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ビートルズ足跡その時「ていぞく」でも、時がたつと高尚と評価され教科書に載る

1970年代、のテレビ画像は何を放送していたのか

昨日、テレビの伝えるべき使命、としてSNSなどではしばしば「マスゴミ」に対する激しい批判が見られる 機能を持つマスメディアは、少なくとも日本では、ある程度信頼されている 「テレビっぽいもの」があればテレビ局は必要ないのか…なぜ"マスゴミ"と呼ばれてしまうのかを考える、

などの問題提起のようなものを書いてみたが、本日は、その実際に「何」を伝えたか、を書こうと思う。

ひとえにそれは面白かった。そう云うしかない。その面白度合いは、いろいろな見方はあるが、それと比べるもの(スマホなど)がないという視点でみれば、独断場であり流行り物であり、時代のトレンドとしての「テレビ」の可能性が予見として保証されていたとして、一億総白痴として洗脳され時代を牽引した。その経済効果は計り知れないものがあった。

時代は東西文化、入り乱れてのエンターティメント合戦でありとくに音楽分野において、しのぎを削っていた、ように思う。また、その市場を支える世代の団塊世代が、社会に繰り出し、政治闘争も含めて日本国中を嵐の中に引き摺り込んだ、という時代背景も見逃せなかった。

その゛時代゛安保闘争全盛期でありであり、都内街路敷石は全部はがされ、機動隊投石用に準備されていた。

■安保闘争は、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり日本で行われた日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員、労働者や学生、市民及び批准そのものに反対する左翼や新左翼の運動家が参加した反政府、反米運動とそれに伴う大規模デモ運動である。自由民主党など政権側からは「安保騒動」とも呼ばれる。60年安保闘争では安保条約は国会で強行採決されたものの、岸内閣は混乱の責任をとって、内閣総辞職を余儀なくされた。しかし70年安保闘争では、闘争に参加していた左翼の分裂や暴力的な闘争、抗争が激化し運動は大衆や知識人の支持を失う事となる。1951年(昭和26年)9月8日に、アメリカのサンフランシスコに於いて、アメリカやイギリスを始めとする第二次世界大戦の連合国47ヶ国と日本の間で、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されたが、主席全権委員であった吉田茂首相は、同時に平和条約にもぐり込まされていた特約(第6条a項但し書。二国間協定による特定国軍のみの駐留容認)に基づく「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に署名した。この条約によって日本を占領していた連合国軍の1国であるアメリカ軍は「在日米軍」となり継続して日本に駐留する事が可能となった。なお、当時冷戦下でアメリカやイギリス、フランスなどのいわゆる「西側諸国」と対峙していたソビエト連邦は、西側諸国主導のサンフランシスコ平和条約に対立の意思を示し、49カ国の条約締結国には入らなかった上に、自国を事実上の仮想敵国(ソ連脅威論)とした日米安全保障条約に対しても激しい非難をした。 ウイキペディア

上記、「吉田茂首相は、同時に平和条約にもぐり込まされていた特約(第6条a項但し書。二国間協定による特定国軍のみの駐留容認)に基づく「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に署名した。」、それによって、沖縄問題は永遠な瑕疵として継がれることとなる。

そうした時代のテレビ「エンターテイメント」を考慮すると、否が応でも、視聴率アップ必至、が使命だったと推察され、特に音楽芸能界においては熾烈を極めていた。

その代名詞ともいうべき歌手アイドルが白雪姫こと「天地真理」であった。そのエピソードについては、枚挙にいとまは無いが、その中のいくつかのエピソードを、挙げてみたい。

いまでこそ、歌手アイドルは人気商売として、ひくてあまたの存在だか、その当時としても、芸能界歌手というスタンスは、若い者にとって垂涎の職でありスターだった。

ではなぜ天地真理、なのか、という怪訝さもあると思うが、知っての通り、「おちぶれ度合い」を、平気でネット画像で晒す大胆さに、度肝を抜かれたし、そんな恥部陰部を晒した「アイドル」は他に存在しない、という感慨をいだいたのも事実だった。

はたして、その人間の「はずかしい」という部分を、ネットを介して公言できる人間が、この世の中に何人いるか、という線引きをしたら、たぶん0.1.2人しかいないだろう。あの山際氏にしても、次期ポスト「自民党新型コ〇〇対策本部本部長」に収まり厚顔ぶりを発揮した。

歌手「天地真理」はアイドルか、はたまたカリスマか

社会から、そして業界から、これほど「いたぶられた」歌手は、他にいない。そんなことをおくびにも出さない「天地真理」やはり常人ではない。
■【いたぶる--. おどかして金品をせびりとる。ゆする。】

そんなことで、「天地真理」が芸能界にデビ―するまでのインターバルを書いた記事があったので合わせて紹介しましょう。(こいもうさぎのブログ TOP 芸能~記事引用)

