。大学も休学した。2013年、地元の友人や後輩を誘い、21歳の誕生日に社員6人で株式会社「PARIST」を起業。家賃5万円の部屋を事務所として借り、開業資金500万円のうち300万円を使ってバーもオープンさせた。さらに、福岡でイベント団体「博多Life」を設立し、色々な大学に立ちスタッフを集め、2000人規模のイベントを企画する。
当時の福岡では500人も集客すれば「九州最大のイベント」と呼ばれており、快く思わない地元のイベント業界の人々から様々な嫌がらせを受けたが意に介さず集客を続け、イベント当日には2500人が集まった(定員オーバーのため入場規制が掛かるほどだった)。

その後は毎月1000~2000人規模のイベントを開催し立て続けに成功させる。成功を続けるうちに博多Lifeのスタッフが次々と独立して新団体を作っていき、巨大組織となった。そして九州最大のイベント団体のトップになったが、程なくして詐欺被害に遭い、手元にあった現金1000万円以上を全て失う。

大勢の部下を抱えているため安直にお金が無いことを口外するわけにもいかず、金策を得るため上京。交通費すら無かったため移動手段はヒッチハイクだった。頼れる限りの人脈を全て使い金を借りるも、その中でまた詐欺に遭い更に金を失ったりした。
追い詰められていく内に又借りを繰り返し借金地獄に陥り、2000万~3000万円の負債を背負うこととなる。 そのような中で「借金を返すために借金してもダメだ、ちゃんと稼いだお金で払わないと」と考え、大金を稼ぐために巨大なイベントを開催することを決め、やっと会場を借りれた時には既に5000~6000万円の借金を背負っている状態だった。

2014年、自身が開催した福岡国際センターでのイベントが失敗に終わり、当初の借金が倍になる。イベント終了後しばらく落ち込んでいたが、同い年のきゃりーぱみゅぱみゅが定員数の多いマリンメッセ福岡を満杯にしたのを知り、「俺も有名人になろう」と思い立つ。
自身の唯一の趣味でDJをやっていたことと、一人でもできることから「DJで成り上がるしかない」と考え、イベント団体を休止し、本格的に「DJ社長」として活動を始める。
「趣味」とはいえ、以前から自らのイベントに「DJ」として出演したり、リミックス音源をSoundCloudにアップロードしたりしていた。また、この年に自身の父親が逝去している。2015年、DJとしての知名度は皆無だったためクラブ側からのオファーは望めなかったことから、Twitterやホームページで出演希望の連絡を送り続けたり、知り合いに電話で何度も連絡するうちに「ノーギャラでもいいなら」という条件で出演させてもらえるようになる。

ヒッチハイクや高速バスなどで全国を回ってDJ活動を行っていたが、客の印象に残すために「フリートークをしながら合間にちびまる子ちゃんやアンパンマンの楽曲を流す」という異色のスタイルで活動する。
クラブDJは一般的に、海外のEDMを絶え間なく流し続けるものであるため、自身のパフォーマンスがクラブの関係者などからは快く思われず、Twitterに悪口を書かれ続けたが、却ってそのために認知されるという効果を生んだ。
また、この頃から知名度を上げるためにTwitterで動画をアップロードするようになる。奇抜なDJパフォーマンスを続けていった結果、少しずつ知名度と人気が出てくるようになりオファーも増え始める。その内複数の現場からオファーが来る事態が何度か続くようになり、8月にDJ社長、ふぉい、BANBANの3人でレペゼン地球を結成する。

10月にBANBANが脱退し、銀太が加入する。 お金が無かった為、3人で高速バスで移動し、宿泊代節約のためクラブのソファやラブホテルの駐車場で仮眠を取ったり、イベントの主催者の家に泊まらせてもらったりしていた。せっかく現場に辿り着いたのに客が5人ほどしかいないということもあった。また、DJの活動だけでは生活出来なかった為、複数のバーを経営し、生計を立てていた。その後、レペゼン地球に脇とまるが加入した。

2016年、自身が経営していた全てのバーを閉店し、休学していた駒澤大学も中退。DJ活動中に休止していたイベント団体を解散。それまでの事務所も閉じて、新たに事務所「LifeGroup」を設立。YouTuberの活動を開始。自身のYouTubeチャンネルの登録者が10万人を超えた。
2017年、格闘家の活動を開始。

2018年、自身のYouTubeチャンネルの登録者が100万人を超えた。また、現在のメインチャンネルも開設。

2019年11月、オリジナルのシャンパン「Minerva/ミネルヴァ」を発売した。

2020年12月、事務所の筆頭株主と権利関係を巡る争いが起こり、所属事務所の代表取締役を解任された。また、レペゼン地球も一時的に解散。

2021年3月、韓国で250万円をかけて二重手術や鼻、輪郭を整形。同年6月に「Repezen Foxx(レペゼン・フォックス)」として活動していくことを発表し、新たに事務所「Studio Candy Foxx」を設立。8月末に渡米、現地で合流した旧レペゼン地球のメンバーとともにアメリカでしばらく活動していた。その後、インドネシアで活動を開始。

2022年10月、次の国政選挙に「NHK党」から立候補する事を発表。「賛否両論あると思いますが、実は何年も前から『いつか出よう』と思ってました。今回と決めただけです。
僕には僕にしか出来ない事があると思ってます。僕が選挙に出て炎上するようなら、まずはそんな日本を変えたいです」と表明したが、ファンからの否定的な声が多かったため、立候補は保留すると語った。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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