DVD「虹をわたって」発売に寄せて


 この度、私が出演した映画「虹をわたって」がDVDとして発売されると伺い、大変嬉しく思っております。「虹をわたって」が撮影されたのは1972年の春から夏の頃でした。
前田陽一監督のことが思い出されます。とてもお優しい監督で、デビュー間もない私の演技に、「いいよ!」と褒めてくださり、嬉しく、そして楽しく演じることが出来ました。毎日のように横浜の現場に通い、午前中から夕方にかけて、共演者そしてスタッフの皆様と撮影に臨みました。
作品に出てくる「ダルマ船」からほど近い民家が出演者の楽屋で、その間を行ったり来たり。一番印象深いシーンは、私がダルマ船にいて、共演の沢田研二さんがヨットに乗って現れ、手を振られたシーンです。

私の一番忙しかった頃にこの映画は作られました。ほぼ寝ずの毎日でしたが、今考えると、よく頑張ったと自分を褒めたいと思います。発売日に私の元にも届けられるDVDを“宝物”として大切にしたいと思います。公開当時この作品をご覧いただいた皆様には“懐かしさ”を、初めてご覧になられる皆様にはあの頃の日本の風景や人の温もりを感じていただけたら嬉しく思います。心をこめて、ありがとうございます。
2022年10月9日 天 地 真 理
https://www.amachimari.com/  天地真理 OFFICIAL WEBSITE

天地 真理は、日本の女性歌手。埼玉県大宮市出身。 1970年代前半に天真爛漫な笑顔で国民的アイドルとなり、一世を風靡した。血液型はO型。 ウィキペディア






2022年11月03日記事

天使の歌声白雪姫「天地真理」は日本のシンデレラだったか


“国民的アイドル”天地真理の劇的半生を辿る 醜聞の数々、衝撃の復活、そして独居老人生活
公開日:2022/10/31 06:00 更新日:2022/10/31 12:1 日刊ゲンダイ
 天地真理の半生は、どこを切り取って書き始めたらいいのか困惑するほどドラマチックだ。アイドル時代、ソープ嬢騒動、衝撃の日活ロマンポルノ出演、ダイエットとリバウンドのバラエティー時代、ヘアヌード写真集、独居老人生活……。

「隣の真理ちゃん」「白雪姫」と呼ばれた天地のデビュー当時のインパクトが脳裏に焼きついているファンには、その後の天地は別人、もしくは悪い夢を見ているかのような錯覚に陥るかもしれない。しかし、天地が永遠のアイドルとして記憶に残る存在だったことは間違いない。

■絶頂期には5曲がヒットチャート1位に

 アイドル・天地真理の誕生は1971年。時を同じくしてスタートしたのが数々のアイドルを登場させることになる「スター誕生!」(日本テレビ系)だった。
 天地は渡辺プロダクション所属、小柳ルミ子、南沙織とアイドル3人娘といわれ、先駆け的存在だった。
 キッカケはTBS系の人気ドラマ「時間ですよ」で森光子に見いだされたこと。オーディションで落ちたのを見た森が「落とすのはもったいない」と拾ってくれたのだった。洋裁学校に通うマリちゃんとして出演すると「あの子は誰」と話題になる。

 同年10月、ドラマの中で歌った「さよならの言葉さえ言えなかったの 白雪姫……」の出だしのデビュー曲「水色の恋」が80万枚のヒットを記録し、国民的アイドルに駆け上がり、74年までの4年弱は絶頂期を過ごす。

「水色の恋」の後、72年の「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」、73年「若葉のささやき」「恋する夏の日」の5曲はヒットチャートの1位に輝いた。

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日刊ゲンダイ

■でっち上げられたスキャンダル

もっとも、この全盛期に、天地はスキャンダラスな話題に巻き込まれる。
 デビュー前はソープ嬢だったのではないか……。

 天地は年齢を1歳サバを読んで19歳でデビューしたことになっているのだが、渡辺プロに入る前に空白の1年があった。この時は別の芸能プロに所属し、キャバレー歌手をしていたことがあった。それを曖昧にしたままだったのが原因だった。

 アイドル=清純のイメージだから、ソープ嬢疑惑でマスコミに追い回された。芸能リポーターの梨元勝はこの情報を徹底取材している。

 噂の発信源は川崎・堀之内のソープランド。人気絶頂の天地をライバルプロが蹴落とそうとし、社員を堀之内に送り込んで「昔、天地真理がここで働いていたんだって」と噂を流布して回ったのだという。
 梨元は「彼女はソープ嬢出身では絶対にありません」と断言した。
 また、当の天地本人は「当時の私は正真正銘の処女」と週刊誌のインタビューで答えていた。

 ところが、この騒動が終わるかどうかのあたりから天地が体調不良に陥ったり、奇行を指摘する声が広がり、さらに75年にはキャバレー回りをしていることを書き立てられるに至る。
 そして77年の年明けに緊急入院してしまう。病名は甲状腺機能障害。入院したのは約1カ月だが、芸能活動を2年間休止する。

 真相は何か。事務所が、いろいろ問題を抱える天地の扱いに困ってしまい、入院を余儀なくされたといったところではないか。後に天地本人が語ったところによれば「ウソの病名をつくろう」と事務所と病院が話し合ったというのだが……。

そして、長いブランクの後、85年に衝撃の復活劇を遂げる。日活ロマンポルノ出演である。「変身<MARI>の衝撃エロス大作!」がキャッチフレーズ。タイトルは「魔性の香り」。
 怖いもの見たさ、いや、見たくはないのだが……。その中身は想像以上、アイドルのその後としてはまさに衝撃的だった。

 清純アイドルから長いブランク後…痛々しい復活劇 DVDにもなった「魔性の香り」(日活)

 85年公開の「魔性の香り」。夫から逃れて自殺しようと海に飛び込んだ秋子(天地)を助けるフリー記者の江坂(ジョニー大倉)。秋子と江坂の激しい濡れ場は3回。ベッド、床、机の上……。デビュー当時からスリム体形とはいえなかった天地の肉体は豊満、ムッチリ体形に変わっていた。当時30代前半。今風にいえば熟女ものである。

 この映像を「白雪姫」のファンはどう見たか。例えばこんな言葉も残っている。人気絶頂の頃、「真理ちゃん自転車」などのグッズが発売されたが、これらを愛でてきたというファンは週刊誌で「こういう魅力もあるんだという気持ちも強かった」と語った。そう、男性ファンはみんな、清純アイドルの真理ちゃんも好きだが、裸の真理ちゃんも見てみたかったのだ。

 ちなみに、ポルノ映画出演について天地本人は、後に「あれはすべてお金のため。でも、ギャラの200万円は毛皮のコートを買って、使い果たしてしまいました」とインタビューで答えた。このあたりも、天然ボケの天地らしい。

 その直後に天地に大きな転機が訪れた。86年に34歳で結婚する。相手は青年実業家Aさん。当時の触れ込みでは年商20億~30億円のカフェバーチェーンを経営というものだったが、結婚後まもなく経営は立ち行かなくなり、芸能事務所を設立し、Aさんは天地のマネジャーに収まってしまった。

 子供も授かったが、次第に夫婦仲は冷めていったようで、11年の結婚生活後、96年に離婚。「元亭主は仕事を全然しなくて……娘にもつらく当たって」と語っていた。

■70キロ超えの肥満に悩みながらも天然ボケキャラでTV出演

 天地は肥満にも悩まされる。体重は70キロオーバーになっていた。それでもタレントとして復活してバラエティーで活躍するのである。印象に残っているのは棒高跳びの超人ブブカとの共演だ。物干しざおをかつぎ、芸能界一の鈍足の天地が息を切らしながらトラックを走る。その場にいた明石家さんまが駆け寄って言葉をかけまくる。

 かぶり物をしてテレビに出演したり、プロレスまがいのドタバタも。どこか中村玉緒に似た天然ボケキャラの天地をテレビは面白おかしく使ったが、「見るに忍びない」「さらし者にするな」という声もあった。

 だが、それでも天地はくじけない、懲りない。97年にはヘアヌード写真集である。仕掛け人は「毛の商人」といわれた高須基仁氏。天地を口説き落とす中で「ヘアヌードプロデューサーと熱愛」と書き立てられたことがあった。当時、天地は毎晩のように「高須さん、真理です」と電話をかけてきたという。

 160センチ、スリーサイズB84・W60・H89。17キロ体重を絞った天地のヌード写真集「東京モガ」は、日活ロマンポルノに続く二匹目のドジョウを狙ったものだった。高須氏は「かつてのファンクラブ会員が29万人だから、その1割の3万人が買えば合格。5万部なら大成功」と語った。この時、著書「スリムになるってステキなことネ 天地真理の白雪姫ダイエット」やダイエットビデオも発売された。世間に何を言われようと、商魂たくましかったのだ。

 そして、数年前、高須氏は「今、真理ちゃんは川崎の老人ホームにいるから取材してきてよ。アイドルの今の姿を」と言うのだった。

「隣の真理ちゃん」

 天地は11月の誕生日で71歳になる。今の時代、まだ老け込むような年齢ではない。だが、天地は60歳を過ぎた頃から急に衰え始めたようだ。
 埼玉県大宮市(現・さいたま市)で生まれた。中古車販売業の父、保育士の母の間に生まれた一人っ子。1歳で両親が離婚し、母親の女手一つで育てられた。母親違いの弟が2人いる。国立音大付属高声楽科を卒業。家は転々とした。大宮から東京・中野、世田谷、高校に入ってからは練馬、神奈川・座間……。1年ほど、ある芸能プロにいたが、大手の渡辺プロダクションに移り、1971年、20歳でデビューした。

 全盛期は4年ほど。デビュー当時の月給は300万円。最高は1000万円、渋谷・松濤に6000万円のマンションを買ったこともあるというのだが、あくまでも自己申告である。

 しかし、デビュー7年目の77年を境に転がり落ちるように生活が一変していく。ロマンポルノやヘアヌード写真集などで話題を集め、「浪費癖は直らず、お金に困るようになりました」と語っていた。
 時は流れ、2006年には天地の近況を伝えるショッキングな記事が出た。「新潮45」同年1月号の「空前のアイドル・天地真理『空白の謎』を語る」。

以下割愛



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(編集#つしま昇)

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